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「本と大学と図書館と」-51- やりがいの「搾取」と社会の「軋み」 (Fmics Big Egg 2023年9月号掲載)

 家庭・教育・仕事には循環関係があります。教育への入口としての家庭,教育の出口としての仕事です。学校を卒業して,安定した職に就き,順調に収入も増え,家族をもって,子どもを育てます。高度経済成長期から1990年代初頭まで,3つの領域は上向きに循環していました。しかし,90年代半ば以降,好循環に亀裂が入りはじめています。貧困と過重労働という過酷さや,精神的な絶望感や空虚さなどです。社会の「軋み」と表現されています。本田由紀『軋む社会:教育・仕事・若者の現在』(双風社 2008)(まえがき)
 自分の生活と重ねると,高度経済成長がはじまる神武景気の1955年に生まれて,大学卒業後は,1973年の第一次石油危機の悪影響で理工系の採用が激減して1年間の就職浪人中に司書資格を取得しました。大幅な進路変更を経て,二度目の石油危機のあった1979年に大学図書館に就職できました。大いに遊んで飲み歩いた4年半を反省し,職場結婚で身を固めます。1990年代初頭のバブル崩壊による景気後退を乗り越え,2000年に自宅を新築できたのは内助の功です。住宅建築は内需拡大に貢献するので好循環でしょう。
 循環は一巡しているものの,子どもを儲けていない高齢夫婦世帯なので,自分に発現した「軋み」を実感します。また,親や兄弟とは不仲なので,血縁関係の循環の輪もリンクしていません。詳細は省きますが,社会に対する「精神的な絶望感や空虚さ」や,「個人間・集団間の憎悪や対立の深まり」のソフトな読み替えが遠因です。
 次に,「やりがいの搾取」も衝撃的です。「働きすぎ」は,時間当たりの賃金の高い知的労働者では,仕事をしない時間の放棄所得が大きいとの理由で,一方,時間当たり賃金の低い単純労働者や非正規職員では,生活維持のための収入確保が理由で,「働きすぎ」が生じます(p.85)。搾取の問題が大きいのは後者です。雇用者は,労働者から高水準の熱意・能力・時間を拠出させようと,新自由主義的な利益優先の強い動機を持ち,良心的な正規社員も含めた労働者は,個人の趣味性や奉仕性によって強化した労働力を,滅私奉公と自己犠牲という日本的名目で差し出してしまいます。
 恒常化された「やりがいの搾取」の構造は,社会の「軋み」を密やかに進行させます。孤独・孤立対策推進法(2023年6月)にも時代性を感じます。FIRE(Financial Independence, Retire Early:経済的自立と早期退職)した身で第三者的に語るのも何ですが,消費市場や公共サービスの受益者であり,軋みには無自覚ではいられません。後世への大きな責任を果たすべく,調査・研究,社会貢献に精進の毎日です。

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