見出し画像

私はいつも、いつのまにか完璧であろうとする。

たいそう不思議なもので、完璧主義とは自覚していなくても、完璧主義に陥っていることに、ふとしたときに気づく。

私はまだ、「気づく」ことができるという段階にいるだけ、救われると思っている。

というのも、自分のことなんて自分が一番よくわからないと言うし、その状態では、他人からもわかるわけがない。
だからこそ、まずは自分が自分を理解してあげて受け止めるプロセスが大事なのに、なぜか人はそこをおざなりにして、今日も目の前にあるタスクをせっせとこなす。

そしていつのまにか、生涯を終えるカウントダウンに入る。

意識して掴まないとするすると過ぎていく時間を、水の流れを堰き止めるダムのように一時停止させ、「気づく」というプロセスを通して、自分の手綱で人生を進めていく感覚を取り戻す時間を、私は忘れずにいたい。

さて、ここまで話が飛躍したが、これはすべて私の特徴である。

すべて、ストレングスファインダーでいうと最上志向と未来志向、そして16性格診断でいうとNが強く出がちになる。つまり、頭でっかちだ。
何を言っているかわからないと思うが、私もわからない。(順を追って整理したい。)

常に頭の中がとっ散らかっている。だからこそ、言葉にするプロセスを踏まないと、さらに脳内がカオスになっていく。それは私が一番よくわかっている。

一呼吸置く。

ここまで「プロセス」という言葉を何回発しただろうか。
答えは、3回。

ここで気づく。私は「プロセス」をきっと大事にしたいんだなと。

ただ、ひとつ難点がある。

それは、私が完璧主義なことだ。
頭でっかちで、常に「完璧」な「結果」を求めようとする。

プロセスを決しておざなりにしているわけではないが、結果を求めてそこを経ているうちに、いつのまにか完璧を頭の中で描きすぎて、アウトプットを恐れて、立ち止まり、いつのまにかアウトプットしようとしていたことさえ忘れる。結果で得たかったものも、いつのまにか忘れている。

つまり、見栄だ。きっと私は、良い面だけ見せていたい、完璧な人間でありたいという欲があるのだと思う。

なんだかここまでただただセルフコーチングのようなアプローチになってしまっているが、おかげで私は気づきを得ている。

吐き出してみて感じたことは、私はすごく大きい未来を描きがち(未来志向・N)で、しかもそれを完璧まで近づけようとする(最上志向・N)ため、過程でつまづきやすい。つまり、理想が遠い。
だからこそ、小さすぎるぐらいのスモールステップを解像度高く持ってひとつひとつ実行していくことが、頭でっかちを防ぐ予防策になるだろう。

結論から話すこと、具体を示すことが本当に苦手だった。今も苦手だ。自分を守るために、結論を避け、言い訳を並べがちになる。頭の中がごちゃごちゃで、具体が出てこない。

それを、少しずつでも克服できるように、私はnoteを続けてみようと思う。

誰に向けて書いたものでもなく、ただの日記のようになってしまった気がするが、私の頭の中を一度公に出してみるという勇気を、ここで出してみようと思う。

発信をすることで、何かが変わるかもしれない。
完璧じゃない状態で出すこのnoteが、自分を完璧主義から解放するひとつのプロセスになるかもしれない。

こんな私もいることを、ひとつ、ここに、残しておく。