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出会い

その地を知ったのは偶然だった。
僕は新しい刺激を求め、視点を海外へと向け始めていた。見たこともない国を知りたいという思いも少しはあったが、本当の気持ちは少しだけ違っていた。

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僕が18のとき、初めて北海道と出会った。写真というものに関わり出してすぐの頃だ。つまりは、僕の写真人生は北海道とともにあると言っていいのだと思う。だから僕は、ずっと北海道の人になりたかった。通えど通えど、僕は旅人でありこの地に迎え入れてもらった感じがしなかったからだ。この地の内側から写真を撮るためには、結局のところ住まなければならないのだということにぼんやりと気づき始めていた。だからこそ、早くここに移住することで「土地の人」になりたかった。土地の人になることで、風の匂いや土の香りを内面から感じることができると信じていたし、五感で自然を感じる日々を送ることで見える風景が変わると思っていたから。

その後、僕はこの地と20年以上の遠距離恋愛を続けた。遠く離れた恋人に会うように大阪から通い続け、最高の瞬間を追い続けた。ただ、振り返ってみるとたった一度も満足したことは無かったと思う。あれほどまでに恋い焦がれ、出会いの日を夢見て働き、やっと出会えた恋人と数日間を過ごす日々は確かに楽しいものだったし刺激的だった。でも、僕はこの土地と表面的な付き合いしか出来ていなかったのだと思う。20年以上も僕は内面を見てこなかった。だから、いま写真を見返してみてもどれ一つ心に刺さらない。表面的には着飾っていても、何も美しくないことに気づかされるのだ。

遠距離恋愛を10年ほど続けた頃、僕はついに決心した。もう移住しようと。そうしなければ、恋人の本当の姿を見ることができない。そこから10年ほどの準備期間を経て、僕は北海道に移住する。2012年のことだ。この時僕は「土地の人になる」と決意したのだ。住めばいい条件に出会えるから、ということではない。住むことで土地の空気が体に染み渡り、僕の心が自然に同化していく。やっと本当の恋人になれるような気がした。

2020年。僕がここに移住して8年の月日が流れた。いまではこの土地の水と空気と土が僕の体を支えている。此処で採れた野菜は空腹を満たしてくれるし、家の水道からは大雪山の山から流れてきた水がとめどなく流れる。今では僕もしっかりと土地の人になれたように思うのだ。

ただ気がかりな点が一つだけあった。中に入ることでこの土地を俯瞰することが難しくなるということだ。言い換えれば、外から中を見るという冷静さが失われてしまうのではないか、そう考えるようになっていった。それは事実で、当たり前の日常は自分の行動をルーティン化し、自らの行動をトレースしていくことがある。その行動自体は基本的に大切なことであるしこれからも続けていくのだけれど、「俯瞰する」という概念を持ち続けなくちゃならないのも、また事実だ。人は社会との繋がりで生きている。個があって社会があるのではなく、社会があってこその個だという思想もあるというが、確かにそうだろう。だから中に入りすぎることで冷静さが失われ、ここの本当の姿が徐々に見えなくなってくるのだ。

そこで僕は一旦外に出ようと考えた。この土地のさらに深淵を知るために、外の世界を知る。矛盾しているようだけれど、案外理にかなっていると思っている。これまで見たことのない世界を知ることで、此処がいかに素晴らしいかを知ることができるし、無いものにも気づく。

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そんな思考を巡らせる中で思いついたのが、海外へ視野を広げるということだった。様々な人の協力もあって海外へ出かけるようになる中で出会ったのが、パキスタンだったというわけだ。誰も行ったことのないところへ行ってみたい。北海道とは真逆の世界を見てみたい。そんなイメージだけを抱いていた僕にとってなんとも甘美な響きが「パキスタン」だった。

(つづく)



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