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続編・現代東欧文学ガイドを作りたいという遥かな野望に向かって

2023年の最後の日に、途方もない野望を叫んでみたくなった。

このブログで私は5か月前から、日本でまったく知られていない東欧の現代文学の紹介をしている。

きっかけや経緯は自己紹介の記事で書いているので詳細は省くが、済東鉄腸さんの『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』に背中を押されたのと、常に未知なるものの紹介者であった澁澤龍彦の姿勢を継承したいとの思いでこのブログは始まったのだった。

だがこれらの思いの深層部に、自分が途方もない野望をひそかに抱えていることに気づいたのだ。

それは、松籟社の「東欧の想像力」シリーズに収録されている『現代東欧文学ガイド』の「続編」を、私がこのブログで担いたいという欲望である。(「夢」でも「願望」でもなく、あえて「欲望」と書いた)。

松籟社の「東欧の想像力」シリーズは2007年に始まり、『現代東欧文学ガイド』は2016年に出版された。もうじき8年たとうとしている。

その間に続々と若手作家が登場しているが、続編の出る気配はない。数々の素晴らしい作家による面白い作品がたくさんあるが、邦訳されていないどころか日本でほとんど広められてもいないのは、とてももどかしい気持ちでいっぱいだ。

とくに、マケドニア文学が日本であまりにも注目されていないのは悲しい。私にとってマケドニア文学への扉を開くこととなった、Dalkey Archive Pressの "Contemporary Macedonian Fiction" 『現代マケドニア短編小説コレクション』を読んだ時、マケドニア文学の持つ豊かな土壌と可能性を感じずにはいられなかった。
物語中毒に侵された男の、行き過ぎた好奇心の不気味さを描くジャルコ・クユンジスキ、抑圧された女性たちの苦しみを通してバルカンの小村に蔓延る闇を描くルメナ・ブジャロフスカ、ストレスが高じてパソコンやら食器やらありとあらゆる物を呑み込んでしまった男の体内にはミクロコスモスが広がっていたという、グロテスクでシュールな世界を描くトミスラフ・オスマンリ、無限に増え続けるページを前にパニックになりながら翻訳地獄に陥っていく翻訳家を描いたカリナ・マレスカ、…などなど、マケドニア文学には一筋縄ではいかない現実や人間を描いた作品が多く存在するように思う。

苦悩や執着、恐怖、欲望、情念、狂気にとりつかれた登場人物たちは現実世界とそれらとの均衡を少しづつ失っていく。彼らを襲う不条理や不気味な現実は黒いユーモアたっぷりに描かれており、それは人間心理や人間存在自体の歪みを表しているように思える。

あまりに未知なマケドニア文学、探求を続けてもっと面白い作品、もっと素晴らしい作家に出会いたい。マケドニア文学だけでなく、かつて「ユーゴスラヴィア文学」とくくられていた地域が生んだ文学の魅力をこのブログで伝えることで、『現代東欧文学ガイド』の先を作っていきたいのだ。
誰もやってないのなら、私がやりたい。

とまあ大言壮語も甚だしい向こう見ずな野望を公開してしまった。
ほんとに私は文学馬鹿だなあと自分に呆れつつ。

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