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まあ今回はステップ段階の探究学習がてら。一枚の写真に多くの言葉を詰め込んで。「地下歩行空間」の完成で札幌の地下街は活性化し、「歩行者が動けるサブウェイ」になったことの光と影か、或いはプリズム。

まあじきに札幌のサブウェイ地下鉄南北線、って記事は
書く予定ですけど、まあ今回はそのステップ段階の探究学習
がてらってことで。

ってことでこれを書こうと思ったそもそものきっかけは
この写真があったところから。

札幌の街は地上より地下のほうが混んでいます。
外は寒いです。
地下は室温が高いので自分はあまり好きではありません。

基本的にはここを大喜利じゃあないけど「写真で一言」
ではなくより深く全力ツッコミして換骨奪胎の記事に
仕上げていくかの探究学習にでもしてみようかと。

 まずは。
写真的にはST感が強めで多言語に対応してますよ、
という名の無神経な言語の並べ方になっているので、
(台湾繁体字と中国簡体字と同時、同ポジに表記する、
とかが多分に無神経にも感じる)
この形での改札口の表示では撮りたくないな、とも
思える一枚なんですけど。

例示としてはこんなところか。日本人なんだから基本的に
漢字の駅名とそれを補完するローマ字準拠のアルファベット
が確認できれば問題ない、ってスタンスかな。

それを踏まえた上で。

札幌の街は地上より地下のほうが混んでいます。


 より詳しく言えば扇状地の上に広がる札幌本来の中心地は
地上でいろいろお遊びさせられまくった故に、歩く上で
楽しいのが地上よりも地下のほうが安全でかつなりに楽しい
(靴の足取りも軽いのはやはりだんちがい、な)ので
地下のほうが混んでいるのです。

本来は札幌地下鉄の痩我慢と努力、って部分で色々
書く心積もりだったのですが、他の方面でついつい筆が
滑りましたので、セカンドプランでお送り致します。

 その仕上げの一つがたまたま東日本大震災と重なったので、
あまり評価されるまでもなく過ごされてきましたが、
結果的にはノイジー商店街のワガママをスルーして妥協の
末に出来上がった地下歩行空間の完成なの、でしょう。
上田市長時代の成果は主にここに帰結する部分もあると。
(もう一つはさっぽろ駅延伸を切り離した上で、札幌市電の
ループ化を達成したことかと)


外は寒いです。


南北線はさっぽろ駅からすすきの駅まで、東西線は大通駅
からバスセンター前駅まで、東豊線も地下歩行空間を
使えばさっぽろ駅から大通駅まで「歩行者のサブウェイ」
として歩いて自由に向かうことが出来ます。
(ハンパ駅の代名詞「豊水すすきの駅」は逆に孤立して
いるので一旦必ず地上に出る必要がある)

 まあ古いビルの建て替え需要と、世代交代の主な失敗、
自民党議員がそこを強力に押し出していたことから、
しっかり裏目に出て民間発で形成されたポールタウンや
オーロラタウンとは異なり、地下街を形成しての商売は
出来ない、って約束を取り付けた名残と(多少の怨念と)
が残ったけれど、市電のさっぽろ駅延伸も突っぱねて
道路整備に委ねたことで俗にティッシュロードと化していた
平成時代のノイジー商店街は人通りを無くし、かつ
店を視認して貰う為の視点も無くして(が実は滅びた
主因なんだけど。ロードサイドを走る市電ならまだ
商店街があることを認知される可能性もあったろうに)
ほぼほぼ滅びたと。
(そこと札商がつるんでいたから記事はスクラップ
ブックがあちこち転がってるので立証も出来るけど、
わざわざ引用することすらめんどいなと)

(なぜティッシュロードと化していたのかは明白で消費者
金融のティッシュ配りに使われる「珍舞練り歩き」の
支援者たち、だったことが要するに、って経緯)
(丸善もなにわもアテネ書房も無くなり、パン屋併設の
ドリンク補給地だったコミュニティストアも消えた。
山野楽器やアインズが入居してた越山ビルや黒川紀章
設計の大同ビルも建て替えられた。そして西武が見離した
五番館西武はまだ更地同然と乖離したって結末)

 で最近のお寒さとしては、大友亀太郎の像まで動かして
跡形もない親水公園もどきな創成川近辺の開発や、
大通公園の剥げさせられ方とその使用法で御時世も重なり、
市民や歩行者が憩える椅子や空間の撤去が続いたこと。

 んで歩きっぱなしでも平気な観光客を除けば、地上を
歩いたとて快適で安全な状況を作れなかったことには
変わりなく(憩える椅子の撤去もテレビ塔のある一丁目を
除けば大通公園をスルーするしかないと諦めさせる要素
たっぷりたっぷりで、かなり惨憺たる状況でしたし)、
地下を歩いているのが一番「ストレスが溜まらない空間」
になっているのも事実。

 椅子のみならず芝も剥がしまくってましたしね。

 強いてあげれば札幌ビッセのセイコーマートの前か、
長らく工事しているうちに存在を半ば忘れられて逆に
穴場となっている北一条地下駐車場の上の固定ベンチが
小休止するにはいいビバークポイントになっているな、
とは思うけど。


地下は室温が高いので自分はあまり好きではありません。

はところによる。

 ただ異常に室温も湿度も高い箇所があり、オーロラタウン
の西側の湿度の高さもまあなりに知られており(かつてこの
区域のショップが衣服関係で固められてた名残とも)、
「ここを通るのが嫌だ」とダダこねてた無認可校の
同級生もいましたが。

 まあソイツは小樽の医者の息子ルートで、一時期野沢雅子
さんのトコのルートに巻き込まれてほぼ吉田理保子(元声優で
クララもやってた元マチコ先生で、野沢雅子を支えるために
マネージャーになって体制を支えていたのに、久住小春の
撹乱で破綻と放浪ルートを辿り野沢雅子ともはぐれてしまった
ひと、でもある)マネージャーと共に玉砕しつつもあった
声優になってたとは思いますが。そういう感性の持ち主も
そういやいたな、と思い出すばかり、なわけで。

「地下歩行空間」の完成で札幌の地下街は活性化し、
「歩行者が動けるサブウェイ」になったことの光と影か、
或いはプリズム、としてつらつら今宵は語ってみました。

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