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さがすのは僕らのハグにあたるもの

両親とはずっと難しかった。

良い距離感が分からない。何時に帰るとか話は事務的なことばかり。
教員退職をめぐって大反対されて、複業なんて信じられないと嘆かれて。

「これが勘当ってやつかな」と思いながら押し切って、コロナを言い訳にやり取りのない時期があって。
久々に会えば「いつ帰るか決めずにデンマーク留学する」と言う。

少なくとも僕から見たらそういう話。



この関係は何度もピンチだったと思う。

転機は留学の報告会🇩🇰
オンライン開催に両親も呼んで、僕は僕で世界観を丸出しにして。

「こういう人たちと、こんな風にやっているんだな」が僕らの空気を和らげて、力を入れて自衛しなくても話せるようになった。

34歳。やっと良い関係になれてきた。と思えた。

いやまあ簡単に言えるほど簡単じゃないけど。
「ずっと難しかった」の一言はめちゃ分厚いけど。

良い関係になれて、間に合って良かった。

少なくとも僕から見たらそういう話。



でもまだハグとはいかない。そういうのはまだレベル高い。

なんでハグかって、両親はなんかそうしたいっぽい。
実家に寄って帰るとき、冗談まじりの本気まじりで「ハグしておけば」と母が言う。
父と自分はそんな感じじゃなくて、だから母ともハグせずじまいで。

恥ずかしいなら本当はしたいかもしれなくて、
しなければ先の未来に後悔するのかもしれない。

でも無理することもないから良い形をさがす他ない。
これまでのことを思うと大進歩している。少なくとも。



その日は母と一緒に駅まで歩いた。父は用事で出かけた後。

母と二人で歩くのが妙に新鮮だった。
滅多にない初めてみたいなこういう日に、些細で素朴な普通の話をした。

先の未来に思い出すならこういう些細で日常的なことの気がして、
僕らにはこういうことがハグに値する気がして、これはこれで良いなと思う。

ハグくらい気軽にできたら良いけれど
それが難しいのが我々だけど
その我々だからこその良さもまた僕らの中にあるのだろう。

距離感 絶賛さがし中。
そんな自分たちをかわいいなあと見ていれば良い。
かわいいなあと、そのくらいの気楽さで。



「人生の残り時間を意識して生きる」という考え方がある。
確かに後悔は減りそうだ。

でも「自分は何を成すか」に強烈な焦点が当たるのだろう。
今度は「自己」とか「欲」で苦しみそうだ。

ゆったり穏やかに暮らせれば何でも良い気がしてきた。
果たしたいことは特に無い。それでも今日を生きている。

僕の形を生きるので良い。我が家のハグと同じこと。

さがすのは僕らのハグにあたるもの。

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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…

それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。

日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。

大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。

返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。

今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。

よければお付き合いくださいませ。


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