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夫婦別姓についての追記

秋の総選挙を控えて、選挙の論点となりそうな課題が今後いくつか再浮上してくるものと思われる。今の与野党間にはイデオロギーをはじめとする価値観や立場に大きな差がないため、「野党として与党と異なる立場を取っても大勢に影響がない軽いテーマ」として、夫婦別姓の是非が取り上げられることになるだろう。もちろん、与党の支持層は夫婦別姓反対論者が多いらしいことは間違いないが、与党の支持基盤にとっては、コロナ対策や経済のような優先順位が高い論点と比べると、おそらくは「どちらかと言えばどうでもいい」テーマであると言ってよく、その分メディアが取り上げやすくなっているのだろうと想像する。多分この石井リナという人は向こう1~2か月くらいはテレビ出演などもするようになるのではないだろうか。

さて、この記事に関する感想としては、実はコメント欄にある村上れ以子という人のコメントが割と的を射ていて、私の言わんとしていることを代弁している。引用すると、

ただし『母が悪いわけじゃなくて、生きてきた社会の影響ですよね。時代時代で意識をアップデートして価値観が共有できたらベストだと思うけれど(後略)』といった、アップレート(原文ママ)した先に自分の価値観(この場合は夫婦別姓)があると決めつけての話し合いでは、着地するのは難しいでしょう。
逆に多様性を否定していますし、相手を尊重しない話し合いは、うまくいかないケースが多いと感じます。

すなわち、ある制度について自分たちの利益につながるような変更をお願いする立場なのだから、自分たちの正しさだけを主張するのはやり方としては間違っている、ということである。私自身は夫婦別姓については「消極的に賛成」、すなわち特に反対する理由はないという立場で、それはその制度が変更されるか否かは、今も、おそらく将来も、利害関係は発生しないだろうという了解に基づいている。私のような立場の人が、このテーマについてはマジョリティなのではないだろうか。しかし、そんな立場にあっても、夫婦別姓の主唱者たちが「私たちは正しく、これは正当な権利なのに、お前たちが頑迷固陋であることの犠牲になっている」「お前たちは啓蒙されなければならない」みたいなスタンスで来るのは、正当性はともかく戦略として賢くない、と思うのである。

もう一つ気になったのは、このパートナー(この表現も好きではないが)の三澤という人のコメントである。

「僕も自分の姓を変えることには抵抗があります」
「男性という〝強い立場〟にいることで、まだまだ誰かの不平等に気づけていないかもしれません。いま決定者に男性が多いからこそ、そんな意識を持った男性が増えていくことが、平等な社会にスムーズに近づくことになると思っています」

と言っているのだが、三澤は「リナが名前を変えたくないんだったら、俺が変わろうか」というスタンスが全くないにもかかわらず、自らが男性であることを棚に上げて世の他の男性を啓蒙しようとしているように見えてしまうのである。石井の側は自らの経営する会社の『経営層を100%女性にする』などの「アファーマティブアクション」を実践してまで「差別」を是正しようとしているが、三澤の側は結局まだまだ自らが「〝強い立場〟にいることで、まだまだ誰かの不平等に気づけていない」を地で行っている。逆に言うと、石井は自分のパートナーである三澤すら啓蒙できていないわけで、最も身近な相手すら説得できていないこの戦略が間違いであることを示している。

記事にも書かれている通り、日本における既婚女性は多くの場合姓を変えており、それは望んでそうしたかもしれないし、石井の友人のように「泣きながら名前を変えた」のかもしれない。しかし、それらの既婚女性はその「慣習」を受け入れた過去がある。過去の判断は今からでは塗り替えられないし、多くの場合取り返しがつかないところまで来ているのである。そのような既婚女性の前に、自分の利益のために男女別姓を認めてほしいと主張する若い女性が現れ、その既婚女性が受け入れた「慣習」は間違っていて私は受け入れるつもりはないし、そんな「慣習」は改めるべきだ、と言われたらどうだろうか。政治とは感情なのである。

それから、もう一点。もし本気で「日本を変えたい」と思っているのであれば、間違っても「日本を出ていった方が早そう」などと口走ってはならない。あまりにも自己中心的ではないか。

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