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私が欲しかったのは「会話」じゃなくて「対話」

ようやく明確に言葉にできる。私が幼少期からずっとずっと求めてきて、どうしても手に入らなかったもの。

それが「対話」だった。

「対話」ってね、「会話」とは似て非なるものなの。この違いにハッキリ気が付いて、ようやく自分が求めてきたものが分かった。

ここで「会話」と「対話」の違いをハッキリさせとくね。

会話

話の内容を理解し合うというよりも、お互いに言葉をやり取りするという形式が大切であって、表面的に意思疎通ができれば成立する

対話

相手を認め、理解し、共感して繋がり、自分の考えを述べると同時に、相手の見ているものや感じていることを受け取ることが重要。
⾃分の思っていることをオープンに話すと共に、相⼿の考えを真剣に聴き、多様な考えを統合しながら新しいアイデアや発想を⽣成していく、極めてクリエイティブなコミュニケーション⾏為

ここに書いてある通り、「会話」はとりあえずお互いに思ったことを話せば成立する。

「あの芸能人、不倫してたらしいよ」
「えー!ファンだったのに!」

その行為には特に目指すべきゴールはなく、多少噛み合っていなくても大きな問題になることもない。クオリティの差はあるとしても、恐らくほとんどの人にできる難易度の低いコミュニケーションだ。

それと比べると「対話」は、より高度なコミュニケーションと言える。

「ねぇ、息子が学校行きたくないって言うんだけど、どうしたらいいかな?私はしばらく休ませて様子を見てもいいと思うんだけど」
「そうだな、確かにしばらく休んでみたら気持ちも変わるかもしれないよね。でも勉強が遅れるのは心配だな。」
「じゃあ、どうしよっか‥‥」


こんな風に、自分の意見を相手に分かるように伝えながらも(ここがすでに難しい)、相手の意見を理解し(もっともっと難しい)、さらにそこから新たなアイディアを創出して、お互いの意見の統合を目指す(なんという難題!!!)という明確なゴールがあるのだ。なんと難易度の高いコミュニケーションだろうか。

そして私が幼少期から喉から手が出るほど求めてきて、決して手に入らなかったものが「対話」だったんだ。


先日こちらの記事がthreadsでバズり、たくさんのコメントをいただいた。それを読んでいるうちに全てが繋がったんだ。

なぜ私が「ごめん、私には分かんないや」という言葉にそんなにも傷付いたのか。

コメントの中には「誠実に感じる」とか「むしろ正直で良い」とか好意的な意見もあって、もちろんTPO的に許されるタイミングではなかったにしても、そこまで私が傷付くには何か個人的な理由があるのでは?もしかして幼少期の傷が関係しているのでは?という気がしてきていた。


そして分かった。

私は幼少期から幾度となく、この「私には分からない」という言葉を投げかけられてきたのだと思い出した。そうだ、これは私のカサンドラの傷と繋がってるんだ。

母親は今思えばASDだったのだろう。私にとても無関心だった。分からないことや教えてほしいことがあっても、いつも答えは「分からない」以上。一緒に考えてくれることも調べてくれることもなかった。目の前で扉がバタンと閉めらるような絶望感だった。

私は子供だったから学校のことや一般常識で分からないことが山のようにあった。(当時はインターネットもなかったし、長子だったので他に聞ける兄弟もいなかった)でも母は既に扉を固く閉じてしまっていて、いつも私はひとりで考えるしかなかった。いつも不安だった。

学校で先輩にいじわるされた時も、トラブルが起きた時も、痴漢に遭った時も、母からは何の声かけもなかった。私はいつもひとりで不安の海に漂っていた。

夫もまた、大切な場面になると「分からない」と言って黙り込む人だった。出産、家の購入、親族との死別、子供の突発的なケガ、息子の不登校、夫の依存症。夫婦になると話し合って解決しなければならない問題が山のように出てくる。けれど夫の意見はいつでも「分からない」「考えてない」だった。夫もまたASDだった。

そして件の友人。私が夫の急逝を報告すると「私には分からない」と。

そう件の友人も恐らく軽いASD。母も夫も友人も「会話」はできても「対話」ができない人達だったのだ。

日常会話は問題なくできるから、まさか「対話」ができないなんて夢にも思わない。「対話」は普段は必要ないから、何か問題や事件が起こって、共に解決しなければならない場面になって初めて発覚する。もしくは病気や死別など精神的なダメージを負って寄り添ってほしいときに、寄り添ってくれなくて初めて違和感を覚える。(相手の負の感情に寄り添うこともまた高度なコミュニケーションが必要とされる場面だ)

ASDはコミュニケーションの障害だけれど、凸凹の程度は人それぞれ。母や夫や友人のようにグレーゾーンであれば尚更で、傍目には分からないから身近な人は突然の冷酷な対応に余計に混乱する。

普段は楽しく会話できるのに、いざ大切な場面になったらバッサリと切られる感じ。目の前で固く扉を閉ざされる衝撃は体験してみないと分からない。


私はこんなにも「対話」を求めてきたのに、それが絶対にできない人とずっと一緒にいた人生だった。なぜなら母に似た、その妙な正直さと不器用さに慣れ親しんだ安心感があったから。どんなに寂しい場所でもそこに慣れてしまっていたんだ。

そしてその場所では絶対に得られないものを求め続けてきた。「対話」のできない人に「対話」を求め続けてきた。それはビックカメラで「かわいいワンちゃんいますか?」って店員さんに聞くくらいナンセンスなこと。

あぁ、ようやく気付いた。場所が違ったんだ。


私の願いは人と繋がること。対話して共感して寄り添って、愛されて、愛したい。

その願いを叶えるためには、それができる能力のある人のところに行かなければならなかった。「対話」が欲しいなら、「対話」ができる人のところに行かなければならない。たったそれだけのことだったんだ。


間違った場所で心が繋がらなくて孤独を味わっては絶望するカサンドラゲームの人生はもうたっぷり堪能した。

これからは次のステージへ。人と繋がって愛を謳歌して生きるんだ。

そのために今、私はこれを理解する必要があった。たくさんのコメントをくれた皆様に感謝。ありがとうございました。



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