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小説映画とTikTok映画。どっちが好きですか?


 皆さんはどっちが好きですか??



 え??「小説映画」「ティックトック映画」が分からない???



 ですよね〜〜!!勝手に僕が作った言葉なので・・・💦

 ではそれぞれを定義させていただきますね。

 小説映画
  能動的にならないと観れない映画。自分から「理解しよう」「感じ取ろう」と思わないと面白さを感じることが難しい映画。

 TikTok映画
  受動的に観れる映画。何も考えなくても「面白い!!」と感じることのできる映画。


 定義も済んだところで改めて聞かせていただきます。皆さんはどちらがお好きですか??

 僕はここ最近、小説映画を多く見ています。ここ最近見た映画が「perfectdays」「哀れなる者たち」「オッペンハイマー」の3本でいずれも小説映画でした。

 じゃあ僕は小説映画の方が好きなのか。




 全くそんなことはありません。だって辛いんですもん小説映画観るの。小説映画は特に大きな山場がない分、一つ一つの描写に意味をもたせているような映画なので、ほんっとうに集中しないと面白さを感じることができません。

 なので見終わった後死ぬほど疲れます。




 ってことは僕はTikTok映画の方が好きなのか。




 こちらもそんなことはありません。だって、その一瞬は楽しいけれどあまり余韻が残らないんですもんTikTok映画は。とにかくテンションで押し切るような映画なので観ている時は最高に楽しいのですが、観終わった後は急激にテンションが下がります。

 なので、観終わった後は現実に引き戻され軽く絶望します。

 (「R R R」とかそうでした。)


 ということで、結論は「どちら好き」です。気分によって切り替えるのが自分に合っているなと感じています。

 ただ最近は小説映画を観る気分でした。映画から何かを学び取りたいという意欲があったので、そのような映画を立て続けに見ていたのです。

 小説映画の良いところはとにかく余韻に浸れるということです。そして、僕はこの「余韻」こそが人間としての幸せが表出したものだと考えています。

 皆さんはどんな時に余韻を感じますか??

 僕は自分から世界に働きかけて、それによって価値ある何かが生まれた時です。

 ・自分の授業によって子どもが楽しそうにしている。
 ・noteを書いていて新たな洞察を得る。
 ・小説を読んでいて新たな洞察を得る。

 こんな時です。

 小説映画は多くの場合、新たな洞察を得ることを手伝ってくれます。それが精神的な充足に繋がり、このような充足感が「余韻」として表出してくるのではないでしょうか。このような余韻に浸っている時、「幸せだなあ」って感じます。


 一方のTikTok映画。

 こちらも僕たちを幸せにしてくれます。ただ、こっちは人間的な幸福というよりも動物的な幸福と言えるかもしれません。

 大きな刺激で刹那的な快楽を与えてくれるTikTok映画は、小説映画とは異なったアプローチで僕たちを幸せにしてくれます。


 小説映画とTikTok映画。

 どっちが上でどっちが下とかないと思います。

 同様に、

 人間的な幸福と動物的な幸福。

 どっちが上でどっちが下とかないと思います。

 ただ、言えるのは人間的な幸福は比較的長く続きますが、動物的な幸福は一瞬で消えます。

 僕がそれを一番実感しやすいのは異性との関係です。



 (ちょっと下系な話になるので苦手な人は飛ばしてください)



 例えば風俗に行くとします。行為をした時に「幸せ」だと感じるのは性的絶頂の瞬間だけです。多分、刹那的で一瞬の快楽です。そのあとは激しい後悔の念に駆られるそうです。

 一方でそれが好きな人との行為だった場合。好きな人との行為であれば、それを一緒に作り上げていく感覚があります。性的絶頂の後も「幸せだなあ」って感覚がかなり長く続きます。






 また、人間的な幸福は何度も同じように味わえますが、動物的な幸福は回数を重ねることで快感が減退していきます。麻薬と同じです。



 なので、動物的な幸福だけで生きてくためには常に外的な刺激を強化していく必要があります。そのためにはたくさんのお金を要します。

 なのでコスパの良い人間的な欲求と、コスパの悪い動物的な欲求をうまく使い分けて、生きていく必要があるのかなあとか思ったりします。




 って考えた時にですよ!!!!

 今の時代、子供達は人間的な欲求を感じる力を身につけていけるのでしょうか??

 極めて難しくないですか??外的刺激が豊富かつ強すぎます。自分の内面の充足を図るのがめちゃくちゃ難しい時代だと思いませんか???

 なのでこれからの時代に重要になるのは「音楽」「図工」「プログラミング」「作文」など、自ら世界に働きかけていく必要がある学習なのではないでしょうか。(っていうか本来全ての学習というのは自ら働きかけていくもののはずです。)

 このような学びによって、「人間的な欲求」が満たされることの喜びを知ることで、動物的欲求の満たし方しか知らず、破滅に向かってしまう人々を減らせるのではないでしょうか?



 やっぱり、「教え込み」って罪です。本当に罪です。学ぶこと=世界に働きかけること=洞察を得ること=達成感を感じること=幸せ(余韻)になるはずなのに、「教え込み」は学ぶこと自体を嫌いにします。

 つまり、幸せになる方法を奪っているってことじゃないですか!! 

 やっぱり先生は子供にとっての「ツール」であるべきなんです。子どもが知りたい!って思った時に教えてあげるツール・・・。

 あああああ。やっぱ学校嫌いだあああああ。

 現実的にこれしかないのはわかっているけども!!



 なんとかならないものなんですかね本当に。



 興奮しすぎて話がめっちゃ脱線した上に、くそ偏った価値観を晒してしまいました。

 こんな価値観が奥底にあるから学校でうまくいかないんだろうな・・・。

 誰かめちゃめちゃに僕の価値観を否定してください。議論しましょ。そしてこの偏った価値観をなるべく中道に戻してあげてください。

 お願いします。



※この記事を投稿して5時間後の僕です。

 冷静になり、この記事の怖さにびっくりしています。

 主張していることは僕の本音ではないと思います。それと同時に嘘でもないです。

 思考の暴走というか何というか。記事が勝手に人格をもったというか、、、。

 性行為のくだりとか普段の自分なら絶対書かないのに、、、。

 消そうと思いましたが、何とも興味深い現象だったので残しておきます。

 


 いやぁ。不思議な経験でした。












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