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三角関数の人類史⑧(終)~三角法を知った日本人

前回はこちらです。

 三角関数をめぐる長い旅の終わりに、最初に三角関数にふれた日本人を紹介します。その前に、中国での状況についても触れておきましょう。

中国と三角関数

 長い歴史を持つ中国は、数学の研究も古くから高水準でした。

 例えば、5世紀の南北朝時代を生きた祖沖之そちゅうし(429~500)は、円周率を3.1415926までの精度で近似することに成功しています。

 唐代の8世紀初頭には、インドのアリヤバータの正弦(サイン)の表が翻訳され、数学書『開元占経』に掲載されました。北宋の沈括しんかつや元の郭守敬かくしゅけいといった学者に、三角関数を用いた業績がみられます。

 しかし、三角関数に関していえば、中国ではインドやイスラームほどの発展はありませんでした。

日本への伝来

 日本に三角関数が伝来したのは、鎖国下の17世紀のことだと考えられています。西洋で唯一交流のあったオランダから、砲術・測量術を教わる時に伝わったのです。

 日本に三角関数を持ち込んだのは、ユリアン・スヘーデルという人物です。スウェーデン人ですが、オランダ東インド会社に傭兵として雇われていました。

 1650年、彼は幕臣の井上政重(1585~1661)と北条氏長(1609~1670)に西洋流の砲術と測量術を教え、その際にピティスクスの三角関数表も日本に持ち込まれたと考えられます。(小曽根淳「紅毛流として伝来した測量術について」)

 ちなみに、井上政重は江戸初期のキリシタン禁圧に深くかかわり、遠藤周作の『沈黙』にも登場します。また、北条氏長(トップ画像の人物)は豊臣秀吉に滅ぼされた小田原北条氏の血を引いています。

 ところで、オランダ側の記録には「日本人は中々技術が上達しない」と辛口に書かれています。当時の日本人は「角度」の概念を知らなかったので、スヘーデルの説明を理解するのに苦労したと思われます。

日本人が初めて作った三角関数表

 しかし、日本人は西洋から伝わった数学をどん欲に吸収していきました。

 18世紀、8代将軍徳川吉宗は、実学関係の洋書の輸入制限を緩和し、日本の自然科学の発展に寄与しました。また、吉宗に仕えた数学者・建部賢弘たけべかたひろ(1664~1739)は、日本人の手による初の三角関数表とされる『算歴雑考』を著しています。

おわりに

 人類が生み出してきた三角関数についての功績のごく一部を紹介するにとどまりましたが、いったんここで区切りにしたいと思います。

 古代オリエントに始まり、ギリシャやインドで発展し、イスラームからヨーロッパへと継承され、東アジアにも伝来した三角関数。三角関数の歩みは、人類の叡智と文化交流の歴史そのものといってもいいのです。

(了)

【主要参考文献】
P.オーディフレッディ著、河合成雄訳『幾何学の偉大なものがたり』創元社、2021年
小曽根淳「紅毛流として伝来した測量術について」2014年

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