見出し画像

ボスニア紛争と知られざるPR作戦⑦~「民族浄化」というバズワード

前回はこちら。

 やり手のPR企業の助力の結果、セルビア非難の論調は徐々にアメリカのメディアにも取り上げられるようになる。

ジャーナリストの功績も忘れてはならない

 これを、ジム・ハーフとルーダー・フィン社だけの功績と考えるのはフェアではない。内戦開始直後、危険を冒して現地入りしたジャーナリストもいたからである。彼らの多くは、ボスニアの首都サラエボを拠点としていた。サラエボは、モスレム人政府が支配を及ぼしており、セルビア人の攻撃対象である。
 つまり、国際社会に報道される現地の様子は、「セルビア人に攻撃されるモスレム人」という図式になりやすかった。モスレム人に同情的な国際世論ができたのには、こうした要因もあるのだ。

バズワード「民族浄化」の登場

 さて、続いては「サウンドバイト」に続くキーワード「バズワード」と「サダマイズ」に触れたい。
ボスニア紛争が国際的な注目を集め始めた矢先、あるキーワードが情勢を大きく動かすことになった。


 1992年夏ごろ、メディアには「民族浄化(Ethnic cleansing)」という言葉が登場し始めた。敵対する民族を、大量虐殺や強制移住などで自勢力の領域から排除することだ。「クレンジング」とは、本来「きれいにする」という意味の言葉である。しかし、「民族」という語句と組み合わせることで、「気に入らない民族を跡形もなく消し去る」というおぞましいイメージを想起させる言葉となる。

 特に欧米の人々にとっては、ナチスのユダヤ人虐殺の忌まわしい記憶を連想させる、インパクトのある言葉となった。セルビア人の残虐行為を告発する上で、この上なく効果的な「キャッチコピー」だった。

(続きはこちら)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?