『夢見る人間は現実のために夢想する』 中原佑介著「見ることの神話」を読む【前編】
本書を読んだなかでもっとも心を動かされた文を、引用し前編として取り上げることにする。
自身の頭の中にあるアイディアを、現実のものとするべくして芸術家は何かをつくる。そういった意味で、アイディアというものは具現化されていない状態のものとして扱われ、アイディアそれ自体はまだ価値が与えられていないものと捉えられることがある。
アイディアだけでは価値がないと評価されるなかで、著者はアイディアにこそ本質があり、アイディアのみで価値のあるものになり得ると説く。
人間には実用性を超えた想像をすることが可能であり、それは現実に対する欲望として動き回る。それを形として言い表したものがアイディアである。アイディアとは人間の欲求がストレートに向かった先にあるものなのだ。
その欲望のエネルギーは現実を改変しようと動き始め、具体的なものとなろうとするが、必ずしもそれは実際に具現化されなくても構わない。想像の中の現実を改変することができたならばひとつの目的は達成されているからだ。
現実に対して欲望されたアイディアの例として、クレス=オルデンバーグの計画された巨大なデッサン・ダヴィンチの飛行機・カジミール=マレーヴィチの絶対主義的な建築模型等を挙げている。
マレーヴィチや「第三インターナショナル記念塔」のタトリンに代表されるロシア構成主義の構想した建築様式はその多くが実現されなかったが、多大な影響を残している。
上記のようなアイディアたちは現実に成立することはなかった。しかしながら、現実へと働きかけるエネルギーを確かに携えている。実現されようとされなかろうと、欲望がアイディアとして結実したことに自体に価値を見出せることの証明ではないか。
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