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青い溜まり

この場所でちゃんと撮影したのは数年ぶり。先日、団体ツアーのアテンドで久しぶりにやってきた。近所なのだけれど、銀座並みの混雑ぶりに足が遠のいていた。駐車場もトイレも売店も。いわゆる観光地化というやつに飲み込まれた青い池。飛び交う言語は日本語ではない。

僕がこの場所を知ったのは、師匠の高橋真澄から教えてもらったのがきっかけ。もう30年近く前になるだろうか。あの時は、クマの危険地帯だったっけな。もちろん、観光客はおろか、写真家すらいない。地元の人にすら知られていないこの場所を、高橋真澄はある日発見した。
アップルの壁紙で有名になった、と言われているけれど、それよりずっとずっと前に高橋は青い池を撮り続けていた、あの頃は僕らの間で「青い溜まり」と呼んでいたっけ。

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高橋の写真集「blue river」を知っているだろうか。発行は1998年。30年以上も前から、高橋はたった一人でここに通い、多くの作品を残している。もしどこかで見かけたら是非この写真集を見て欲しい。どれほどこの場所が静謐だったか、わかってもらえるだろう。そして、今世の中に吐き出されてくる青い池の写真が、高橋真澄のイメージを超えられていないことにも気づいてもらえると思う。

この場所が美瑛の代名詞のように語られて久しいけれど、この場所の魅力に初めて気づいた高橋真澄の功績は計り知れない。当時、写真集「blue river」を手に美瑛町役場を訪ねた高橋は、驚くべきことに、門前払いにあっている。人が入ったら困るから発表しないで欲しいとさえ言われたという。それが、いまでは青い池ソフトクリームまで売っているのだから、なんとも不思議なものだ。美瑛町に多大なる貢献をした高橋に感謝状くらい送ったっていい。

僕がこの投稿で何を言いたいのかというと、風景とは発見であり気づきであるということだ。誰かが見つけた風景に倣っていても、それは作品とは言えない。言うなれば模写だ。プロだからとか、アマだからという話でもない。表現に関わるアーティストならば、新たな発見を模索したいものだ。

前田真三と高橋真澄は全く異なる表現方法でこの地を描いた。さて、中西敏貴はどのような切り口で描こうか。自戒の念を込めて。

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