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大川博・映画の新時代を築いた男

東映株式会社と聞くと、どんなイメージがありますか?

僕はやはり三角に縦書きで「東映」と記されたロゴから始まる映画をイメージします。
実際には映画、テレビドラマの他に不動産やホテル、映画館の運営など14もの事業体を所有しています。

異色のヘッドハンディング

そんな東映は1949年に東京映画配給として誕生。
1951年、東横映画株式会社と太泉映画株式会社の吸収合併をし、株式会社東映と名称変更をしました。
東京映画配給は東急電鉄が運営していた映画会社です。
そして東映設立と共に、初代社長として就任したのが、東京映画配給で社長をされていた大川博さんでした。

大川博さんは新潟生まれ。鉄道高等官に憧れ鉄道省事務官になり22年間を鉄道省に勤務していました。
そして1940年にある講演会でスピーチをした際に、東急電鉄の社長である五島慶太氏の目に留まったのです。
2年のアプローチの末、大川氏は東電へ入社を決意。
更にその後、東京映画配給設立となり突然、鉄道から映画の世界へと飛び込んで行かれたのでした。

まったく、素人よりコワイものはない

これは大川博さんの言葉です。

多重債務を抱え倒産寸前だった東京映画配給を黒字転換させた大川氏は、
最初に映画の制作費の上限と、1本あたりの利益目標を現場に徹底させました。
当然、監督や役者などの映画人たちは猛反発。
しかしこの方針が後の経営回復につながるのでした。
映画の世界を知らない「素人」だから、押し進める事ができたそうです。

その後も「2本立て映画」「教育映画」など、新しい形の事業展開をされていきます。

知らないから一歩踏み出す

何が起こるのか、どんな仕組みになっているのか。
人はわからない事に対し、漠然とした不安を感じます。

初めての登校日、入社日など、みなさんも経験があると思います。

しかし、不安だから行動しない、わからないから踏み出さないでは、
いつまでたっても今いる場所から動くことはできません。

やってみて分からないほど、自分は馬鹿じゃない

そう思って、初めて転職を選んだ時を思い出します。
確かに多少の損をする事もあるかもしれません。
しかしそれは、経験を得る為の”勉強代”だよと教わりました。
2回、やらなければ良いだけです。

知らないから、素人だから、臆する事なく飛び込める!

失敗しても当たり前、最初から100点満点でなければけない理由はありません。
60点だったとしても、あと40点をどう取るかを考えるだけです。
何より、既に100点をとっている先人がいるのであれば幸運!
どう取り組んだかを聞けば良いだけです。

大川さんの挑戦する姿から、素人を武器に前進する事を学びました。
自分の人生に、新しい経験を加えていくのに、「素人」の自分は
飛び込むだけ。

新しい経験をする毎日、最高にエキサイティングな毎日にしていきたいですね☆

ではでは☆

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