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『音楽大進軍』(1943年3月18日・東宝・渡辺邦男)

 喜劇人・古川ロッパ自らが企画した、戦地への慰問目的のバラエティ音楽映画『音楽大進軍』(1943年3月18日・東宝・渡辺邦男)。20年前、キネマ倶楽部からビデオ発売された時、パッケージの解説を書かせて頂いたが、わずか300文字では、書き足りないので、改めて解説レビューを執筆したら12,000文字ほどになった。長文なので、ご注意ください。

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1940年代、ちょうどこの頃、ハリウッドでも「国債購入キャンペーン」と前線の兵士たちを慰撫する目的で『ハリウッド玉手箱』(ワーナー)や、ベティ・グレイブルの代名詞となった『ピンナップ・ガール』(20世紀フォックス)、ジューン・アリスンとグロリア・デ・ヘイブンの『姉妹と水兵』(MGM)などが競作されていた。

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 これらの作品は、いずれもハリウッドスターやグラマラスな美女が、兵士と恋に落ちるラブストーリーに、ジャズやクラシック、映画スターたちの絢爛たるバラエティショーが繰り広げられ、兵隊たちはドイツや日本をやっつける!と意を決して、戦線へ。というパターンの戦意高揚映画となっている。

 しかし日本では、そういう発想にはならず「銃後の私たちは、最前線の皆さんのおかげで、今日も安心して暮らしていけます」という「兵隊さんよ有難う」という考えが基本。なので、ハリウッド映画のような愉しさはないが、それでも明朗な音楽映画を作ろうという、ロッパたちの思いは伝わってくる。

 当時の雑誌広告の惹句には「特に南方共栄圏に向けて製作された東宝映画南方進出の華やかなる大音楽会!」とある。

 ロッパ一座と東宝提携作品で、主演は古川ロッパさん、渡辺篤さん、岸井明さん、三人の喜劇人。銀座の楽器店のサラリーマンのロッパさんと渡辺篤さんが、南方戦線で「大東亜共栄圏」の仲間たちのために戦っている兵士たちのために、大音楽会を企画。一流音楽家たちに、体当たりで交渉をしていく。果たして、予定のメンバーを揃えることが出来るか? というお話。

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 ゲストが豪華! 作曲家・服部良一さん、バイオリニスト・櫻井潔さん、ロッパ舞踊隊、舞踊家・高田せい子さん、ピアニスト・和田肇さん、バイオリニスト・辻久子さん、長谷川一夫さん、山田五十鈴さん、若原春江さん、声楽家・藤原義江さんと瀧田菊江さん夫妻、歌手・灰田勝彦さん、東宝舞踏隊… などなどが次々とパフォーマンスを披露してくれる。岡譲二さんが演じた楽壇の大御所・岡倉龍作の役は、当初、山田耕筰さんにオファーされていたが、中国大陸への演奏旅行があり、出演が叶わなかったという。

 音楽は服部良一さんが担当。自伝によると本作のために「荒城の月」をブギウギアレンジした「荒城の月ブギ」を編曲、演奏したとあるが、本編では、櫻井潔とその楽団東宝管弦楽団による、クラシックアレンジの「♪荒城の月」となっている。(追記)実際に大谷冽子さんが「荒城の月」をブギウギスタイルで歌ったシーンが撮影されたが、内務省検閲前にオミットされている。同様に、古川ロッパが自身のヒット曲「ネクタイ屋の娘」を歌うシーンもプレスコされ、川奈ホテルの庭で撮影されたが、こちらも検閲前にオミットされたようである。

 また、特殊技術・円谷英二とクレジットされているが、タイトルバック以外には目立った特撮ショットはない。クライマックスの帝国劇場での「演奏会」で、円谷さんが『百萬人の合唱』(1935年・J.O.・富岡敦雄)のために導入したクレーンによるライブ撮影を手がけたのでは? 特撮的なショットは、里美藍子さんと中村メイコちゃん!が、大島行きの船乗り場のシーン。セットで組まれた乗り合い場の外に立つ二人。キャメラが引くと、セットの中に、大きな船が停泊している。書き割りにしてはリアル。

 あとは,クライマックス、長瀞の滝の上で、ロッパさん、渡辺篤さん、岸井明さんが揉み合うサスペンス場面のカットバック、さまざなショットをモンタージュしているので、渡辺邦男監督の本編にはない画面のリズムがある。これも円谷英二さんの手になるものではないか?

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♪軍艦行進曲 (作曲・瀬戸口藤吉)

 トップシーンは銀座4丁目の服部時計店。キャメラがパンダウンする。市電や自動車が行き交っている。撮影は昭和17(1942)年11月、戦時下だが、まだおっとりとした空気が感じられる。銀座に店を構える「宝楽器店」店内では自慢のパイプオルガンで、名手・井伊喬さんが「♪軍艦行進曲」のデモンストレーション演奏中。この演奏に合わせて、楽器店勤務の栗川六郎太(古川緑波)が展示品のピアノに座って演奏する手振りをして悦に入っている。撮影は日本橋三越の一階で、店休日に、楽器店の飾り込みをして行われた。この「軍艦行進曲」は、作曲家・瀬戸口藤吉が明治30(1897)年に作曲、3年後の明治33(1900)年に「軍艦行進曲」として生まれた。昭和16(1941)年12月8日の日米開戦後、特に演奏されることが多くなった海軍省の選定行進曲。東宝では、昭和13(1938)年に、瀬戸口藤吉の伝記音楽映画『世紀の合唱 愛国行進曲』(1938年4月21日・伏水修)を製作。滝沢修さんが瀬戸口藤吉を演じて「軍艦行進曲」作曲から、最新の「愛国行進曲」誕生までの半生を描いた。

 そこで栗川、社長室に呼ばれる。実は社長・山倉亮平(杉寛)の友人の実業家・佐伯源造(汐見洋)が、自社の工場でブラスバンドを結成することになったから、伊東のホテルへ打ち合わせに行って欲しいと命ぜられる。そこで栗川は、親友で同僚の矢野半介(渡辺篤)ともに、箱根へ向かう。その道中のバスには、大きな身体の歌手志望の青年・赤岩伸六(岸井明)も同乗していた。

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♪婦人従軍歌(作詞・加藤義清 作曲・奧好義)ロッパ舞踊隊

 バスの中で、ロッパ舞踊隊の女の子たちが、美しい声で「♪婦人従軍歌」を合唱している。眠たい栗川は少し迷惑そうな顔。この曲は、明治27年夏、日本赤十字社の看護婦隊が、広島市宇品の病院へと派遣された時に、新橋駅から出発したその姿の気品と健気さに感激して、近衛師団軍楽隊楽手・加藤義清が作詞。華族女学院教官・奥好義が作曲したもの。

火筒(ほづつ)の響き遠ざかる
跡には虫も声たてず
吹き立つ風はなまぐさく
くれない染めし草の色

 やがて、十国峠でバスがパンクで停車。どうもたびたびパンクで停車してきたらしい。運転手(石田守衛)が車掌(嶺恵美子)に指示をして、乗客たちが下される。富士山を望む峠の空気は冬の寒さが伝わってくる。そこで赤岩伸六(岸井明)と栗川が少し、お互いを睨み合う。女の子たちも「きっと重い人が乗ってるからよ」と、冷たい目線を送る。

 勇壮な従軍看護婦の歌とは裏腹に、ロッパ喜劇のパターンで、この映画のライバル同志の第一ラウンドが展開される。パンクが直り、いよいよ出発というときに非情にも、バスの運転手が、どちらかひとり降りてくれと言い出す。ロッパさんと岸井明さん、互いに譲らずに、出し抜き合う。で、栗川が赤岩の帽子を放り投げて、それを取りに行った隙にバスに乗り込み、赤岩は置いてけぼり。

 必死になって伊東の川奈ホテルまでたどり着いた赤岩。お目当ての音楽家・岡倉龍作(岡譲二)が一足先に帰ってしまったと聞いて大クサリ。

 で、栗川と矢野は無事に、佐伯社長に会うことに成功。すぐに翌朝のカットに変わる。つなぎが不自然なので、ホテルについてからのシーンも撮影していたと思われる。ホテルの中庭では、南方戦線で負傷した療養兵のための慰問演芸会を、これから開くと佐伯社長。栗川たちも楽器のセッティングを協力する。この時に渡辺篤さんが持っているドラムケースには”P .C. L. Orchestra“と書かれている。庭には東宝管弦楽団のメンバー、指揮者の服部良一さんがスタンバイしている。

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♪荒城の月(作曲・滝廉太郎) 櫻井潔とその楽団 指揮・服部良一

 服部良一さんの指揮で、人気タンゴバイオニスト・櫻井潔さんが「♪荒城の月」を浪々と演奏する。服部さんの回想では、ブギウギアレンジの「荒城の月ブギ」を演奏したとされているが、こちらは正調の演奏となっている。曲に合わせて、ロッパ舞踊隊(ロッパガールズ改め)が踊る。それをじっと見つめる、本物の傷痍軍人たち。

(追記)このシークエンスで、大谷冽子さんが「荒城の月ブギ」とタンゴ「碧空」を唄うシーンが撮影されたが、後者は内務省検閲でカット、前者はその前に自主的にオミットされたようである。また「古川ロッパ昭和日記」の記述によれば、ロッパさんが十八番の「ネクタイ屋の娘」をプレスコ、川奈ホテルで歌唱シーンが撮影されている。内務省の検閲削除記録にもないので、検閲前にオミットされたものと思われる。

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♪緑のワルツ 高田せい子・高田舞踊団・ロッパ舞踊団

 続いて、舞踊家・高田せい子(旧姓・原せい子)さんが登場。明治28(1895)年生まれで、東京音楽学校中退後、内幸町の帝国劇場で、日本にオペラをもたらしたローシーに学んだ。帝国劇場歌劇部解散後、大正5(1916)年10月にローシーが開業した赤坂ローヤル劇場に参加。その後、夫・高田雅夫とともに浅草の「根岸歌劇団」に参加。浅草オペラ草創期のメンバーのひとりで、大ベテランの舞踊家である。このとき、すでに47歳。

♪海ゆかば 療養兵たち

 演芸会の返礼として、療養兵たちが歌う国民歌謡「♪海ゆかば」。「万葉集」巻十八、大伴家持「賀陸奥国出金詔書歌」の長歌の一節に、信時潔が作曲。昭和初期のリベラルで軽佻浮薄な世相を正し、非常時の国民の自覚を促す意図で積極的に歌われた。しかし戦局が悪化するに連れ、戦死者を悼むニュース映画やラジオ放送のテーマとして流れるうちに「鎮魂歌」となっていった。歌い終わった傷痍軍人たち。ホテルの庭から粛々と行進して退場していくが、一体どこへ行ったのだろうか? ホテルに泊めてもらえないのだろうか?といつも思ってしまう。(追記)療養兵たちは、伊東の療養所から招聘したという。
 
 この演芸会を開いて、有意義であったと満足気な佐伯社長は、宝楽器社長人・康子(伊藤智子)が、南方の前線で戦う兵士の皆さんのために「慰問袋」を送りたいと思うとの発言を聞いてこう言う。「銃後のつとめとして、慰問袋も結構だが、何かほかにないものかな?」。そこで栗川、胸を張って「今の慰問演芸会を、南方へ送るんです。大東亜共栄圏確立のために、南方の前線で命を投げて戦っていらっしゃる兵隊さんたちにも、今の演芸会を見せてあげたら、どんなに喜んでもらえるかと思うんです」とアイデアを出す。これには宝楽器社長人・康子も大賛同、早速、夫に話して見せますとなる。

 ここから映画が動き出すのだが、大東亜共栄圏だの、南方の諸国の仲間たちだの、侵略戦争を肯定するような言葉の連続に、いささか辟易する。現在の目線で見ると、ああ、こういう「建前」に皆が盲目的に賛同していったのだろうなと。この辺り、ロッパさんも含めて、時局迎合、政府のスポークスマン的な役割なので、歯の浮くような美辞麗句が並んで、いささかウンザリしてしまう。

 早速会社に戻ると、栗川は「空前絶後の企画」として、豪華な出演陣を集めての「演奏会」の計画をぶち上げる。その企画メモにはこう書いてある。

南方慰問音楽出演者予定(括弧内は筆者加筆)
・藤原義江(声楽家)
・同夫人(瀧田菊江・同)
・平岡養一(シロフォン奏者)
・和田肇(ジャズ・ピアニスト)
・櫻井潔(タンゴ・バイオリニスト)
・灰田勝彦(ハワイアン歌手)
・大谷洌子(声楽家・ソプラノ歌手 灰田勝彦さんと「ジャワのマンゴ売り」「空の新兵」をデュエット)
・服部良一(音楽家)
・三原純子(流行歌手 「南から南から」が大ヒット)
・辻久子(バイオリニスト)
・斎田愛子(声楽家・アルト・藤原歌劇団で活躍)
・高田せい子(舞踊家・前述参照)
・渡邊良(ジャズ・シンガー)
・岡倉龍作(岡譲二演じる架空の音楽家、本作の登場人物)

 これだけのメンバーを集めることができるのか? 栗川には全くコネもツテもないが、自分の企画に自信があるので鼻息が荒い。しかし、もしも失敗したら会社のメンツに関わる、その言動は「常軌を逸している」と支配人・峯岸大作(下田猛)は懸念を示す。栗川にとっては天敵のような存在。この映画における抵抗勢力である。一旦、企画から外されて、意気消沈の栗川は自宅へ直帰。

 玄関の前では、隣家に住む同僚・矢野半介(渡辺篤)と妹・栄子(里見藍子)の末妹・紀子(中村メイコ)がお出迎え。まだあどけない中村メイコさんが可愛い。矢野の妹・栄子は楽器店の販売員で栗川に恋をしている。さて、しょげかえっている栗川が食欲がないので、母(英百合子)は心配。東宝映画の母・英百合子さんはロッパさんの母親も演じていた!

一方、宝楽器では、電話で、佐伯社長から栗川の太鼓判を押され、社長も栗川に任せることにする。そのメッセンジャーとなった矢野と栄子は、慌てて帰宅、布団に伏せている栗川に朗報を伝える。急に空腹になった栗川、ぱくぱくと何杯もご飯をお代わりする。

 その翌日、まず手始めに、大作曲家・岡倉龍作(岡譲二)宅へ向かう、栗川と矢野。その前に、岡倉邸に来ていたのは赤岩伸六(岸井明)。歌手になりたい赤岩は岡倉のお墨付き、紹介状が欲しいと、岡倉の支配人(嵯峨善兵)に食い下がるが追い出されてしまう。岡倉邸の前で、栗川と矢野にばったり会うと、自分は岡倉の支配人だと嘘をついて、二人を追い返す。いつもは善人役が多い、岸井明さんは、この映画ではトラブルメーカー。ロッパさんの善行を邪魔する悪役のパート。岸井明ファンとしては、これまた残念至極(笑)

 翌日、日比谷にある「日東紅茶コーナーハウス」をカフェ「ウインナ」として、お茶しながら作戦を練っている天野と栗川。天野が席を外している時に、社長令嬢・山倉明美(高杉妙子)が現れて、交渉リストを見て、顔の広い明美は「和田肇さんなら、これから放送に出るから、放送局へ行きましょう」と内幸町の放送会館へ。矢野は置いてけぼりとなる。

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♪さくらさくら  和田肇

 内幸町の放送会館で、ジャズ・ピアニスト和田肇さんの演奏。和田肇さんといえば、昭和35(1960)年、日活ダイヤモンドラインのアクションスターとして活躍する和田浩治さんのお父さん。映画館での楽士からハタノ・オーケストラ、井田一郎バンドなどでジャズ・ピアニストとして活躍。エノケンが劇団「カジノ・フォーリー」を旗揚げした時にも参加。淡谷のり子さんのバックを務めたことで結婚していた時期もある。昭和16(1941)年、対米謀略放送の演奏者となった。

♪月月火水木金金(作詞・高橋俊策 作曲・江口源吾<江口夜詩>)和田肇

 日露戦争での勝利後も海軍は、休日返上で訓練を行っていた。海軍大尉・津留雄三の「まるで月月火水木金金だ」と漏らした一言が海軍で広まって、それを軍歌に。作詞は海軍軍事普及部・海軍中佐・高橋俊策が作詞、海軍軍楽隊出身の江口源吾(江口夜詩)が作曲。昭和15(1940)年11月新譜としてレコード発売。海軍省海軍軍事普及部推薦曲、つまりPRソングとして、内田栄一、ヴォーカルフォア合唱団がレコーディング。初版は700枚のうち七割返品されるほど売れなかったが、NHK局員のミスでラジオから流れたことで40万枚の大ヒットとなった。『音楽大進軍』の頃は、子供たちも口ずさむほど国民的大ヒットとなった。戦後、ザ・ドリフターズがカバーして、「ドリフ大爆笑」(1977年)の放送開始時のテーマ曲として、昭和50年代の子供たちにも親しまれた。

♪愛馬進軍歌(作詞・久保井信夫 作曲・新城正一)  和田肇

 和田肇さんが演奏している間、ラジオのブースでは、栗川と明美が演奏を見守っている。ノリノリの栗川は、エアー・ピアノを弾く素振りをして、放送局の機会をいじってしまう、というギャグが繰り広げられる。「愛馬進軍歌」は、昭和14(1939)年に各社競作で発売された「軍馬」をテーマにした軍歌。コロムビア(霧島昇、松原操・伊藤武雄)、ビクター(徳山璉、四家文子・藤原義江・小唄勝太郎、市丸)、ポリドール(東海林太郎・内田栄一)、テイチク(藤山一郎)などなど。前年に、日本競馬会から陸軍省・農林省へのオファーで、戦時下の国民の馬事普及のための行進曲、里謡を作ることになった。そこで生まれたのが行進曲「愛馬進軍歌」と童謡「愛馬」だった。その担当者が、陸軍騎兵大佐・栗林忠道だった。

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♪支那の太鼓 辻久子

 続いて天才少女・バイオリニストの辻久子さん。この時17歳。彼女は織田作之助の小説「道なき道」のヒロイン・寿子のモデル。父は宝塚管弦楽団のコンサートマスターだったバイオリニスト・辻吉之助さん。この父娘の物語は、樋口可南子さんが久子、中村嘉葎雄さんが吉之助を演じて「弦鳴りやまず」(1984年・MBS)としてテレビドラマ化された。ちなみに辻久子さんは、2021年7月、95歳で逝去。

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♪兵隊さんよ有難う(作詞・橋本善三郎 作曲・佐々木すぐる) 東京音楽学校児童合唱団

 「兵隊さんよありがとう」は、昭和13(1938)年10月、朝日新聞が募集した「皇軍将士に感謝の歌」で佳作一席となったのが「兵隊さんよありがとう」。ちなみに一等が「父よあなたは強かった」。作詞の橋本善三郎さんは、牛込区鶴巻町・康文社印刷所の工員。作曲は「月の沙漠」の佐々木すぐるさん。昭和14(1939)年1月20日、コロムビアレコードから松原操さんと飯田ふさ江の歌でリリースされた。東京音楽学校児童合唱団の子供たちが、お行儀よく、背いっぱい歌っている姿に心打たれるが、戦争激化により、この子達を、これから待ち受けている苛烈な運命を思うと胸が痛む。みんな大丈夫だったのだろうかと・・・。

 放送局での出演交渉がうまくいき、顔の広い社長令嬢・山倉明美(高杉妙子)に誘われるまま、栗川は、東宝東京撮影所へ。ちょうどサロンの前、一番大きなステージの前で、長谷川一夫さんと、山田五十鈴さんがメイクを整えている。本来なら俳優室の化粧前でメイクをするのだけど、これは映画の嘘。撮影所では、みんな足繁く働いていて活気がある。長谷川一夫さん、栗川の提案に賛同して「演奏会」への出演を快諾。山田五十鈴さんも賛同。そこで撮影再開の連絡があり、長谷川さんに誘われ、栗川たちはスタジオへ。長谷川一夫さんとロッパさんといえば、マキノ正博監督の芸道もの『男の花道』(1941年)のコンビでもある。そうした楽屋オチ的なムードの晴れがましさ。

 そしてスタジオ内では、監督(進藤英太郎)が、スタッフと撮影の段取りを打ち合わせをして、いよいよ本番となる。こうした撮影風景のショットは、当時の観客にとっても嬉しかったろう。

 一方、日比谷公園のカフェ「ウィンナ」で、置いてけぼりを喰らった天野(渡辺篤)は銀座の宝楽器に戻ったところ、栗川から電話で「撮影所に来い」と言われて東宝撮影所へ。しかし正門のところで、紹介状がないからと、守衛(柏原徹、熊谷二良)に門前払いで一悶着。ようやくスタジオの前に来たところで、本番のブザー。

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♪元禄花見踊り 長谷川一夫 山田五十鈴

 長谷川一夫さんが華麗に「元禄花見踊り」を舞う。山田五十鈴さんの出番は、少し後なので栗川たちのアテンドをしている。撮影が最高潮に達したところで、天野が入ってきて、大声で栗川と話をして、撮影はメチャクチャになる。これはハリウッド映画の「スタジオ訪問」シーンでもお馴染みのパターン。

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♪マリアマリ(作曲・エドゥアルド・ディ・カプア) 若原春江

 ともあれ「演奏会」のキャスティングが順調に進んで、栗川と天野はほっと一息。あとは藤原義江夫妻と、音楽家・岡倉龍作(岡譲二)だけだが、両者とも難攻不落。まずは藤原義江宅に向かうが、あいにく夫妻は不在。広い庭では、弟子の千代子(若原春江)が歌を歌っている。若原春江さんは、宝塚歌劇学校、松竹楽劇部をへて、昭和10(1935)年、日活多摩川『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲)で、和歌山小浪として女優デビュー。同時にポリドールから歌手としてもデビュー。昭和13(1938)年東宝映画へ移籍して若原春江に改名、『エノケンの風来坊』(1938年・大谷俊夫)で再デビュー。「マリアマリ」はイタリアのエドゥアルド・ディ・カプア作曲のカンツォーネの名曲。若原春江さんは実写版「鉄腕アトム」(1959年・C X)でアトムのママを演じることになる。

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♪トスカ二重唱(作曲・ジャコモ・プッチーニ)藤原義江 瀧田菊江

 さあ、藤原義江さんをどうやって攻略するか? 明美が情報をキャッチして、栗川と矢野と共に、箱根の山中牧場に静養に来ている藤原義江さん、瀧田菊江さん夫妻に逢いに行く。牧場で朗々と、プッチーニの「トスカ二重唱」をデュエットする。ジャコモ・プッチーニのオペラ「トスカ」は、1900年1月、ローマ歌劇場(当時はコスタンツィ劇場)で初演されたイタリア・オペラの代表作。この二重唱は、トスカとカヴァラドッシの「マリオ!マリオ!」。藤原歌劇団でも度々上演されたこの名曲を、「われらのテナー藤原義江」が歌う奇跡の映像。

 ここでもちろん、藤原義江夫妻は、出演を承諾。この時に矢野が撮りまくった写真の中に、栗川と明美の睦まじいツーショットがあり、矢野の妹はショックのあまりに、栗川を殴ってしまう。昭和18年の女子もなかなかやりますなぁ。誤解されてショックの栗川。

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 あとは、最大の難関、岡倉龍作のみとなる。岡倉邸に、栗川と矢野が向かうと、またまた赤岩伸六(岸井明)が粘っていて、追い出されたところ。赤岩は、栗川に「岡倉先生の支配人」と嘘をつき続けて、接待を強要して行きつけのカフェーへ。どんなに上手いことを言われても嘘なので、見ているこっちはハラハラする。

 それでも色よい返事がもらえたと、胸を張って社長室に赴く栗川。今日、これから岡倉龍作先生と契約すると鼻息が荒い。しかし新聞に「岡倉龍作、演奏旅行へ」と大々的に報じられていて、赤岩がとんだ食わせ者だと気づく。支配人は「岡倉先生を抜くというのは、この会社の信用問題だ。だからこの企画は初めから危ないと言ってるじゃないか」とまたしても栗川を責める。

 黙考していた社長「よし、とにかく明後日決行しよう。その上、会場でわしから、皆さんに謝罪をする」と頼もしきリーダーぶりを発揮。この辺り、喜劇としては面白みもないが、内務省検閲を通った脚本なので仕方がない。

 栗川と矢野、赤岩と契約をする予定のカフェーに行くが、赤岩「ちょっと聞いてきます」と適当なことを言って逃げ出す。岸井明さんの遁走ぶりがいい。丸の内のビル街を走り抜け、東京駅丸の内口の駅舎の前を走る。まだ大空襲に逢う前の駅舎の屋根が誇らしげである。赤岩を追いかける栗川と矢野。このシーンは、撮影された昭和17年の冬の丸の内界隈の貴重な映像記録でもある。

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 汽車で逃げた赤岩を、長岡まで追いかけてきた栗川と矢野。「僕はね、支配人なんかじゃありませんよ!」と告白する赤岩。怒り心頭の栗川と矢野、白糸の滝(という設定だったが藍壺という滝で撮影)の断崖絶壁でもみ合いとなる。そこで赤岩が滝壺へ落下! 栗川は憎き敵だけど、助けようとする。それを止める矢野。結局、二人も滝壺へ! 当時としてはかなりのアクションシーン。もちろんカットを割っているので、岸井明さんもロッパさんも安全なところでの芝居だが、モンタージュが上手いので結構緊迫感がある。

 現存するのは国内公開版で、南方共栄版では、日光、奈良、京都、宮島などの日本の景勝地でロケーションした、ロッパさんと岸井明さんの追跡シーンがあった(らしい)。

(追記)南方共栄版については、内務省検閲記録にも、輸出記録にも残されていないとのこと。筆者の高校時代の友人・鈴木宣孝氏が、デアゴスティーニから発売されたDVDのブックレット執筆にあたっての調査で、判明した。

そして帝劇「音楽大進軍」の幕がいよいよ開く。
社長の勇ましい挨拶「南方共栄圏」の仲間達への慰問の意義を延々と演説する。しかし、まだ岡倉龍作の出演は未確定。さあどうしよう。

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♪ 灰田勝彦の歌声

 ロビーでは社長、栄子(里見藍子)たちが前後策を相談。そのバックに、薄く流れているのが灰田勝彦さんの歌声。実際にはステージで歌うシーンが撮影されたと思われるが、内務省の検閲で「問題アリ」とされてカットされたのではないか? また、冒頭の出演者候補メモに大谷洌子(灰田勝彦さんと「ジャワのマンゴ売り」「空の新兵」をデュエット)さんの名前があるが、やはり出演シーンがあったのかもしれない。

 しかも栗川と矢野は前夜から行方不明。栄子が、岡倉龍作の元へ最終説得に行くことにする。帝劇の前を行き交う人々。戦時下とは思えない、ごく普通の空気。昭和18年春はまだおっとりしていた。やがて栄子が岡倉邸へ。事情を説明するが、支配人(嵯峨善兵)は、演奏旅行のスケジュールがあるからと断る。

 やがて、前日、栗川と矢野が滝壺に落ちて怪我をしたことが判明、栗川の母(英百合子)、矢野紀子(中村メイコ)、栄子たちが病室へ駆けつける。そこでは栗川、矢野が怪我をして入院中、一番軽かったのは赤岩(岸井明)だった。「私だけ傷が軽くてすいません」その時、そっと紀子が病室を抜け出し、病院長の車に乗って、岡倉先生の家へ行って欲しいと頼む。こういう時のメイコちゃん、おじさんキラーの面目躍如。院長先生、万事飲み込んで車を出す。

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♪イゴール公(作曲・アレクサンドル・ボロディン) 東宝舞踏隊 東宝楽劇隊

 帝劇の舞台では、アレクサンドル・ボロディン作曲のロシア・オペラ。ロシアの叙事詩「イーゴリ演奏物語」に材をとったオペラ「イーゴリ公」の第二幕「ポロヴェツ人(韃靼人)の踊り」を、東宝舞踏隊と東宝楽劇隊が踊る。この「韃靼人の踊り」はザ・ベンチャーズの演奏でも、エレキファンにはお馴染み。日劇ダンシングチームが「東宝舞踏隊」と改称したのは昭和15(1940)年のこと。東宝舞踏隊は、この年1月14日公開の『阿片戦争』(マキノ正博)でも華麗なダンスを披露している。

 さて、岡倉龍作宅に着いた紀子(中村メイコ)は、なんとか舞台に出てもらおうと必死に説得を開始。その心情に共感したものの、予定は変えられないと岡倉先生。それでも食い下がる紀子ちゃん。「栗川のお兄ちゃん、先生のところへ来る途中に崖から落っこっちゃったのよ。人を助けようとして、おっこっちゃったのよ」と涙の訴えを続ける。

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♪チャルダス舞曲(作曲・サラサーテ) 平岡養一

 帝劇の舞台では、シロフォン(木琴)奏者・平岡養一さんが、サラサーテの「チャルダス舞曲」を演奏。クレーン撮影によるキャメラは、俯瞰でシロフォンを超絶テクニックで演奏する平岡養一さんを捉える。8年前『百萬人の合唱』(1935年・J .O.・富岡敦雄)で円谷英二さんが開発した鉄製クレーンによるライブ撮影が、ここで最大限の効果を上げている。平岡葉一さんは、子供の頃、銀座の映画館「コンパル館」で映画伴奏者のシロフォンに魅せられ、研鑽を重ねてプロの演奏者となった。昭和5(1930)年にはアメリカ留学、1936年にはニューヨークのタウンホールで独演会を開催。日系アメリカ人女性と結婚してアメリカで暮らしていたが、日米開戦により昭和17(1942)年、交換船で日本に帰国。ビクターからレコードを発売して日本でも一躍有名となり、本作に出演。ちなみに、ジャズ・ミュージシャンで作曲家の平岡精二さんは、従兄弟の息子。

 さて、紀子ちゃんの訴えに絆された岡倉龍作は、支配人に命じて、ひと列車遅らせることにして、帝劇へ駆けつける。病院でラジオをつけ、「演奏会」の様子をじっと聞く栗川たち。アナウンサーの言葉に驚く。「いよいよこの大演奏会の最後の幕を飾ることになりました。岡倉龍作指揮の交響曲「愛国行進曲」でございます。お、可愛らしいお嬢さんがご一緒です」

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♪夕焼け小焼け(作詞・中村雨紅 作曲・草川信) 中村メイコ

 ラジオの前の一同、驚く。続いて岡倉龍作の挨拶。この演奏会のことを知らなかったこと。演奏旅行に出る予定だったが、可愛い紀子の気持ちに絆されて喜んで参加したこと。「愛国行進曲」の前に、以前、自分が作曲した小曲を、この可愛いお嬢さんに歌って頂きます。中村メイコちゃん、おめかしして(いつ着替えたの?)、童謡「夕焼け小焼け」を歌い出す。大正8(1919)年に中村雨虹が発表した詩に、大将12(1923)年に草川信が曲をつけたもの。この『音楽大進軍』の世界では、岡村龍作の曲である。もしも山田耕筰さんが出演していたら、おそらくは「赤とんぼ」(作詞・三木露風 作曲・山田耕筰)だっただろう。紀子の歌の途中、病院を抜け出した栗川、矢野、栄子、赤岩たちが帝劇へ。立見の客と一緒に、紀子の晴れ姿を見つめる。

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♪愛国行進曲(作詞・森川幸雄 作曲・瀬戸口藤吉)藤原義江 瀧田菊江

 そしていよいよ「演奏会・音楽大進軍」のグランド・フィナーレは、「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉博士が、昭和12(1937)年に作曲した「愛国行進曲」。内閣情報局によって歌詞が一般公募され「国民が永遠に愛すべき国民歌」として選ばれた国民歌謡。同年8月に閣議決定された「国民精神総動員」を具現化するものとして、大流行した。東宝では瀬戸口藤吉博士の半生を描いた『世紀の合唱 愛国行進曲』(1938年・伏水修)で、この曲の誕生秘話を描いている。この曲を、われらがテナー藤原義江さん夫妻が歌い、オーケストラが勇壮に演奏する。一大プロパガンダだが、これが拍手を持って迎えられていた。この曲のメロディーは、平成に入って、松竹映画『釣りバカ日誌2』(1989年・栗山富夫)の中で、ハマちゃん(西田敏行)とスーさん(三國連太郎)の会社「鈴木建設社歌」として久石譲さんがアレンジ。

(追記)本稿をUPした後、SNSを通じて、デアゴスティーニ版DVDブックレットを執筆した、高校の同級生で特撮研究者・鈴木宣孝氏から、内務省検閲や南方共栄版について、様々な示唆を頂き、一部修正と追記をしている。鈴木氏の調査は、デアゴスティーニから発売された「東宝・新東宝 戦争映画DVDコレクション」70号ブックレットに詳述されている。長年の友人に感謝、多謝である。


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