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生き残った者たちへの鎮魂歌~すずめの戸締り~

途中までは、よくあるストーリーだなと思ったはずだった。
日本神話をモチーフにしたオーソドックスなストーリー展開。退屈ではないけど、友人たちがいうような「号泣」レベルには程遠い。

ところが結局、理屈じゃなく、もうなんか突き動かされるように泣いてた。

いつものように冷静でいよう理性的でいようと、思考をめぐらすことも諦めた。
抗うのをあきらめて、衝動の波に委ねたまま、ただただ涙を垂れ流してた。

それくらいの衝動のスピードだった。津波みたいだと思った。

少し冷静になったいま、よくぞ作ったなと思う。
逃げずに真っ向勝負してきた(ある意味)まがまがしい力強さ。

暖かく”包み込む”ではなく、ひっぱたいて”ねじ伏せる”ほどの強引な肯定感。
希望を”ともす”ではなく、”たぎらせる”強さ。

見る人によっては、しんどい、つらいと感じるかもしれない。
でもそこをわかったうえで描いてる気がして、だからこそよく作ったなと思った。


大事なものは目に見えない~記憶を語り継ぐ

数年前、東日本大震災で大川小学校に通っていたお子さんのご遺族の講演を聞く機会があった。そのお話で強く印象に残ったのは、防災意識を高めるのに大事なのは、恐怖をあおることではなく将来の希望の光を描くということだった。「大事な人たちとの日常を永らえたい」、つまりは「助かりたい」「生きたい」という思いをどれだけ抱かせるか。
その思いを強く抱かせるために、家族や知人友人たちとのなにげないありふれた日常をイメージすることから始まるんだと思い知った。だからこそ「生きたい」につながるのだと。

映画のストーリーに戻ると、宗像草太は地震を生みだすミミズと対峙するとき、そこに根づく人々の言葉や残像、記憶を思い描きながらミミズ封じの詞を唱える。彼もまた、奥底に眠って見えなくなった日常の尊さを、人々の代わりに心のまなこに焼きつけるのだ。そうやって天災の破壊から守る。

ほんとうに大事なものは見えにくいし、記憶は薄れて消えていく。
一緒にミミズを退治し始めたすずめの「大事なことをしてる気がする」との言葉にハッとする草太。相当な危険をともなう任務なのに、なかったことにされ語り継がれない閉じ師の生業に意義を見いだせなかった(と思われる)草太は、すずめに役割の尊さを認められ、救われた思いになったんだろう。

生きたいと思うのは間違ってるのか?

一方で、すずめもまた、草太によって生きることに価値を見出していく。

草太が閉じ師に魅力を感じなかったもう一つの理由は、おそらく人柱として犠牲になる可能性をはらんでいることもあったように思う。彼は定めに向かいあえないヘタレなのではなく、崇高さとかいらないからもっと生きてたいんだよオレは、と願う健全な男子なんじゃないかと。

「死ぬのが怖くないのか」と、草太や草太の祖父はすずめに問いかける。

すずめは生きることに執着していない。偶然あの世(常世)に迷いこんだことで死後の世界は地続きだと感覚的に知っていて、常世で母に会えるのもいいかもと感じている。だから死ぬのが怖くない。

ところが、草太と出会って彼を助けたい生かしたいと強く思い、さらには要石になる寸前の草太の今際の叫び(ほんと生々しい!)に触れることで、生きることにベクトルが向くようになった。母を亡くし、自分だけ生き残ってしまったことの罪悪感を抱えながらなお、生きることにこだわっていこうと。
生きても死んでもどっちでもいいんだよねと思ってた少女が、いろいろあるけどやっぱり生きてこうと思えるようになったのは、「やっぱ生きてーよー」と願い続けた草太に出会った変化だと思う。

「正しさ」のその先へ

「君の名は」は見てないんですけど、「天気の子」と「すずめの戸締り」に共通してずっと描きたかったのは“正しさを超える”ってことなんじゃないかと思う。
みっともないし、きたないし、ずるいかもしれないけど、生きてなきゃなんにも始まらない。正しくなくたって小ぎれいじゃなくたっていいじゃん!という世界観を、ずっとずっと描きたいんだろうなという気がする。そうやって「生き残ってしまった」人を叱咤激励する鎮魂歌を描き続けてるんだろうね、この人は。

だけど。
幼いすずめが、「お母さんは看護師なんです きっと誰かを助けに行っちゃってて どこに行ったかわからないんです どこにいるか知ってますか」のようなことを必死に訴えるくだりから、
「お母さんがいなくなってツラいのはわかるけど、生きていればいいことが絶対ある!」と無理やり説き伏せて生の世界に帰す間髪入れないねじ伏せ感が、嗚咽しそうにヤバかったシーンなのだけど、人によってはこのねじ伏せ感に圧を感じる人もいるんだろうな。

これはエネルギーの高い人たちのロジックであって、そうでない人もいる。
そこまでツラい思いまでして助かりたくないとか、ここまで強くいられないとか。わたしもその立場になったらこんなに強くいられる自信はない。
実際、被災者ご遺族の中にも、傷や痛みをほじくらないでほしい、そっとしておいてほしいという方もいらっしゃるという。

でも生き残ったのは正しかったのかと、自己卑下しながら清く正しく制限して生きているのは、ほんとうに生をまっとうしてることにならないじゃないか。たとえ過ちを犯しても、こずるく、もっと生きることに貪欲に生きていいんだぞ!と強烈に打ち出した覚悟にわたしは震える。

「すずめの戸締り」で、鎮魂歌は到達点に達したように思うので、次回作はどんな世界になるのか楽しみ!



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