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地球で生きるのは大変です

5/11にダチョウ倶楽部の上島さんがお亡くなりになりました。

そのニュースをリアルタイム見た時は、「嘘ででょ?」と、我が目を疑いました。

いや、元々優しすぎるぐらい優しくて、すごい繊細な心を持った人なんだろうなとは生前から感じていました。

ただ、上島さんは人徳のある人で、売れない後輩の面倒を一生懸命見たりして、すごく慕われていたみたいですし、先輩方からも可愛がられていた人だったようですよね。

上島さん亡き後、様々な方が追悼のコメントを出していましたが、コメント以上に、関わったみなさんが実際に本気で涙したり、泣くのを堪えながら一生懸命コメントを出していましたね。それがとても強く印象に残っています。

そういうのを見聞きすると、上島さんは何て多くの人に愛されていた人だったんだろうと、痛感します。

こんなに愛されてるのに何で?って最初は思いました。

私はスピリチュアリストですが、敢えてその観点で、霊視などで上島さんを語るのはやりたくありません。

100%通信できるかは難しいですし、それは人として不謹慎だと思うからです。

ただ、私は強烈な「共感覚」の持ち主なので、自分なりに上島さんの気持ちに寄り添って考えてみたいと思います。

お亡くなりになった原因は、複合的なものが重なってだと思うのですが、一番ショックだったのは師匠の「志村けん」さんの病死だったのではないか?と思います。

本当に公私共に志村さんと一緒にいる機会が多かったようで、志村さんにお笑いのことや生き方・考え方などもインスパイアされていたようです。

それ程、自分を可愛がってくれて、いつも一緒にいてくれた志村さんが突然、コロナでいなくなり、繊細な竜兵さんにとってそれは、本当にこちらが計り知れないほどにショックだったと思います。

コロナ前は有吉さんや土田さんが参加する、「竜兵会」があり、何か辛いことや悩みがあったらそこで何時間も酒を酌み交わし、語り合っていたそうです。

志村さん亡き後、竜兵会で集まることが可能だったなら、きっと愚痴や悩みをこぼしたりしてガス抜きが出来ただろうし、後輩たちもすごく慕っていたようなので、親身になって上島さんの話を真剣に聞いてくれたのでしょう。

しかし、それもコロナで奪われた。

芸風もかなり「密」なお笑いの仕方だったので、コロナのせいで出来なくなって、そういったジレンマもあったのではないかな?と思うのです。

上島さんには奥様もいらっしゃいましたが、自宅でしんみりと二人でいると、なんだか色んなことを考えてしまって、かえって苦しくなってしまい、だからやっぱり外にでて、竜兵会の人たちとパーっと飲みにいって鬱屈した気持ちを晴らしたい!って思いがあったのかなと感じます。

真面目な話、スピ的には、自殺は絶対ダメです。

何があっても、道に突っ伏してでも、生き恥晒して生きなきゃいけないんです。

でも、私も退行催眠をかけてもらって、私自身の前世を見に行ったところ、私は前世はアイルランドの男性で、自殺した過去が見えたので、今生でなぜ希死願望がやたら強いのかが理解出来ました。

その前世では家庭にも恵まれず、仕事もままならず、独身のまま、この世で生きるのが心底嫌で、自死を選びました。

だから、スピリチュアリストとしての正論は「何があっても絶対自殺はダメ!」なんですけど、そういう気持ちになってしまうことも、人生生きてれば、大なり小なりそんな考えがよぎることは誰しもあると思うんです。

自殺に至るまでには色んな葛藤もあっただろうし、自分自身では、もうどうにも抱えきれない程に生きてることが重荷になってしまって、もう考えることすら嫌になって、早く楽になりたいと思ったんだと思います。

生きるって本当に大変なですよね。

中には人生イージーモードで、何もかも恵まれてて、鈍感で、陽キャで、大して悩みもせず生きてる人も沢山います。

まあ、そういう人からすれば、上島さんの自死に対して、

「別に死ぬこと無いじゃん。
周りの人に相談すればいいじゃん」

とか言っちゃうんでしょうね。

鈍感な人から、「上島さん真面目過ぎ、悩みすぎ!もっと気楽にやってこうよ!」なんて、心無い言葉も言われたんだろうなって想像できます。

でも、上島さんはすごく思いやりがあって優しくて気弱で、打たれ弱い人だったと思うのです。

だから多くの人に愛され、慕われてきたってところもあると思うんです。

反面、デリカシーの無い人たちからは、信じられないような鈍い言葉を浴びせられ、それを深く受け止めてしまっていたのでしょう。

9割の人が上島さんを慕い、肯定的に思っていても、たった1割の人間の悪意やからかいなどの言葉や態度の凶器で、相当傷つけられたんだろうと思います。

上島さんを慕っている人との、コロナによる接触の断絶は、上島さんにとっては生きる活力を奪われたぐらいの辛さだったんだろうなって思います。

生きるのが、本当に大変だっただろうなって思います。

この世は本当に、ちょっと鈍くて、無神経で寝ようと思って3秒で寝れるぐらいの図太い神経の人しか、生きやすくはないですよ。

他人の所作や言葉・態度など全然気にしない方が、この世は本当に生きやすいだろうなぁと痛感します。

私も割と生きるのに目に見えないハンデがけっこうあって、めちゃめちゃ生きづらかったので、少しは上島さんの気持ちがわかります。

いまさらタラレバの話になってしまいますが、上島さんに神様や仏様の存在を身近に感じて欲しかったなぁとは思います。

特定の宗教に入るとかそういうんじゃなく、何か辛いことがあったときに、気軽に立ち寄れるお寺や神社があったら、けっこうギリギリで踏ん張れたのかなって思います。

志村さんは、確かにすごい立派な方です。

しかし、肉体を持っている以上、いつかは亡くなるんです。

それがあまりにも突然だったから、ショックだったのも気持ち解ります。

でも、志村さん以外に、目に見えない高級霊とのつながり(信仰心)があれば、もしかしたら…とは思ってしまいます。

・・・ホント、今さら何なんだよ!って感じですよね。

でも、あまりにも残念でならないんですよ。

志村さんが亡くなったときと同じくらい、いや、それ以上に悲しいですね。

お亡くなり方がね…

無念ですね。

次生まれ変わるときは、絶対に途中で人生投げ出して欲しくないですね。

人生、どんなことがあっても、生き抜いて欲しいですね。

自殺は後悔と自責の念が沸くだけです。

遺された人々も、本当に悲しいです。

そして、なかなかすぐに成仏が難しいんです。

辛い思いを抱えたまま、そこに留まらなきゃいけないんです。

浄化できるように、私も自分の行っているお経で、少しでも供養出来ればと思っています。

長くなってしまいました。

上島さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

                       
                        合掌



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