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種子島への旅―日本の歴史と文化を劇的に変化させた島

それは先月のこと。
やむを得ない理由で、種子島に渡った。

そういうふうに言うと、あまりポジティブには聞こえないのだけれど。
実際、本来は鹿児島本土へ行くはずだった。

奄美から種子島へは、鹿児島空港乗り継ぎで種子島までのフライトに乗るか、鹿児島空港からバスで鹿児島の埠頭まで1時間かけ下り、更にそこから屋久島まで行くトッピーというジェット船に乗るか。

勿論飛行機で行く方が、絶対的に早い。
しかし、トッピーに乗る方が、かかるコストが2,000円ほど安い。

ということで、立場的に、最も安い「合理的な」ルートを選択せざるを得なかった。
バスで揺られること1時間。天文館に到着し、そこから港側へ歩くこと15分。鹿児島本港南ふ頭へ到着した。

空港から直通バスに乗ればよかったのだけれど、空港で1時間待つのは辛い。どうせなら港で食事をくらいに考えていた。

やって来たバスに飛び乗ったら、天文館で降りるルートになった。
すっかり鹿児島の地理に詳しくなってきたので、方角が分かるようになってきている。桜島を目印に歩けは、方向的にはほぼ間違いない。

高いビルが中央駅の前くらいにしか無い街。
少し高い所に行けば、雄大なその姿が目に入る。

相変わらず、白い煙がモクモクしている。
喉がイガイガするような気がするのはそのせいか。

ジェット船 トッピー、ダブルデッカーです。

辿り着いた乗船乗り場のチケット交換所には、長蛇の列があった。
乗船時刻1時間以上前に到着しているが、果たして乗れるのか?
いやそもそも、30分前までにチケット交換が可能なのか?
そんな思いで待つこと40分近く。
交換時刻は過ぎているものの、何とか乗船させてもらえた。

大混雑する船内。荷物を確保するスペースが少なく、目の届かない所の狭いスペースに他の人の荷物と共に置かざるしかない。
もちろん鍵などない。性善説に基づく荷物管理。

荷物を上へ上へと積み上げていく船のスタッフは、繰り返すその動作に疲れ果てているのか、出港時間を気にしてか、愛想など皆無。

小さな船に乗るのに、とんでもない大きさのスーツケースで来ている人には、とてつもなく迷惑だと言わんばかりの顔で出迎えている。
まぁ、気持ちはわかるが、運送業だって、接客業だからね。
このとんでもない大きさのスーツケースで来るような人は、恐らく都会から来た奴らに違いない。

屋久島なら、バックパックで、相応しい格好で、来い。

凡そ山に登りそうにない恰好で、巨大スーツケースを船に乗せようとする人を見た時の心の声

以前に屋久島へ旅した時には、とても感じのいい女性スタッフがいたのだが。思えばそれも10年以上前の話。

ジェット船は、波の上を走るのではなく、波から浮いて進む船。
海のアクティビティとして人気の《フライボード》を想像していただけると分かり易いかもしれない。

波の抵抗を受けない為、高速で進むことができる。
高速走行する直前に、船体がふわりと浮く感覚が、とても面白い。
それでも流石に、今日は人が多くて浮くのも大変そう。

船内の窓から桜島を眺ていたら、あっという間に、船は錦江湾から外海へ出た。

トッピーの窓から見えた桜島。噴煙がすごかった。

「トッピー」とは、地元の方言で、トビウオのこと。
何だか可愛らしい響き。

かつては、種子島でもトビウオ漁が盛んだったらしいが、今はほぼ見かけないらしい。
屋久島で食べたトビウオの姿揚げが、パリパリでめちゃくちゃ美味しかった記憶があるので、また食べたかったのに。
 
そんな前情報を仕入れ、到着した種子島。
多くの作業着姿のガテン系男子が、共に船を降りた。

巨大スーツケース女子、やはり立ち上がらない所を見ると、これから屋久島に行くのだろう。

その荷物で屋久島なら、飛行機で、来い。

地元の交通機関なのに、巨大スーツケースを持って乗っている人に、つくづく呆れた心の声

はじめての種子島上陸。
想像していたのと全然違う……。
屋久島的景色を想像していたので、テトラポットが積み上げられた港の景色に驚いた。

聞くところによると、西にある無人島である「馬毛島」に米軍機の訓練移転を目的とした基地ができるとのこと。
係留施設だけでなく、滑走路や大掛かりな設備や火薬庫などもできるらしい。それに伴って6,000人近い工事関係者が来ているとか。

種子島全景地図。左上の方に小さくあるのが、
基地ができる予定の馬毛島(まげじま)

そりゃトッピーが混むわけだ。

種子島を経由のトッピーで「屋久島」へ行きたいみなさま、予約はお早めにどうぞ。

港の到着は、余裕をもって1時間前にお越しください。
時間と日程にも寄りますが、日によっては、空港並みの混雑です。

鹿がいるだけだった島が様変わりする。
種子島は、いわゆる基地景気に沸いていた。
そんな滞在中に起こったオスプレイ墜落事故。
まだ見つかっていない方が、一日も早く見つかることを祈るばかり。

屋久島と種子島の間に墜落した機体。
屋久島の猟師さんたちが懸命にその残骸を拾い上げている映像を見て、何とも言えない気持ちになった。

実は、奄美大島も、この訓練基地としての候補に挙がっていたらしい。
高額な予算が降りるということは、恐らく過疎地にはとてもありがたいこと。けれど、それから先の不安はいつまで続くのだろう。

関西に住んでいた頃は、完全に他人ごとだった。
気にしたことも、ほとんど無かった。
今では、とても身近なことになっている。
人間は、とても身勝手な生き物だ。

滞在中、訪れた観光名所は「夏にもう一度来たい」と思わせる素敵な場所が多かったのだけれど。

ここも、勿論、インバウンド受入れからはほど遠い。
恐らく、港に立った瞬間、観光客は何も出来なくなるだろう。
そう、ここも車ありき、なのだ。

港から、種子島宇宙センターまでの観光バスでも作ればいいのにと思った。
なぜなら、港からも空港からも、一番の観光名所である種子島宇宙センターまでは、べらぼうに遠い。
何なら、奄美空港から、奄美市内くらい遠かった。

オフの日が一日だけあったので、遠く宇宙センターまで出かけた。
厳密には、車で案内してもらった。

走って来た小さな子の後姿が偶然映り込んだロケットサンプルの写真。
その大きさがわかる。

なかなかの観光施設になっているだけに、施設内ツアーまでやっている。
先着順で申し込めば、バスに乗り、普段見られない倉庫まで案内してもらえる。

ここまでの港からの観光バスが無いのは勿体ないとしか言えなかった。
長い種子島の南の端にある宇宙センターから、今や公園となって整備されている鉄砲伝来の地、門倉岬を見てから、奇岩と洞窟で有名な千座(ちくら)の岩屋へ。

千座の岩屋、海岸入り口。前方に見える岩の下を歩くことができます。
ぜひ、干潮時にお越しください。

到着した時間が、満潮まで1時間だったので、生憎岩の下を通り抜けることが出来なかったけれど、その波の迫力は凄かった。
シーズンオフ故、漂着ゴミが転がっているのは何処も同じ。

絶対なんか出る!と思ってしまった。波の迫力が、凄まじい。

それから北上し、北の果ての浦田海水浴場までぐるっと一周した。
一日で見て回れる大きさ。けれど車が無ければどうにもならない。

浦田海水浴場の可愛らしいベンチ。映えポイント?
ここ、キャンプもできます。

ここにも屋久島のような、レンタカーなしで回れるようなぐるっと一周バスが欲しい。観光客がきっと増えるはず。

焼酎好きには、製造工場もいくつかあったらしいが、流石に見学の時間は取れなかった。

美味しいもの好きには、地鶏(インギー)が有名らしいので、地元インギー料理を是非お試しあれ。
インギーのから揚げとちゃんぽんをオーダーする人、多数。
なかなかのボリュームに見えました。
南種町の地鶏ラーメン、なかなか美味しいですよ。

地鶏のスープが、あっさり。
お味は塩味しっかり目で濃厚です。

最終日、トッピーが着く港から徒歩でも行ける場所は無いかと地図を広げると、港から何とか歩いて行けそうな観光場所を発見した。

鉄砲館、と、月窓亭。

見どころ一杯の鉄砲館
ゆっくりビデオを見ながら進んで欲しい

なかなか距離はあるので、お天気の良い時にお勧めしたい。
じっくり見れば、かなりの時間が必要。

お殿様が統治していたそんな時代を想像し、日本の歴史がこの島から変わっていった歴史、それにかかわった刀鍛冶の人々のストーリーを改めて学ぶ。

すぐそばの月窓亭では、のんびりと無料のお茶とお茶菓子をいただき、池坊スタイルのお花があちこちにあるのを眺めた。
庭が南国の植物だらけなのに京都の佇まいがするのは、気のせいか。

月窓亭の玄関。誰もいない時はどらを鳴らしてみて。
この建物、下からは見えない。階段を上がった先にある。

お武家の方々や、上流階級の人々には、京都から来た池坊の技術をマスターすることは、たしなみのひとつだったのだろうなと思う。
それが今に根続いている。

穏やかな時間流れる広間。ここでお茶のサービスがあります。
ぜひ、のんびりして欲しい。

最後に色々見れた種子島を後にして、再びの鹿児島へ。
ふと、埠頭に新しいカフェがオープンしていることに気が付いた。

本来、乗船迄の時間を潰すために使う場所のはず。
新しい場所は、確認しておかなければ気が済まないガイドの性質。
下船したばかりで、確認のため来店。

お店の名前は、「YORO-CHE」。
これは、種子島の方言で、「一緒に」とかいう意味だった気がする。

ラーメン屋的な店内。カフェです。でも蕎麦も、おにぎりもあります。
店内で食べるなら、携帯を充電できるように色々なケーブルも用意されています。

聞けば、種子島のオーナーさん。
そこで働く人々も、種子島の人達。

奄美大島と違って、鹿児島までの距離が近い。通勤圏なのだ。
羨ましい。と思ってしまった。

そうしてから再び15分ほど歩き、辿り着いた天文館にはクリスマスの飾り付けがされていた。奄美にいると全く感じないクリスマス。

ああ、もう年末かと、感じた。
今年も終わる。
去年よりも忙しかったのに、成果がまだ見えてこない。

山形屋横のストリート。キラキラしています。

市役所や県庁を回り、起業に向け動き出した月。
なかなか進まない現実と、諦めかけている地方インバウンドの受け入れ。

来年中には、覚悟を決めなければならない。
更に3年、奄美にいるべきか。

関西に戻って、以前のように、いや、コロナ前よりも激増したインバウンド観光客のせいで、ガイド不足に悲鳴を上げている関西を手伝うべきか。

関西にはまだガイドはいる。
けれど、九州には少ない。
奄美にも少ない。働くチャンスは多そうだが、実はそうではない。

インバウンド受入れには長い道のりを感じる。
インフラを整える所から取り組まねばどうにもならないからだ。

今やって来たインバウンド観光客は、その不便さをどのように感じるだろう。いまのまま、受け入れてしまったら、恐らくリピーターは見込めない。

必要とされるところにいたい。
しかし仲間外れが常態化している閉鎖的な所には、いるべきではない。
と、第六感が教えている。

やはり、多拠点生活になるのだろう。
生活がさほど豊かにならなくとも。
お金は持ったまま死ねないのだから。
ただ、生きてるだけで丸儲け。

ガイドと言う仕事が、ある限り、身体が動く限り。
必要とされる団体のもとで、来年もガイドをしていこう。

今はそう感じている。

年明けのガイドは、例年通り、正月二日から始まる。
盆暮れ正月のない仕事。
休み時は、稼ぎ時。

でも元旦だけは、お休みさせてくださいね、とお伝えしている。
どんなに依頼が押し寄せても、元旦は休む。

神様が入れ替わる日ですからね。

来年こそ、奄美で三献食べたいなぁ。


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