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映画『ひびきあうせかい RESONANCE』 コメント一覧

田中将賀(アニメーター)

青柳拓次さんの音楽と共に色々な場所のそれぞれの音を聞く。当たり前なんだけどそれをあらためて聞くと面白い。
そして、彼の素敵な笑顔と共に人々との絡み。
今だからこそこのゆっくりとした、暖かい時間の共有が心に染みます。


佐々木俊尚(ジャーナリスト)

人類が言葉も文化も分かれ、バラバラになってしまう以前の原初の音楽ってどんなものだったのか。グローバルの時代にあらためてそのサウンドをもとめてさすらうLITTLE CREATURES青柳拓次さんの魂の漂流。
なんという多幸感にあふれた映画なのでしょう。
最初から終わりまで音楽のさざなみに揺らされて、夢のような作品。


熊谷和徳(タップダンサー)

青柳さんという人間が表現する言葉、声、音、エネルギー、その全てから青柳さんという人そのものの人柄を感じます。

都会のアスファルトの冷やっとした空虚感も、沖縄の透きとおった海のおおらかさも、そしてそこに流れた血の悲しみも、まるで昔から見てきたかのように、 青柳さんは自分の身体を通して表現して、そして出会う人たちと響き合って共鳴しあっている。

その音色は過去から、今の時代、そしてずっと先へと向かっている。

そして僕にとっては、青柳さんが物静かにボソッと面白いことを言って笑わせてくれる時が大好きです。



野村友里(料理人/eatrip主宰)

母なる星は父が導く星でもある
人と地球の声が共鳴し合い一つの音となって遠くの誰かに伝えることができるのだろうか
やさしくその道が鼓動し始める


安藤紘平 (東京国際映画祭プログラミングアドバイザー)

この声の向こうにイーハトーブ(理想郷)が見える気がします。


桑原茂一(選曲家)

彼の音楽の魅力は何と言っても品が良いことではないかと思います。または間合いが美しいとも。表現者なら当たり前の自意識「俺の〜」が微塵もないとは言わないまでも誠に控えめなんです。にも関わらず彼の奏でるギターの音色は山奥の湧き水のように透き通って美しい甘露の響があります。
で、このドキュメント映画の狙いは、30年間の音楽活動の中で青柳拓次の目指したものは何か?であったと思います。 そしてその何か?に触れた瞬間私の眼にも湧き水が溢れ出したのです。
別の言い方をすれば、人間として真摯に生きている人には音楽からご褒美をくれる。に感動したのです。 つまり魅力的な人が音楽を作るから感動を呼ぶのです。すべての物作りはそこにあると思います。


ヴィヴィアン佐藤(美術家・ドラァグクイーン)

宇宙が生まれたときからの人間が聴こえない音や波動は今も存在している。
私たちの声は途絶えてもその残響は完全に消えることはなく、この宇宙のどこかに微かに鳴り響いているはずだ。
それら古代の微細な音の痕跡に耳を傾けて寄り添ってみること。
身体、地球、宇宙はすべて楽器であり、「サークルボイス」は古代から未来へつなぐヒーリング・セラピーであり、チューニングなのだ。


山川建夫(元フジテレビアナウンサー)

人間の本来の在り方、生きものの本来の在り方。全ては本来繋がっているという最も基本的な在り方を端的に示している作品です。

その宇宙の根源的な在り方を、壊しているのが、”自我”を肥大化させていこうとする社会の在り方です。自我の肥大化を利用したグローバリズムと名付けられた経済成長至上主義でしょう。

声を通した繋がりが、支配者たちがつくり出す対立(イスラエル、パレスチナ、日韓…等々)を無用なものにしていくのだと思います。


大西功一(「スケッチ・オブ・ミャーク」監督)

音と映像のゆりかごにゆられて僕はどこかに戻っていたのかもしれない。 まるで目を明けながら眠っていたような。 そして醒めてもなお夢をみているような心地ちよさ。



小金沢健人(美術家)

一滴のしずくが水面に落ちる。 波紋がきれいに広がっていく。
やがて有象無象の波が交錯する。
波が重なり、ぶつかり、打ち消し合うようなところでも、音はまた浮かび上がり、鳴る、響く、届く。
そう、音と共に進む映画なんだ



林原玉枝(童話作家)

美しい映像でした。私たちは、どこからきてどこに行くのかという、人間の根源的な問い。
宇宙の一部である私たち一人一人の命。それらは、すべていつか一つに繋がっていく。
「スーパーローカルヒーロー」に続く田中監督の第二弾新作。
監督の眼差しの暖かさに包まれて、映画の観客は、きっと、命について、この地球について、思索しながら帰路につくだろう。



みく(思想家)

21世紀に入り、この世界はより混沌としてきた。移民排斥運動、ヘイトスピーチ、全世界的な右傾化、政府による国民の弾圧……文明の進歩に逆らって、もはや人類は「平和」や「調和」とはほど遠いところに来てしまった。

この世界では、ややもすると巷に飛び交う情報の多くも強迫観念じみたプロパガンダのように感じる。藝術作品もそうだ。映画だって例外じゃない。そういった潜在化されたメッセージを受け取っていると、すべてに懐疑的になり、なにかに触れるのも億劫になってしまう。

本作「サークルボイス(仮)」は、そういった押しつけがましさのない、実験的で稀有な映画だ。描かれるのは、美しい風景、日常の一コマ、人々のささやかなやりとりだけで、そこにストーリーや意味を見いだそうとすると、多くの人は戸惑うに違いない。しかし、そこにこそ本作の本懐があるように思われる。ここには、「ヒーロー」もいなければ、スカッとするようなわかりやすいプロットもない。だからこそ、わたしたちは作品をありのままに捉え、感じることが許される。思考することをやめ、感覚的に作品を感受できれば、本作は正に「BGM (バック・グラウンド・ムービー)」と呼ぶにふさわしい作品だ。

商業映画の枠組みから外れたその内容と向き合ったとき、わたしたちは映画という文脈そのものから解放されるような、一種の自由を感じることができる。抑圧された社会だからこそ、必要以上の意味づけを持たないこういった作品が多くの人に見られることを願う。

日常は、映画のようではない。映画こそ、日常のようなのだ。



村上大樹(作家)

ラスト5分、全身に鳥肌がたった。ぼくが知りたい世界の感触の手触りが、あまりにもリアリティを持って体感できたからだろう。美しくて、恐ろしくもあり、優しい。この映画は、エンターテイメントではない。安易なわかりやすさとは対極にあると感じている。理屈を超えたところで涙腺がゆるむ体験をしたのは、ゴダール映画と「ひびきあうせかい」の他にはない。


河本清順(シネマ尾道支配人)

現実でもフィクションでもない、観たことがない未知の世界がスクリーンいっぱいに広がった。そんな世界に身を置くことを許してくれる優しさが、心に響く。世界は厳しいけれど、それ以上にたくさんの温かいものは存在する。 「私はここにいて大丈夫。」 と、すべてを包み込み、肯定してくれるこんな映画はどこにもないだろう。 ありがとう、田中トシノリ監督。


青柳拓次(音楽家)

映画「ひびきあうせかい RESONANCE」は、Circle Voice(以下CV)の最大の理解者であるトシ君が、約5年に渡ってCVを見つめてきた軌跡であり、自由で感覚的に開かれた作品です。

彼の眼差しは、世代に渡り受け継がれてきたテーマを炙り出し、CV自体の内容にも大きな影響を与えてくれました。

「表面的な違いの先にある、皆が同じであるということ」。それを言葉ではなく、体感できる機会をつくっていく。その精神に共鳴してくれているトシくんの映画を、ぜひ実際のCVと合わせて体感し、応援して頂きたいです。


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映画公式サイト



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