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言葉なんか、覚えてよかったに決まってるだろう!:『ものすごい愛の ものすごい愛し方 ものすごい愛され方』

昔から2ちゃんの嫁大好き&旦那大好きスレが好きだった。(読んだことがない方のために説明すると、パートナーのかわいかった発言や嬉しかった行動を報告しあっている、ほっこりするスレッドである)

ずっと同じ人が好きってすごいな、奇跡だな、と思っていて、私もそこにたどり着きたくて、いろんな事例を集めたくなる。

不幸の話は不幸の話で、刺激が多くてたしかに面白いんだけど、疲れてるとき読むとやられちゃう。疲れてるときは、幸せな気持ちに包まれて眠りたい。

で、ものすごい愛さん。彼女のTwitterが私は大好き、お連れ合いへの愛が溢れてて、のびのび生きていらして。だから彼女の本は、出るなり即買った。

正直に言えば新しい価値観をみつけることはなかったが(愛さんと私は考え方が似すぎてるからかもしれない)、「これこれ〜!」という快楽を得られてよかった。いま私がたどり着いた快感な関係性を、言語化して世の中に残してくれてる、という感じがした。

特に以下のところ。

時間を有意義に使い、楽しいことだけをして過ごしていたいので、我が家では「察する」という概念を排除して生活している。 
喜怒哀楽の感情に加えて、理由と要望、全てにおいて〝自己申告制〟を導入している。 

たとえば、休日に夫とデートに行って、とても楽しい時間を過ごしたとする。 
帰り道、「今日のデートはとても楽しかった。お昼に食べたカレーがとてもおいしかったね。連れて行ってくれてありがとう。欲しかった本が売り切れていて残念だったけれど、一緒に探してくれてうれしかった」とわたしが伝えると、夫は「おれもすごく楽しかった。ずっと連れて行きたかったお店だったから、おいしかったと言ってもらえてとてもうれしい。本が見つからなくて残念だったけど、そうやっておれが付き合ったことにきちんと感謝してくれる君と結婚できておれはほんとうに幸せだ」と返してくれる。 
そして最後は「わたしたちはなんてサイコーなんだ」「おれたちはずっとずっとサイコーだよ」という言葉で締めくくられるのだ。

(サイコーって言いまくって終わるところ、ほんとサイコーよな)

「言葉で言う」って、すごく大事だと思う。 

それは夫婦やカップルに限らず、職場でもなんでも。
思っていることを論理立てて話さないで、勝手に怒ってる人が私はどうしても苦手だ。だって、それは赤ちゃんから進歩してないじゃないか

どんなに仲良しでも、その人の行動パターンや思考パターンがわかったような気になっても、私達は他人だ。その日の気分なんて、その人にしかわからない。なんでも話すなんて野暮かもしれないけれど、勘違いをひきずって相手をもやもやさせたまま生きていくより、ずっといい。

今の職場はダイバーシティを推進しようとしてるんだけど、その割にまだ「察してほしい」人がずいぶん多い。若手なら、女なら、これをやっててほしい…という無言のメッセージ。それを汲み取る人しかいない職場、同質の人しかいられないですよね?さらに言えば、例えばアスペルガー症候群の人を、排斥してしまってもいると思う。

私は、「他の人は自分と同じ物差しを持っていない」ということを認識して、そのつもりで話したり行動したりすることが「ダイバーシティ化」に欠かせない、と思ってる。ていうか、ダイバーシティを推奨しようがしまいが、ここにはいろんな人がいる、ってことは変わらないんだよ。今まで可視化されてなかっただけ。

「閉じる」方向の願いだから上に書いてることと逆行するんだけど、私は、今後の私の人生、「話し合いがちゃんとできる人」にだけ、時間をかけていきたいな、と思う。


↓今の恋人の一番好きなところはちゃんと話をしようとしてくれるところなんだけれど、それについて書いた記事も貼っておきます。


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