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<読書録:他者と働く―「わかりあえなさ」から始める組織論>

概要:
なぜ「わかりあえない」のか?
それは他者を取り巻く関係性を理解せず、一方的に自分の認識の中の解釈で他人を見てしまうからである。

「分かり合えていない」ことを受け入れたうえで、対話を通じ相互理解を進め、「新しい関係性」を構築することで共通の目的を見出し、物事を成し遂げていく手段・方法を説いた本。

 

<最終章抜粋>

かれらがそうせざるを得なかったのは、かれら一人一人の人間が邪悪だったからだろうか?そうではないのではないか?彼らが自分のやっていることの意味を相手からは考えることのできない関係性の中にいたからではないか?

形を変えて同じような過ち、同じような弱さから人間は逃れることはできないのではないか?

だとすれば私は、自分の痛みばかりに目を向けていることは、公平ではないと思った。彼らも自分もまた、関係性をいきる人間である。人間は、関係性に埋め込まれ、身動きが取れなくなる弱い存在である。その弱さは私の中にも依然として存在している。

その弱さが存在していることについて、私に痛みを与えたことへの責任という物語で圧殺してみて見ぬふりをしていてもどこかでのこる違和感を私も認めなければならなかった。憎んでいた彼らと私は地続きの存在であることを認めないことは、とても卑怯なことではないかと思った。

だから私はそこに連帯を見出すべきであると思った。連帯とは私がもしも相手だったならば、同じように思ったり、行ったりしたかもしれないということを認めることである。私の中に相手を見出すことである。私と彼らは地続きの存在なのだ。

だから一方的にではあるが、かれらと和解をすることにした。和解とは。これで一切そのことを恨まない、これでおしまいというわけではない。彼らを赦し受け入れる道を歩む決意をするのである。私がなすべきは彼らを恨むことではない。彼らを超え高に糾弾することでもない。私たちは敵と味方の関係ではないのだ。私たちはともに、弱さを生きている存在なのだ。この愚かで、弱い人間という存在は、しかしそれゆえに、より良い関係性を生きることができれば、素晴らしい存在にもなりうる弱さを持つ、希望に満ちた存在でもあるのだ。

私たち弱い人間が、それ故に善き人間として生きられる関係性をいかに築いていけるのか、私は父にそのミッションを託されたのだと思っている。

 

 

■ナラティヴとは?

物語を生み出す「解釈の枠組み」、その人たちが置かれている環境における「一般常識」のこと

例)ビジネスの枠組みでは、専門性や職業倫理、組織文化などに基づいた会社が典型的。

  その人の中の上司たるもの、部下であるならば、こういう存在であるならばという解釈の枠組み

■なぜ組織上で起こる問題が簡単に解決できないのか?

「一方的に」解決できない複数で困難な問題であるからである。これを「適応課題」という。

人と人、組織と組織の中の関係性の中で生じ、相互的に解決していく必要があるから解決が難しい。

 

<組織と働く人は「私とそれ」になりがち。人と人との関係性は「私とあなた」>

関係性分類:

「私とそれ」

人間でありながら向き合う相手を自分の「道具」のようにとらえる関係性のこと

ビジネスでは機能的に効率的に作用させるため、私情は抜きにして立場や役割に応じ、「道具」のようにふるまうことを要求する。

 

「私とあなた」

相手の存在が、代わりが効かないものであり、相手が私であったかもしれないと思えるような関係

 

■適応課題分類:

・ギャップ型

大切にしている価値観と実際の行動にギャップが生じるケース

仕組みの中に自分を置いたときに、自身の価値観に合わない組織の合理性を求められるとき等。

 

・対立型

互いのコミットメントが対立するケース

営業部のコミット(売上を達成する)と、法務部のコミット(契約が問題なく成立する)の差から生まれる相互軽視

(解決のポイントは互いのナラティヴを開示できる、フラットになれる場の設定)

 

・抑圧型

言いにくいことを言わないケース

何かを言うことが難しい問題だったり、行ってしまうと厄介ごとに巻き込まれてしまう場合

<よくあること>

弱い立場ゆえの正義のナラティヴに陥っている。

立場が弱い側はいくらでも人のせいにして逃げ道がある。が、そこに陥ると立場が強くなった時、その時立場が弱い側との対話の方法がわからなくなる。

逆に上に立つ人々は逃げ道が立場の弱い人たちのような逃げ道がなく、必要以上に被害者としての自分をかんじてしまって、メンバーを信頼できなくなってしまうことがある。

抑圧型の状況下では、自分のナラティヴに則した正義はほとんど役に立たない。

 

・回避型

痛みや恐れを伴う本質的な問題を回避するために、逃げたり別の行動にすり替えたりするケース

職場でメンタル疾患を抱える人が出てきたときに、ストレス耐性のトレーニングを施すといった場合。

 

■そういった適応課題は対話で解決する

対話とは:

一方的な技術だけでは歯が立たない「適応課題」を解消していくための方法。「新しい関係を築くこと」

権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を言い出すこと、相手の中に自分を見出すことで双方向にお互いを受け入れ合っていくことを意味する。

 

■対話の4つのステップ

・準備「相手の自分のナラティブに溝があることに気づく」

ポイント:

自分のナラティブをわきに置き、引いた目で見る

※相手をこちらが他の基準で評価するナラティブをそのまま持ち続けていたら溝に気づけない。何か自分が今まで経験したことこととは違うかもしれない、何かわかっていないことがあるかもしれないという現実を受け入れてみる。

 

・観察「溝の向こうを眺める」相手の言動や状況を見聞き、溝の位置や相手のナラティブを探る

ポイント:

相手や相手の周囲の観察。(どんなプレッシャーが、責任が、関心が、なぜ?等)

自分の味方になってくれる人、アドバイスをくれる協力者、情報を提供してくれる人をうまく見つけることでスムーズで的確な観察ができる

     

・解釈「溝を渡り、橋を設計する」溝を飛び越えて、橋が架けられそうな場所やかけ方を探る

「解釈」=「相手のナラティブにおいてもみがあるようにするにはどのようにしたらよいのかを考える必要がある

ポイント:

観察したことをベースに、相手のナラティヴの中に飛び移り、相手がどんな状況で仕事をしているのかシュミレート。

そこから自分が言っていることやっていることがどんな風に見えているのかを良く眺める。

ナラティヴの溝に架け橋できるポイントを、協力者などのリソースを交えて考える。

 

・介入「溝に橋を架ける」実際に行動することで新しい関係性を築く

人はその人の置かれた人間関係や環境にそもそも埋め込まれた作られた存在。

介入段階でやるべきことは検証である

反対側のナラティヴの中に来てもらい、そこから自分のナラティヴを眺めてもらう

共通のゴールを設定する

 

■対話の中で陥りやすい罠とは?

・気づくと迎合になっている

自分の考えを尊重せずに、相手の考えた通りに自分の考えや行動を変えること→相手への隷属、あきらめになってしまっている。対話に挑む=組織の中で誇り高く生きる

 

・相手への押し付けになっている

ナラティヴの違いを認識しきれていないことで起きる

・相手とのなれ合いになる

強い関係性・結束が生まれると「この関係を大事にしたい」という思いが生まれる=言いたいことが言えない「抑圧型」の適応課題が生まれる。

中立な人間は原理的に存在しない。誰もがそれぞれのナラティヴを生きているという意味で偏った存在であり、それは自分もそうだということを認識する

 

・ほかの集団から孤立する

良い関係性が構築できたチームは強い。組織の中の異能集団として見られることがある。(熱量のギャップ等)→これは悪くないが、常につながりを増やしていくこと。

チームの内側にもギャップを感じる人が出てきているかも。

 

・結果が出ずに徒労感に支配される

 

<メモ>

■人が育つとは

「仕事に対して必要な能力がその人の中に形成されること」、ではなく

「その人が携わる仕事においての主人公になること」

上司の仕事は「部下が仕事のナラティヴにおいて主人公になれるように助ける」こと

「仕事に対して必要な能力がその人の中に形成されること」=誰かが決めた仕事全体の中で部品としてその人が機能するようになること を意味する

その人のナラティヴの中に様々に学んだことが意味のあるものとして位置づけられるようになる必要がある。相手なりの仕事のナラティヴの形成という側面を抜きにして能力がないと一方的に決めつけても、意味の感じられないことに頑張れないのは当然。

当人の人生にとって意味のないタスク遂行能力の押し付けは意味がない

 


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