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私は子供だっただけ

私はずっと自分のことを「わがままで自己中で悪い子」だと思ってきた。
「気難しくて扱いにくい子」だと。

43年間信じて疑わなかった。
そんな悪い自分を変えようと一生懸命努力してきた。

だから夫や義母からの「お前が悪い」という言葉も鵜呑みにしてきた。
「やっぱり私が悪いんだ」と思って自分を変える努力を続けた。

夫が亡くなり、義実家との関係も終了し、私はどうやら今までがんじがらめに囚われていた網から抜け出したようだ。

そして分かったことがある。
夫はDVだった。夫の機嫌が悪くなるのは私のせいではなく夫が未熟だったからだ。

では私はなぜ「自分が悪い」と信じてきたのか?

それは親にそう言われて育ったから。
親もまたDVの関係にあった。
父親は些細なことですぐにカッとなる性格で
仕事から帰ると家で怒鳴ったり大きな音を立てたりして家族を恐怖で支配した。

母親はとにかく父親を怒らせないことを最優先に生きてきた。
そんな両親にとって私の自己主張は脅威だった。
父親を怒らせたら大変なことになる。
我が家では父親を怒らせないための「我慢」が一番大切なことで、我慢せず自分の思いを主張する私は邪魔な存在だった。

例えば夕方学校から帰ってピアノの練習をする。
私は5歳の頃から高校を卒業するまでピアノを習っていて、ピアノを大きな音で情熱的に弾くのが好きだった。

でも私のピアノの音を父親はうるさいと怒った。
父親を怒らせたくない母親もうるさいと私を叱った。

そもそもピアノを習わせたのは母親なのに、練習すると怒られる。訳が分からないしとても悲しかった。そして「私が悪い」という思いだけが蓄積していった。

一事が万事そんな感じで「父親を怒らせたくない母親」は「父親を怒らせてしまう私」にいつも冷たく否定的だった。

でも小さい子にそんな家庭の状況など分かるはずもなく、親が間違ってるなんて夢にも思わない私は怒られている自分が悪い子なんだと信じた。


今なら分かる。

私は「悪い子」なんかじゃなかった。
「わがままでも自己中」でも「気難しくて扱いにくい子」でもなかった。

私はただ「子供」だっただけ。
親が未熟すぎて対応できなかっただけ。

そう。私は「子供」だったんだ。
子供なんだから自分の感情をコントロールできなくて泣いたり怒ったりするのも当たり前だし、時にはわがままを言って親に甘えたりするのも子供だから当然のことだった。

それに対して親は寄り添い、子供の気持ちを受け止めてあげることで少しずつ子供は自分の感情をコントロールする方法を学んでいくのだ。

決して冷たく突き放したり怒ったり叩いたりすることで子供は感情をコントロールできるようになるわけではない。

むしろそんな仕打ちを受ければ受けるほど心は傷付いて感情はコントロールできなくなるし、自分に自信が持てなくなる。
そうやって親に上手に甘えられないオドオドした気難しい可愛くない子が出来上がる。

親が忌み嫌っていた私の特性は親が私に冷たく突き放すことで、怒りに任せておしりを叩き外に放り出して罰することで、親自身が作ってきた物だった。

私だって優しく寄り添ってくれて無条件に抱きしめてくれる環境があれば、今ごろ全く違う性格になっていただろう。

そしてそもそも私は「わがまま」でも「自己中」でも「悪い子」でもなかったのだということは
これからしっかりと自分に教えていく必要がある。

43年信じてきたことは簡単には消えないからこうして文章にして自分に染み込ませる必要がある。


「私はただの子供だった」「親が未熟だった」

これが真実。


長い間自分を責め続けてきたけれど、もう自分を許そう。

私は悪い子じゃなかったし、わがままでもなかった。

子供はみんなそう。それが当たり前。

私はそこから成長するサポートを、親からは得られなかった。

でも43年かけて自力で自分をコントロールする方法を学んだし、自分に起きたことを客観的に見る力を獲得したし、自分を赦す力を持つことができた。そして自分を愛することを知った。

全て自分で獲得したものだ。
これが私の自信。

親から貰えなかったけど
自分で自分に与えることができた。

私には自分で人生を切り拓いていく力があるんだ。

がんじがらめになった網を抜け出した今
視界は良好!

今までは目の前しか見えなかったけど
ようやく遠くまで見渡すことができそうだ。

これからは海へ行くのも山へ行くのも自分の意思で決めることができる。

誰かのためでもなく自分を罰するためでもなく
ただ本当に行きたい方向へ行こう。

私ならできる。



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