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《解決編》「見てくれの片付け」は「メガネ、メガネ」を誘発することしか出来ない。認知不足を加速するだけ。オタクが知りたい収納術とは 「グッズはそのままにしてスペースを増やす方法」なのでそこにも抵触する。ではどうすれば墓穴は埋まるのか。

ってな感じで続きモノなのですが、以前そちらでハガレン
カルタを出したら荒川弘「百姓貴族」アニメ化だそうで。

貴女(あなた)の日常に「メガネ、メガネ」が
降りかかってくるのは、もしかすると認知することを
すっ飛ばした「本来の片付けるリスク」をすっ飛ばして
「見てくれの片付け」に走ってしまうからかもしれない。
~日頃の行いを非常識な「ワンみずほ」にしない為の転ばぬ杖。
|torov|note

ってパンチを打ってからのいきなり本題解決編。

まずは「積極的に諦める」のが肝腎。「自分の記憶力なんて
こんなもん」とレベルを意識的に低くすることがまずもって重要。
無駄な沽券や自意識過剰は只のなけなしのプライドでしかないので、
それだと失せ物は永遠に出てきません。
 「知らずにうっかり出てきたら超ラッキー」くらいの意識に
まず自分のスタンスを持って行くことで、それに合わせた制度
設計をしていくことが、見てくれよりも認知度を優先する場合は
大切なこと、になります。

なので、あとはその閾値を自分で何処に設定するかってことで、
そこから先は人による、がひとまずのせいかい。
 なぜなら何処まで当人ないし人に探してもらうにはどこまで
やれるかな、の幅がやはりありうるから。

一昔前だと男の「片付いた」と女の「片付けた」はそもそも
ゴールとしての到達点が違う、と良く云われていました。

現代的な言い回しにすると、男の「片付いた」の方がより
「それはそこに置けばいつでも使える(スタンバイ状態に
ある)」を優先しているので、認知度を優先している点でも
優秀、と判断します。
 逆に女の「片付けた」は見てくれが優先される分、何が
ここにあるかを疎かにしがちで間違いなく「メガネ、メガネ」を
誘発する可能性が高いと言えます。

とはいえ余りにも煩雑にしているとどこに何があるかは
パッと見で判断がつかなくなり、その場合でも「メガネ、メガネ」
になる可能性を上げてしまうジレンマもあると。

なので、やはり基準値はダン・シャーリーにならずに事態を
解決させることが重要で、ここが目安にはなるのだろうと。

それに対しての不快感に耐えられなくて、思わずテレビを
捨てたくもなる、を考慮してないテレビの「モラルとデリカシー
のなさ」はもう少し煮詰める必要がありそうですが。

テレビは常時そうした墓穴を掘っているもの、ですが
どうすればそうならない為に、掘り崩されてしまった墓穴は
埋まるものなのか。

一つは記銘効果を狙う方法。
 簡単なメモ書きから、TODOリスト、最終的には目録、
って手がありますが、これも自分や他人に説明できるレベルと
用法に応じて。

なのでケースとしてはnoteにこんな記事はありましたが。

【エッセイ】老化|てふなむのエッセイノート|note

ここでは袋を置く位置が自分の反応できる範囲になかったから、
ということで記憶力低下と「老化」ってワードで逃げかけても
いるのですが、そこをヘンに怖がるよりも閾値とレベルを
下げて、「よし、ここまでは出来てる」とボジティブに
捉えて、気持ちのポジションを補正した方が幸せなのかなと。

一応参考になるのはやはりオードリー若林✕星野源の対談で
あったエピソードか。

若林正恭:
星野さんと又吉さんと歩いてる時、星野さんが俺の耳元
でね、「僕は諦めませんよ」って。はっはっはっ(笑)

春日俊彰:え?それはカメラ回ってないとおかしいな(笑)

若林正恭:本当に俺、今田さんと同じチャカ見えたもん(笑)

春日俊彰:ほう。それは覚えてるの?

星野源:
その時は、「なんで諦めるんだ、若林さん!」みたいな
気持ちだったんだと思います。

若林正恭:そうかもしれないですね。

星野源:はい。いかに大変かっていうのは、その時は
分からなかったんで。

若林正恭:うん。

オードリー若林、仕事で「高望みをせずに諦める」
ようになっていた時期に星野源から言われた
忘れられない一言を明かす「僕は諦めませんよ」

 おじさんになっていくのは別に怖いことじゃない、も
含めて、「見てくれの片付け」のしすぎで「見知らぬ、
天井」を誘発して認知症を貼り付かせる必要は別にない、
ってことを念頭に置くことが掘り崩されてしまった墓穴を
埋めるパテの一つくらいにはなるのかなと思う次第。


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