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「ママは我慢し過ぎだよ」〜そんなことを言われる日が来ようとは〜

父がいなくなって九ヶ月。
頼れるのはもう私だけと思うのか、私への母の依存が日に日に強くなっているように思う。
ひとことで言うなら「丸投げ」。
少しでも気になったこと、やって欲しいことを、思い付きでポンポン言ってくるので、まともに取り合っていると疲れてしまう。
「その場だけ」の言葉も少なくないから。

結婚前は、自分の親しか知らないし、20数年、その親の元で過ごしてきているわけだから、ある意味、親がスタンダード。
自分の親が変わっているとか変だとか思ったことはなかった。
むしろ仲が良かったぐらい。

けれど、結婚してから、何かにつけて、夫に私の親のおかしなところを指摘されるようになり、誰でも自分の身内を悪く言われることは面白くないだろうから、最初のうちはとても不愉快に思っていた(それに、私の親より夫の親の方がずっと型破り)。
しかし、家を出て、夫と過ごす年月が長くなるにつれ、母の私に対する関心の強さを、鬱陶しく思うことが増えてきた。

何しろ、子供のために全てをかけて、私ひとりに尽くしてきたことを誇りに思っている人で、おまけに、自分はこれ以上ないいい母親だと思っている。

だから、私が義父母との確執に疲れ果て、夫との言い争いが増え、カウンセリング機関に駆け込んだとき、助けてもらえなかった。

「お母さんがいるのに、どうしてそんなところに行くの?」というわけだ。

自分で自分が危ないと思ったのは、ある日突然、ガスの元栓が回せなくなったこと。
あんなもの、たいした力も要らず、ちょっとひねればすぐ動く。
なのに、真剣に力を込めて動かそうとしているにも関わらず、ビクともしない。
あれはどういう現象だったんだろう。今でも不思議。

これはもうノイローゼだと思い、当時、上智大学の社会人講座で臨床心理学を学び続けていたこともあって、その伝手でカウンセリングを受けに行った。
だが、今でもそうだが、カウンセリング料はとても高いのだ。
そのときは1回7000円。
講義を受けていた教授には、「あなたの今の状態はとても心配だから、毎週来て欲しい」と言われた。
そうすると、月28000円。
双子がまだ2歳で、専業主婦だった私にそんな費用は出せない。
そう言うと、「ご両親に相談されてはどうでしょう?大切な娘さんのことだから、援助してくださるでしょう」と言われ、母に言ってみた際の答えが上記のとおり。

自分の貯金から出すという方法もあったのに、そんなことにも気が回らなかった。
「月二回にしてください」とお願いして、なんとか通うことにしたが、カウンセリングを受けたからといって楽になるわけでもなく、「その頃のことを話すあなたはとても幸せそうね」と言われた「その頃」に戻れるわけでもなく、第一、カウンセリングを受けに行くたびに、冷ややかな目で私を見る母に、幼い二人を預けなければならない。

諸々に疲れて、カウンセリングもやめた。
あそこからどうやって立ち直ったんだろう?
きちんと記録しておけば、本でも書けたかもしれない。
あまりにつらくて、もう忘れてしまった。
夫も、当時の記憶がほとんどないと言う。
夫婦の間でもタブーな期間。
これから先も、二人で振り返って、「あの時はああだったね」と話すこともないだろう。
そんなふうに振り返られるのは、やはりそれなりに望みや救いがあったからなのだ。
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「やっぱりakarikoのお母さんは変だ。今日、それを確信した。」と夫にはっきり言われたのは、三年ぐらい前だろうか。
事の顛末は省くが、そのときは、とにかく呆然として、私は一言も発することができず、固まったまま無言で夫のいる部屋に戻った。
壁越しに母の発言を聞いていた夫は激怒して、
「なんだ今の。我慢できない。俺が言う!」と言って、私が止めるのもきかず部屋を飛び出して行った。
「akarikoの気持ち、考えたことあるんですか!」と、夫はものすごい剣幕で母に食ってかかった。
そんなことをしたら、後で私がどれほど嫌味を言われるかわからないのでやめて欲しかったのだが、その時はどうしようもなかった。
夫だけは私の味方だから・・と心強く思えたのも事実。

案の定、
「悪いのは私なのね」
「あんたが泣くから私が悪者になって、あんなこと言われて、ほっんと頭に来る!」

絶望的な思いで、母の文句を受け止めた。
私は言い返すことができない。
言い返すと、もっと酷いことになるのがわかっているから。

生まれてからずっと、美味しいものを食べさせてくれて、手作りの服を着せてくれて、何一つ不自由なく育ててもらって、社会で耳にする虐待なんてものとは無縁だと思っていたけれど、これって、もしかして虐待に近いんじゃないの?精神的な・・と、ちらっと思った。
心がズタズタにされるようなことは思い出したくないので書かないけれど、あれもこれも・・と、幾つもある。

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最近、母に面倒な用件を持ちかけられることが増えてきて、いつも夫に少しこぼすぐらいで一人で耐えているのだけど、このところそれも限界で、自分で自分の精神状態があまり良くないこともわかるので、ちょっと娘にLINEした。
そして、
「ママは自立したおばあさんになるよう頑張るね!」とも書いた。

そうしたら、

「ママは我慢し過ぎるから、頼っていいんだよ!
私たち二人いるんだから、何でもできるよ!」

と返ってきたのだ。

うるっときた。
娘がそんなことを言うなんて。
そんなことが言える大人になっていたなんて。

「頼っていい」と言ってくれた。
「我慢し過ぎ」だとも。

なんて心強い味方。

双子を産んでよかったなあ・・と、今初めて味わうような感覚で強く思った。

それにしても、
「私たち二人いる」といっても、
あなたたち一人一人は一人でしょう?
でもきっと、
「私たち二人いる」には、双子ならではの意味があって、双子にしかわからないパワーがあるのだろう。
頼もしい。

いろいろなことがあるけれど、長年連れ添った父に先立たれて、母が不安なのも寂しいのもよくわかるので、なるべく刺激せず、私は私で我慢し過ぎないようにして、これからも生きていこうと思う。

ただ一日。
その日その日を過ごすだけでも、本当に人は大変だ。

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