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さあ諸君、世の中の「常套句」を笑い飛ばせ。

N階の移動にエレベータを使うなんて

 昨年、激務に忙殺され、半ば意識が飛びそうになりながら職場のエレベータに呆然と乗っていた折、同乗していた「おばちゃん」2人の会話を耳にして、ふと我に返ったことがある。
 というのも、彼女らが乗車してきたのは6階だったのだが、同時に乗車した男性が8階で降りたのを確認して、
「たった2階の移動でエレベータなんて……ねぇ」
と話していたからである。そして、彼女たちのうち片方が降りたのは「9F」だった。
 そればかりではない。さらに9Fでは、別の女性が乗車したのだが、「おばちゃん」の知り合いだったようで、なにやら挨拶をしている。だがなんと、9Fで乗り込んできた女性が押した階は、「10F」だったのである。「おばちゃん」は、すべてを目撃していた筆者に対して気まずそうにするでもなく、あたかも何事も特殊なことは起きなかったのだといったそぶりで、「日本における平均的な、6階からエレベータに乗車しただけのおばちゃん」の、基本的かつ平凡な行動(肩を掻いてみたり、階数表示板を眺めてみたり)を演じ続けてみせた。
 この一連の事態に、筆者は疲労のすべてが吹き飛んでしまった。

 筆者は何も、「おばちゃん」が自らの深遠な哲学を貫徹し、知人に「たった1階でエレベーターなの!?」などと発話することによって発生する修羅場を期待したわけではない。彼女がせめてもの罪滅ぼしに、許容可能なエレベータによる移動階数の関数を提示しつつ、「ほら最小許容移動階数は2.23だから3階の移動はいいのよ、2階はもちろん1階はダメだけど知人だからね……」などと筆者に説明してくれることを願ったわけでもない。「N階以上でなければダメ」と感じるとき、Nが客観的に示せないのだからこの感情が間違っているなどとごねる気もなければ、「おばちゃん」が自分の意見の身勝手さに少しでも違和感を覚えることを望んだわけでもない。

 純粋に、この「おばちゃん」の振る舞いにおける、あまりにもできすぎた大衆性の露呈ぶりと、それを筆者に閲覧することを許可した偶然との重複に、ほとんど感謝に近い感慨を覚えたのである。

N年の歳月をかけて開発した

 各種の商品等が、いかに優れたものであるかをアピールする宣伝文句。

 とりわけうさんくさい健康器具や、パワーの入った宝石、大して性能に差がない化粧品などの怪しい商品に使われがちである。
 なぜならば、より化学的な研究で開発可能なものは、ある種の発見によって劇的に効果改善等が見られる場合が多く、何年も何年もかけたことが一瞬で無駄になり、その代わりに優れた手法を利用可能となるパラダイムシフトが繰り返されるからである。

 時間をかければかけるほどよい、というものは、技術的な進歩の可能性が低い分野ほど多くなる傾向がある。
 例えば、ある麻雀雑誌の広告にある、インポテンツを改善すると謳う商品は、なんと16年もかけて開発されたそうだ。アフリカの奥地でさまざまな薬草を採取している人の写真が載っている。何をやっているのか。
 したがってこの名言は、逆説的にその商品がそれほど高度ではないことを暗示してしまう。もちろん広告としての効果はあるだろうから、使用することが「愚か」であるという意味ではない。

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騙されたと思って

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