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カンカン飴とノスタルジー

いちご×
めろん×
れもん×
れもん またれもん、×
ハッカ ハッカはお母さん。
ぶどう は、お兄ちゃん。
おれんじ× 好きだけど。

あ、チョコ。〇

幼いころサクマドロップスが好きで、ハンカチとティッシュを差し置いてあのカンカンを持ち歩いていた時期があった。
どうしてあんなに好きだったのだろう。


今となっては、個人的おやつランキングのなかで、飴は結構下の方。チョコレートやクッキーと比べて、味、触感、ともに掴みに欠けるし、なんだかうすぼんやりとしており、鈍い感じ。そんなぱっとしない印象を、飴に対して抱いてしまっている。異国のお菓子まで手軽に楽しめる歳になった今、自らすすんで飴に手を伸ばすことは、なくなってしまった。


正直、当時だって飴のことをそんなにいいものとして捉えていたわけではなかったように思う。


それでも、飴はいくつものわたしの幼少期の記憶とともにあるし、粉砂糖でお揃いの薄化粧を施した色とりどりのサクマドロップスはやはり別格。それらがカンカンの中で奏でるカラコロという音色は、わたしのノスタルジーをくすぐる。


きっとすべてのおやつには守備範囲というものがあって、飴の場合、それはなんといっても安定感だろう。夏場情けなく溶けてしまうチョコレートや、走ればすぐに粉砕してしまうクッキー(子どもはやたら走る)、そもそもカバンに入らないくらいかさばる(そのくせ入っている量はたいしたことない)ポテトチップスは、遊びのお伴にするにはややハイリスクなのだ。その点、雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ飴は、安定感があり、信頼のおけるおやつだった。


そしてなにより、永遠のように退屈な子ども時間をともに凌いでくれたという点でも、飴は圧倒的な味方だった。ある時は渋滞につかまった車中、後部座席で。またある時は兄のサッカーの練習試合の間、道草で。わたしはサクマドロップスのカンカンを取り出し、カチャカチャと歯にあてたり、音がならないぎりぎりのところで転がしてみたり、歯と歯のあいだに挟んだりした。


あれから大人になり、すっかり飴と間遠になっていたが、先日十数年ぶりにカンカンを手にとってしまった。


その日はきもちのよい晴天で、私は恋人と湘南へドライブに出掛けていた。休憩がてら寄ったコンビニの棚に、カンカンは「湘南ゴールドドロップ」としてならんでいた。どうやら湘南ゴールドとは神奈川県オリジナルの柑橘系のフルーツらしい。カンカンに貼られたシールは鮮やかな黄色が彩られ、富士山と、ヨットが数隻浮かんだ海と、湘南ゴールドとおぼしき絵が描かれている。和と洋のテイストが入り混じったかわいらしい絵だ。
私の知っているサクマドロップスとは味の種類もパッケージもかけ離れていたが、カンカンの特別感は健在で、ゆすったときのカラコロという音に変わらぬなつかしさを憶えた。ドライブデートで弾んだ心はノスタルジーに拍車をかけられ、カンカンに入ったその飴を遊びのお伴にすると決めた。


私と恋人は一粒ずつ湘南ゴールドドロップを口に放り込み、再び車を走らせた。
ぼんやりとやさしい味がした。


口にしたのはほんのふた粒で、なんとなく残りの飴玉には手をつけられないまま一日のデートが終わった。
私はカラコロと音のなるカンカンを大切な思い出とともにそっと玄関に飾った。


追記

『蛍の墓』を真似てサクマドロップスの残りかすに白湯を入れ、おちょこに注いで母と兄に差し出したことがあった。得も言われぬ渋い顔をされた。


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