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こどもに我慢をさせないと、我儘になるのか?

「育児に正解はない」という記事を過去に書いた。

何が正解かわからないから、とにかく自分の信じるままに。
毎日ごはんを食べさせて、寒くないように暑過ぎないように服を着せて、道路への急な飛び出しとか、知らない人について行くなど危険なことをしないように言い聞かせるぐらいしか、子育てらしいことはしてこなかった。

一方、私は、ひとりっ子として育つことが決まっていた(その経緯は↓)ので、母は、「もし両親が早くに死んでも困らないように」と、小さいときから自立させることを意識して、厳しく接したという。(後に私のゆるふわ子育てを見て、「かわいそうなことをした」と言っていた)

父は、どこをどう切り取っても「真面目」という文字しか出てこないような人で、俳句や絵画を好み、通俗的なものを嫌う。悪ふざけ番組なんて当然見せてもらえず、見ていいテレビ番組は週に二つと決められていた。私は子供の頃からドラマが好きだったので、二本に絞り込むのがけっこう大変だった。
ピアノを本格的に習っていたので、平日の練習時間は最低三時間。休みの日はそれ以上。そうしないと、師匠に即座にバレるので、その時間を削ることはできない。
そうすると、現実に、テレビを見る時間はほとんどない。下手すると、学校の宿題すら片付かない。
漫画を読むことも禁じられていたので、私は未だに漫画が苦手だ。日本の代表的な文化と言われるのになんてこと。読み慣れていないので、その面白さがわからない。文字を追う方が性に合うのだ。

こんな具合に育ち、大人になって、・・多分、結婚してからだと思うが、あるときふと思った。

子供の頃から我慢してばかりいると、もしかして、大人になってから抑えが効かなくなるのでは?

人が一生のうちに我慢できる総量には限界があるのでは?

というのは、私は、年を取るにつれて、ちょっとしたことで我慢をするのが嫌になったり、遠くから天の声で(もうさんざん我慢したのに・・)と囁かれているような気がしたりするからだ。
飽きっぽかったり、踏ん張りが効かなかったり、いやもう今更我慢するなんていやー!!と、心のどこかで私が叫ぶ。私の我慢メーターが振り切れそうな。もう余力はないですよ、というような。

そんなことを感じていたので、自分が親になったら、子供には不要な我慢をさせないようにしようと決めていた。人生の大事な時に、いざという時に、ここぞという時に、ガツンと踏ん張れる人になるように。我慢メーターの容量をたっぷり蓄えておこうと思ったのだ。

子供のうちのわがままなんて、大したことはない。お菓子をもう少し食べたいとか、テレビをもう少し見たいとか。それを禁じたところで、立派な人になるわけではない。
これはだめ、あれはだめ、こうしなさい、ああしなさいと、ほとんど言わずにいたせいか、娘たちは逆にわがままらしいことを言わなかった。いつも伸び伸び、のほほんとしていた。
そうして大人になった二人は、傍で見ていても、決して楽な仕事ではないのに、かなりハードな勤務状況なのに、泣き言を言わず、不平不満を漏らさず、淡々と、日々やるべきことをこなし、そして楽しそうに生きている。
堪えるべきときに、きちんと踏ん張れているのだなと思う。
娘たちの黙々とがんばる姿には、私は教えられることが多い。無理をしているのではないか・・などと心配はする。それでも、親としてできることは、せめて会った時の変化は見逃さず、そっと見守ることぐらいなのだろうと思う。

以上はあくまで我が家の例で、一つの例に過ぎない。
子育てに正解はない。
恐らく、どんな育て方をしても、子供は子供なりに、持って生まれた性分に導かれながら、自分の人生を歩んでいくのだと思う。そう思いたい。

そうそう、「不要な我慢をさせない」には、昨日の記事も含まれますね、多分。


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