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【映画メモ】実写版 シンデレラ

■公開:2015年/アメリカ、日本
■原題:Cinderella
■監督:ケネス・ブラナー
■キャスト:リリー・ジェームズ、ケイト・ブランシェット、ヘレナ・ボナム・カーター、リチャード・マッテンなど

※ネタバレあり。


「目には目を・・・」とよく言うけれど、何か酷いことをされたとき「絶対に同じところまでは落ちてなんかやらない」というプライドを持っていたいと私は思っている。


酷い目に遭ったとき、それでもこちらが汚れずにいることは、最大の仕返しになると思っているからだ。


誠実な話し合いが出来る相手なら、こちらも真摯に向き合おう。だけどそうでないのなら、腹なんて見せてたまるかっての。私が傷付いているだなんて、ましてや怒っているだなんて、絶対バラしてたまるかってね。


だから私は、浴びせられる嫌味がドス黒ければドス黒いほどに、それによってついた傷が深ければ深いほどに、わざとバカみたいに良い子でいてやろうと思うことがある(違うパターンのときもあるけどね 笑)。

悪意に触れることなくぬくぬくと育った世間知らずな良い子の笑みを、たたえていてやろうじゃない。愛に恵まれないあの子に向けて。

そう、思うのだ。



これは以前、私が日記に書いたことなのだけど、実写版シンデレラのラストがまるでその通りで驚いた。


なぜ私にあんな酷いことをしたのか、私はあなたに優しくしようとしたのにと問うシンデレラに
「あなたが若くて純真で善良だからよ。でも私は……」と継母は答えた。

最後に、腹の内を見せたのだ。

シンデレラは、王子に手を取られ家を出て行くとき

「あなたを許します」と、継母に微笑んだ。


私にはそれが、ずっと優しくあろうとしていたシンデレラの、最初で最後の仕返しに思えた。



私の捉え方が歪んでいるのかもしれないが、昔ながらのシンデレラ通りではなく、現代らしい価値観を取り入れて作られた映画だそうだから、あながちズレた感想ではない気もする。



どんな仕打ちを受けようと「愛はタダ」だと言えるシンデレラより、「愛はタダじゃない」と言わなければならなくなった継母は哀れだ、と一瞬思った。

だけど継母にも、幸福な想い出はあるはずだ(例えば最初の夫が生きていた頃のことなど)。

考えてみればシンデレラは、幼いときに実母を亡くし、継母たちとの生活が始まり程なくして父も亡くして、長い間継母や姉たちにこき使われバカにされ、いじめられてきた。いくら幼少期に恵まれていたとしても、あれだけ不幸な目に遭えばもっと捻くれたってちっともおかしくない。

それでもシンデレラは、愛された記憶を、両親が大切に育ててくれた自分自身を、最後まで汚さず守り抜いた。


人生は、良くも悪くも、自分が信じた通りの結末になってしまう。だって全ては自分というフィルターを通してしか、自分の中に入ってこないんだから。ディズニー映画を見終えた後に「信じれば叶う」なんて言えば、「頭の中お花畑か!」って笑われそうだけど、信じるって、そう簡単なことじゃない。信じれば叶うって、魔法じゃない。もっと泥臭い現実なんだ。


埃まみれの屋根裏部屋で、泥だらけのドレスを着て、そんな状況でも、甘い夜の記憶からいくらだって幸福を生み出し続けること。それが信じるってことなんだ。


そんな彼女にだから、王子は心を奪われた。


たとえ「愛はタダじゃない」と憤るようなことが起きたって、「愛はタダ」だと信じ続けられる自分で、ありたいと思う。



P.S. お金という形の愛情表現は、ありがたく頂戴しよう(笑)




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