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私がヘッドマルマをやろうと思った理由 その1

私がとても傷付いて一番苦しい時、言葉は役に立たなかった。今考えればあまりに混乱していて私の側にうまく受け取る能力が無くなっていたのだと思う。

その頃の私にとって、励ましの言葉はまさに諸刃の剣だった。言葉によって深く癒されることもあれば反対に深く傷付くことも多かった。

そんな時、ただ黙って肩を抱いてくれる。ただ黙って手を取ってくれる。それらの慈愛に満ちた触れ合いは、言葉を超えて一瞬で深く深く私を癒した。そういった行為の大いなる力を知った。言葉を超えて一瞬で私を温かい愛の力で包みこんでくれるもの、それが「手」の力だった。

当時の私はあまりよく眠れていなかった。入眠したと思ったら飛び起きるというような毎日が続いていた。危機的な状況の中で私が駆け込んだのは近所のヘッドスパだった。

ヘッドスパで頭をほぐしてもらうと、ふわ〜っと背中から足にかけて軽くなる瞬間があり、一瞬深い眠りに落ちることができた。それが私の命綱だった。ストレスが極限を超えると、自分の力ではどうにもならない時がある。極限のストレスは私の頭と背中を石膏のように固めた。心無い言葉をかけられると、まるで氷の女王に触れられたかのようにミシミシと頭と背中が凍りついていく音が聞こえた。

そんな時、他人の手の力は凄かった。
頭をほぐしてもらっただけで、背中も足も軽くなり、何より心もふわっと緩むのだ。それまでの緊張がほんの少し軽くなる。それに救われた。本当に極限まで追い込まれた限界の私にとってはこの頭から肩までのマッサージが本当にちょうど良かった。全身のオイルマッサージにも通っていたけれど、こちらの場合は解され過ぎて、当時の私にとっては逆に地獄に突き落とされる感じになってしまった。

生きるために必死に張り詰めて頑張ってきた身体を一気に緩めると、一生懸命感じないようにしてきた感情が一気に押し寄せる。それに耐えるだけの力が当時の私にはなかった。あまりに強いストレスに晒されている時、身体を緩めすぎることは私にとっては逆に危険な行為だった。

だから頭だけが本当にちょうど良かったのだ。少し緩んで、今日も一日乗り切れる。自分の奥底に渦巻く感情とがっぷり向き合う元気はまだないけれど、今日を生き伸びるパワーをチャージできる。私にとってヘッドマッサージというのはそんな位置付けになった。

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