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自由律俳句と俳句の中間点を探る(3)

この記事では、自作の句を元に、句そのものについての考えを深めます。

▶︎▶︎▶︎前回の振り返り

 『自由律俳句と俳句の中間点を探ってみたい』という好奇心のもと、ある一つの情景で、『散文』、『自由律俳句』、『俳句』、そして『自由律俳句と俳句の中間句』の4つを作ってみることに。試行錯誤の末、『散文』と『俳句』に加えて、『自由律俳句』が完成しました。

散文    :眠れなかった。烏が鳴いていた。
自由律俳句 :眠れず烏の声聞く
俳句    :寝聡しや入梅を待つ黒鴉

◀︎◀︎◀︎今回はいよいよ自由律俳句と俳句の中間句を作ります。

自由律俳句と俳句の中間句に挑む

 いよいよ中間句を作ります。俳句の特徴である『季語』『五七五』をそれぞれ『眠れず烏の声聞く』に足して、句の印象がどうなるか検証してみます。

 また、『切れ』についても少し触れます。『切れ』についてはこれまであまり詳細に書きませんでしたが、俳句ではよく使われている技法で、情景を切り替える効果があります。

パターン1:季語を加える
    例えば『梅雨入り』を句の後ろにつけてみるとどうなるでしょうか。

 自由律俳句   :眠れず烏の声聞く
 自由律俳句+季語:眠れず烏の声聞く梅雨入り

 個人的な意見としては、この句は自由律俳句らしさを保っています。眠れず(4)烏の(4)声聞く(4)梅雨入り(4)。四四四四のリズムが、五七五とかけ離れていることが大きい理由としてあるように思います。

 今度は一般的な文章にはあまり出てこない、俳句ならではの季語を加えて印象を見てみましょう。

 自由律俳句   :眠れず烏の声聞く
 自由律俳句+季語:眠れず烏の声聞く黒南風

黒南風(くろはえ):梅雨入りの頃、どんよりと曇った日に吹く南風。夏の季語。(参考:コトバンク)

 これはちょっと興味深い句です。構造は「眠れず烏の声聞く梅雨入り」と同じで、且つリズムも四四四四なのに、どことなく俳句感が漂います。しかし俳句目線で観察してみると、句またがり、字足らず字余り、三句切れなど気になるところがあり、沢山添削をもらいそうな句です。自由律俳句とも俳句とも言えない。でも散文でもない。もしかすると、これが自由律俳句と俳句の中間句の一種かもしれません。

パターン2:五七五に整える 

 他のパターンでも考えてみましょう。リズムだけを五七五に整えるとどうなるでしょうか。試しに詠む材料を増やさず(季語を入れず)に、助詞などを入れることで五七五にしてみます。

 自由律俳句    :眠れず烏の声聞く
 自由律俳句+五七五:眠れずに烏の声を聞いている

 俳句に近づくどころか散文寄りの印象になるという面白い現象が起きました。俳句らしさをつくるには、五七五のリズムと季語が両方必要であることを証明しているようにも感じます。

 次に、季語以外の材料を増やして五七五に整えてみます。『夜明け』の文字を入れた上で、適宜助詞も加えてみます。

 自由律俳句    :眠れず烏の声聞く
 自由律俳句+五七五:眠れずに烏の声を聞く夜明け

 無季俳句もしくは川柳のカテゴリに入れたくなる句が出来ました。自由律俳句と俳句の中間句という印象も、散文的な印象も受けません。


パターン3:『切れ』を入れる
 
『切れ』は句点『。』の代わりとして効果を発揮します。『切れ』というと、かな・や・けりに代表される『切れ字』が入っていないといけないと思いがちですが、そうではありません。かの有名な松尾芭蕉の言葉で、「きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也」というものがあります。

「きれ字に用時は四十八字皆切レ字也。不用時は一字もきれじなしと也」(切れ字を用いるときはいろは四十八字みな切れ字となるし、用いないときは一字も切れ字にならない。

つまり、芭蕉によれば、「切れ」は句の内容の問題で切れ字がある/なしの問題ではないということである。
(引用:Wikipedia


 試しに拙句を『切れ』の視点で見てみましょう。


(句切れなし)
鎖骨のくぼみが今日のお湯を掬った

氷砂糖から拾われてゆく乾パン

(名詞句で切れている)
春巻きパチパチと揚げたて
春巻き パチパチと揚げたて 

飲みかけの緑茶誰もいない客間
飲みかけの緑茶 誰もいない客間  

(動詞の終止形や命令形で切れている)
シナリオ通りにゆかず癇癪起こす他人の子だ
シナリオ通りにゆかず癇癪起こす 他人の子だ 
                     
(助詞や助動詞で切れている)
シナモンロールから湯気だ冬のフィンランドを憶う
シナモンロールから湯気だ 冬のフィンランドを憶う



 これらの句を見ても分かるように、かな・や・けり、その他の切れ字が無くとも『切れ』は句の中に作れます。さらに『切れ』が入っていても、自由律俳句らしさは崩れません。『切れ』は俳句だけでなく自由律俳句でも使える技法であることがこれで分かります。

 切れ字についてもう少し知りたい方は、こちらの記事が役に立ちます。

「切れ」「切れ字」とは?(日本俳句研究会)

俳句とは(Wikipedia)

(リンク先の方々へ:一方的にオススメ記事としてリンクを掲載しておりますため、削除等ご希望される場合はお申し付けください)


 また、いま使っている言葉だけで俳句を詠みたいと思っている方は、Kusabueさんのこちらの記事が役立つかと思われます。Kusabueさんは、いま使われている言葉を見つめて詠む活動をされています。


 『切れ』には色々なパターンがあることを学びました。おまけの実験として、『眠れず烏の声聞く』の句でさまざまな『切れ』でアレンジしてみましょう。この句は、『眠れず / 烏の声聞く』という風に『切れ』自体は存在しています。

(動詞の未然形で切れている)
 眠れず / 烏の声聞く 

(動詞の終止形で切れている)

 眠れぬ / 烏の声聞く
 寝聡し / 烏の声聞く
→どちらも連体形と区別がつかないため、眠れない烏という意味にも捉えられてしまう。敢えて曖昧にしたい場合には効果的。

(助詞や助動詞で切れている)
眠れぬぞ / 烏の声聞く
眠れないよ / 烏の声聞く
寝聡しや / 烏の声聞く
眠れぬままだ / 烏の声聞く
 
(句切れなし)
 眠れぬまま烏の声聞く

 これらの例はほんの一部です。他にも様々なパターンが作れそうです。


結果

 以上の検証によって、『自由律俳句と俳句の中間句』に一番近いと感じたのは以下の句でした。

自由律俳句+季語:眠れず烏の声聞く黒南風

  俳句ならではの季語『黒南風(くろはえ)』が入ることで、自由律俳句が俳句らしく変化しましたが、リズムは五七五ではないため、自由律俳句らしさも残っており、まさに中間句といえます。

 しかしながら季語あり且つ同じリズムの句でも、『梅雨入り』という普段馴染みのある言葉の季語を加えた際には、俳句らしさはあまり見受けられませんでした。

自由律俳句+季語:眠れず烏の声聞く梅雨入り

 
 こちらについてもう少し深堀りしたいので、更新はしばらく先になるかと思いますが、次回のこのシリーズの記事にて書く予定です。


 自由律俳句と俳句の中間点を探る(1)から(3)で、一つの情景で4種類の散文や句ができました。こうして並べてみると、言葉の掛け合わせの可能性を感じます。

散文           :眠れなかった。烏が鳴いていた。
自由律俳句        :眠れず烏の声聞く
自由律俳句と俳句の中間句 :眠れず烏の声聞く黒南風
俳句           :寝聡しや入梅を待つ黒鴉

 俳句と自由律俳句のどちらか一方のみを作られている方、どちらも作られたことのない方も、この記事が新しい試みのきっかけとなれば幸いです。

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