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読書メモ『承認をめぐる病』

2週間ほどかけてちまちま読み進めた。

率直な感想としては、読みやすい章とそうでない章の差が大きいというものだ。教室内での「キャラ化」をめぐる分析など具体的なイメージを持ちやすいものもあれば、専門誌に寄稿した文章がもととなっているためか専門用語が多くでてきてあまり理解できない部分もそれなりにあった。承認、キャラクター、実存、こうしたキーワードに着目して現代の社会問題を読み解いていく手法自体はとても面白かった。

以下、印象に残った部分のメモ。

マズローの欲求段階説でいうと、承認欲求は比較的高次の欲求であり、本来は生存や安全といった欲求が優先されるはずであるが、現在は様子が異なりつつあるという。

 たとえいじめられても、暴行まがいの体罰を受けても、生徒が必死で投稿を続けるのは、居場所がなくなったらお終いだからだ、思春期とは「この絶望は永遠に続く」と思い込みやすい時期でもある。だから居場所を本当に奪われてしまったら、あとは自殺を選ぶしかない。
 もちろん、承認欲求そのものは、人間にとって普遍的なものだ。最近の傾向として特異に思われるのは、マズローの欲求段階説でいえばより高次な欲求であるはずの「承認欲求」が全面化し、極端に言えば「衣食住よりも承認」という”逆転”が見られつつあることだ。しかもその承認が「キャラとしての承認」である点に、もうひとつの問題がある。(29-30頁)
 「キャラとしての承認」を求めることは、必然的に承認の根拠を他者とのコミュニケーションに依存することを意味する。これは異例の事態だ。なぜなら承認とは本来、客観的な評価を根拠に成立していたからだ。
 ……しかし現代においてはそうした客観的基準の価値ははるかに後退してしまった。いまや承認の基準は、相対的かつ間主観的な能力である「コミュ力」に一元化されつつあると言ってよい。そこでは「キャラ」は「承認のしるし」なのだ。しかし、主体がこのような形で承認を他者にゆだねることは、極端な流動性に身を任せることにほかならない。(43-44頁)
 たかがコミュニケーションの問題が幸・不幸に直結してしまうのは、「現状が変わらない」という確信ゆえである。
 それゆえ若者の「うつ」もまた、「コミュニケーション」や「承認」をめぐって発生しやすくなる。職場で承認されなかった若者は、あっさり退職してひきこもり、うつ状態になってしまう。ここでも「たまたま生じた不適応」をきっかけに「自分はもともとそういう人間であり、それはこれからも変わらない」という思い込みが生じる。(77頁)

結果として、就職活動の失敗は単なる「稼ぎ」の問題ではなく、「承認」の問題として実存に影響する。

 若者にとって「承認」問題はすなわち実存の問題であり、さらに言えば死活問題にすらなりうる。就活の過程で多くの学生の「実存」が著しいダメージを被るであろうことは、想像に難くない。(327頁)

次の引用は「良い子」をめぐる記述である。

 コフートによれば、自己愛の最も望ましい発達条件は、青年期や成人期を通じて指示的な対象が持続することとされている。特に青年期において、自分を無条件で支持してくれる人が一人でもいることが重要で、これは親友でも恩師でも構わない。
 ひきこもりからの回復に成功した事例の多くに共通するのは、ある時点で、そうした第三者による介入がなされている点だ。ひきこもり青年を批判せずにまるごと受け入れ、信頼を裏切らないような対象との関係をもてるかどうかが重要なのである。(88頁)

また、家庭内暴力、特に子から親への暴力への対応について。

 本人からの言い分がある場合には、十分に時間をかけて傾聴することを勧める。たとえその内容が根も葉もない恨み辛みに過ぎないとしても、弁解や反論を控えてじっくりと耳を傾ける。これは事実関係の検証作業ではなく、いわば本人の「心的現実」の修復作業である。筆者は家族には「記憶の供養」と伝えることが多い。
 傾聴する際に重要なのは「耳は貸すが手は貸さない」姿勢である。「言い分」はすべて聞き取るが、決して本人の「言いなり」にはならないという意味である。(114頁)

秋葉原事件を受けて。

社会やインフラがどれほど「進化」しようとも、固有の「この私」を無条件に承認されたいという欲望と、その欲望の最小単位が「人間」であるという真理は不変のままである。「人間」を「キャラ」が代替することは決してない。(149頁)

患者との面接において。

患者の言葉はしばしば矛盾をきたす。過去も未来も現在形でしか語れなくなっている場合など、とりわけその傾向は強い。しかし、その矛盾を指摘するのは無意味ないし有害である。「もう死にたい」と口にしながら友人と遊ぶ約束をする患者の矛盾を指摘しても仕方がない。「死にたくなるほど生きていたい」と”翻訳”すれば矛盾は消える。(171頁)

全体を通して、自身の精神医学関連の知識の足りなさを痛感した。ラカンの理論が盛んに取り上げられていたが、そもそもラカンについてよくわかっていない。機会があればラカンについても何か本を読んでみたい。


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