見出し画像

去るべき人は去り、来るべき人が来る


先日のこの話について、threadsで200件以上のコメントをいただいて自分なりに今一度考えてみた。

当時、夫の急逝で私はこれ以上ないほど傷付いていた。身体中の皮膚が剥かれて肉が剥き出しになっているような精神状態だった。普段はなにも感じないようなそよ風に吹かれても、身体がひどく痛い。本当に身体中が痛かった。ボロボロだった。

そのせいで私の感度は極限まで高まっていた。普段はスルーできる小さな違和感にも心が抉られる。過敏すぎる状態だったのは否定できない。「そんなに傷付くこと?」と言われれば、今はそうは思わない。

それでも、じゃああの頃感じた違和感は間違っていたのか?と言われれば答えはNOなんだ。その違和感は今まで心を鈍化させて気付かないようにしてきたものが表面化しただけ。私を守るために、本当は無視してはいけない違和感だったのだ。

そんな小さな違和感に気付かないふりして、自分の心に蓋をして誤魔化し誤魔化し今まで生きてきた。そのほうが楽だったから。波風を立てなくて済むから。今の生活を変えなくて済むから。

でもあの日を境に私は、そんな小さな違和感にも正直になったんだ。というか、そうならざるを得なかった。その道しかなかった。身体が勝手にそうなってしまったんだ。

だから縁を切った人々のこと、全く後悔していない。残念には思う。前みたいに付き合えなくてとても悲しい。人間関係がすごく狭くなって、ほとんど話せる人がいなくて孤独を感じてた時期も長かった。

でもそれは必要だから起こったんだ。本当の私を生きる上で正しい道だった。

それに仮に今その人たちと会って私は何が話せるだろう?あの頃とは別人の私と彼女たちの間に、もはや共通言語はないのだよ。それを痛いほどよく分かっている。



あの頃とはガラリと人間関係が変わってしまった。母や妹さえも、話せなくなってしまった。でもそれは仕方がないこと。必要なことが起きて、私はそれを甘んじて受け入れるしかないんだ。

「去るべき人が去って、来るべき人が来る」

それを信頼して委ねていこう。

宇宙を信頼して、流れを信頼して、自分を信頼していれば、必要なことは自ずと起こっていく。それに抗うことなく身を任せていく、それが私がこれから選択していく生き方なんだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?