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チャンスメーカーであれ。~また5年生になる日~

2022年10月27日。
ここに新しく『After school project』がスタートしました。

「やるぞ!」と決まった10/27のMTGのスクショ。
前日まではバングラメンバーと意見が合わず、始められないと本気で思ってた。


まだ暑いバングラデシュにいた私と、工場長のAminさん、このプロジェクトを現地で進めてくれているNazmulさん、一緒に渡航に来てくれたがんちゃん、そして日本からオンラインで参加してくださった社長とのオンラインMTG。

「生まれる場所って選べたのかな。」
「子どもは親を選べるのかな。」
「生まれた環境で将来が決まっていいのかな。」
「俺らだって偶然日本に生まれて、彼らだって偶然バングラデシュに生まれたんだ。」
「学びたいと意思がある人には、教育の権利は平等で、そのチャンスは何回だってあっていいよね。」

議論の末、私たちに、
「Education for everyone.」
という共通言語が誕生して、工場としてまた一歩新しいステージに立てた気がする。

“14歳で結婚。“
“女性は10代で結婚する。”
“子どもが働いている。”
そんな世界が当たり前で、生まれたころから目の前にその光景が広がっていたであろうバングラデシュのみんなと、同じ理想の社会というビジョンを持つのは簡単ではないけれど、
理想を共有し、それを夢で終わらせない。

みんなと一歩を踏み出せたのは、私たちがいつも“同じ船に乗っている”からだ。

私はどれくらいビジョンにコミットしているのか。

「児童労働をなくし、世界中の子どもたちが教育を受けられる世界をつくりたい」と入社して、5年が経とうとしていた。
コロナでバングラデシュに行けなくなって、
最近の私の頭の中はいつも“どうやったら1着でも多くの服を売り、雇用を増やせるか”でいっぱいだった。
ある意味、現地を現地メンバーに託し、
私は私の仕事に集中していたともいえる。

そんなとき、タスクの変更で、偶然にも2022年6月。
約2年半ぶりに、バングラデシュの自社工場へ約3か月間向かった。

今までと違い、現場に張り付いた。
そのおかげで、みんなとの心の距離もとても近づいた気がします。

タスクは品質管理だったけれど、バングラデシュにいると、日本では感じきれなかった無力感に日々襲われた。

・コロナで倒産したという他社の工場は空っぽだった
・物価高騰が続き、2倍になっているという生活コストで、働くメンバーからは「生活どうしよう、、」と嘆く声がたびたび聞こえた
・工場の稼働日まで政府によって変更される深刻なエネルギー不足。金曜日だった休日は、日曜日に変更された。
・コロナで両親の収入が不安定になり、働きはじめた若者が増えていたこと
・コロナで学校が2年間閉鎖となり、働き始めた学生が増えたこと。

私たちの自社工場は、給料カットや解雇はなく、ロックダウン中もお給料を支払い、メンバーの健康管理を行っていたと聞いていたので安心していたけど、実際に現場にくると、心の中は穏やかではなかった。

・工場全体の仕事量が減り、マネジメントメンバーは日々、工場の経営・運営に頭を悩ませていたこと
・コロナになった2年間。メンバーのお給料を、私の想定よりあげられていなかったこと
・仕事がない日はもちろん工場は休みになること

申し訳なかったし、情けなかった。
オンラインのMTGでみんなと繋がっていた気がしていたけれど、私はマネジメントメンバーの気持ちを100%理解できていたわけではなかった。

でも、そんな大変な状況の中でも、3か月間一緒に働いた検品会社BLI社長のLimonさんは、ビジョンを忘れていなかった。

BLI社長のLimonさんと、検品リーダーのRashedさん。
仕事もプライベートも相談・共有し合える仲間に出会えて、3か月間たくさん刺激をもらったな。

「僕の仕事は、身体の障害がある人や高齢で働く機会のない人に雇用を生むこと。まだまだ全然足りないんだ。どうしたらいいかな?」「検品という仕事以外にも、他にも選択肢はあるかな?」「いつかは自分の生まれた村にも恩返しがしたいんだ。」

Limonさんは日々、自分の会社の、自分の理想の社会に立ち返り、
そこに対して何ができるか、必要かを考えていた。

理想の姿を、“1着でも多く売ること”にシフトしていた私とは大違い。

私にとっては、BLIはもう十分素敵な組織文化があり、みんながしっかりと丁寧に仕事をする理想のチームだったのに。

そんなとき、ふと、5年間を立ち返ってみた。
私の5年間の働きで、学校に行けた子は何人いるんだろう。
私はそこに対して、全力でコミットできていたのかな。

私はもう一度勉強がしたい

帰国してから、私は再度彼らの声を聞くために、2022年10月、バングラデシュに向かった。
(1着でも多く売り、少しでも事業を前に進めなければいけない状況の中、
「自費で行かせてください。」という私の突然のわがままを、むしろありがとうと言って背中を教えてくれたサンモニの皆さん、ありがとうございます。)

バングラデシュに到着して、
100名以上いる工場のメンバーの中で、問いかけた質問は一つ。
「チャンスがあれば勉強がしたいという人はいますか?」

21人のメンバーからYESという答えをもらい、
約1週間をかけて一人一人に話を聞いた。

インタビューの様子。
現地のリーダーNazmulさんのおかげですべて進んで来れました。

子どもに宿題を教えられるようにしたいというお母さん、
自分の名前を書けるようになりたいという方、
英語を勉強したらもっと給料があがるなら勉強したいという方、
自分で本を読めるようになりたいという方、
彼女たちはの理由は様々で、21人分のストーリーがあった。
そして、彼女たちの多くは、小学校を卒業していないメンバーがほとんどだった。

After school projectがスタート。

彼女がまた5年生になる日。


21人のメンバーの中で、今回私たちが最初にスタートしたのは【復学サポート】

18歳のLima sanは、5年生になる前に、弟の面倒をみるために学校に行く日数が少なくなり、そのまま退学したそう。
家にいたLima sanを、お父さんは「なぜ家にいるんだ」「外で稼いで来なさい」と怒鳴ることもあったようで、
その話をLima sanは泣きながら話していた。

でもきっとLima sanはお父さんのことが心から嫌いなわけではなく、お父さんに怒りの感情を持ちながらも、Lima sanは、将来は勉強して、家族のために働きたいと言った。

3回目のインタビュー中のLima san。
彼女のことをしっかり知りたくて、いろんな質問をした。

勉強したいと言っていたのに実際に話が進むといなくなってしまったり、
大学に行きたいと言っていたのに、入学した次の日に大学を辞めてたり、
カンボジアでもたくさんの事例を見てきた。
だから、今回もどこまで勉強への意思が強いのかは不安だった。

でもLima sanは出会った日から、強い意思を持った目で話していた。
言葉がすべてわからなくても、自分の言葉で話しているのか、意思を持っているのかは、話す態度や目の強さで伝わることもある。
彼女の意思は、普段の勤務態度にも表れていて、
日本メンバー・バングラのメンバーも全員一致で、
Lima sanの復学が決まった。

チャンスメーカーであれ。

私たちがするのは判断じゃない。


今回の21人の中で、Lima san以外に学校への復学を希望したメンバーは7名。
バングラにいるときも2~3回インタビューを繰り返し、
私が帰国してからも、バングラのメンバーがインタビューを続けてくれた。

本人にとって、復学が一番いい選択なのか?

結婚している人もいたし、
子どもがいる人もいた。
両親と同居しているため、両親に仕送りをしなければいけない人もいたし、
家族の借金を返すために働く人もいるから、1分でも多く残業して、残業代はほしいという人もいた。

彼女たちは本当に勉強したいのか?

と聞かれたら、直接話を聞いた私でさえ、「はい!」と言えない。
本当に勉強したいかなんて、チャンスをもらえたとしても学校に通い続けられるかなんて、本人たちだってわからないんだ。

でも、だから、私はここにやってきた。
それでいいんだ。
だから、私たちの工場は、After school projectを始める。

それは学校に行かせるためでなく、
もう一度学校に行くためのチャンスをつくるため。
チャレンジは、やってみないとわからない。

インタビューを通じて、行かないと選択をした人もいるし、
インタビューが終わって、今はいかないと返事をくれた人もいた。
まわりの人が賛成しなくて、叶わなかった人もいた。
そして、今回決まったLima sanもここからがきっとスタートなはず。

バングラデシュの工場近くの学校。
3つの学校に訪問し、Lima sanの学校を選びました。

この子は勉強を続けられないな。。
多分、本気じゃないな。。

インタビューを始めた最初は、「学校に行き、卒業させること」がゴールになりすぎて、私も、バングラのメンバーも、判断ばかりしていた。
でも、そこからが間違っていた。

私たちは、チャンスメーカーなんだ。
このProjectのゴールを決めるのは、その子自身。
でも、そのサポートは、私たちが全力でする。

そんなことに気づけたのも、このProjectをスタートしたからだ。

ここからがスタート。

2023年1月からLima sanは学校へ通い始めた。
2月からは工場内でも、Lima sanの宿題や自習のサポートをスタートする。
これからのLima sanがとっても楽しみで、
私は日本のお姉さんのように、Lima sanを応援できたらなと思う。


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