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リベラルアーツの次にあるものは創造的な表現かと思うのです。

以前にリベラルアーツについての記事を書きました。そこでも述べたとおり、リベラルアーツ教育の目的はリバレイトすること。つまり、他人の考えや社会の慣習から自らの思考を解放することでした。

今年4月から国際教養大学に拠点を移し、さっそく開発学のコースを担当しています。学生とのやり取りのなかで気がつくことは、彼らが「考える」ということがとても好きだということ。

週に2回の講義は1回が75分、そのなかでの私の役割は前半30分のインプット。毎回リーディングの課題があるのですが、私が同じものを読んで何を考えたのかを30分でプレゼンします。

このプレゼンの最後にグループディスカッション用の問いを投げかけ、残り時間はしっかり議論してもらいます。グループも最大で4人と小規模なのでフリーライドはできません。でも様子を見ているとどの学生さんもテーマについて議論することを楽しんでくれているようです。本当に考えることが好きなのだなと感じます。

グループディスカッションのあとは全体に何を議論したのかを報告してもらい、それに続いて私が全体のまとめとコメントをします。ここで大事にしていることは論点の正しさや面白さではなく、このコースで議論している理論や概念を応用したらテーマについてどう考えられるのかということや、議論の前提になっている条件を疑っているのかどうかです。

どういうことかというと、「アマルティア・センがケイパビリティアプローチの提唱者」という内容を覚えることは、同じ情報はGoogleで調べれば0.005秒くらいで出てくるものなので、それ自体にはほとんど意味がありません。ケイパビリティアプローチという考え方がどういう考え方で、それを用いて今の世の中を見たときに何が言えるのか。そういうふうに考えられる力をつけていくことがリベラルアーツ教育の目指すところなんだと思っています。

講義の最後は5~7分の「write-up (書く時間)」で、個々人でその日の講義で学びになったことやもっと突き詰めたい疑問などを書いてもらいます。大抵は私が前半に時間を超過してしまうのでこの時間が短くなってしまうのですが、手を止めずにとにかく5分書き続けるだけで分量としてはけっこう書けるので、短い時間でもこれを週2回やるっていうのはけっこう良いトレーニングになります。また1学期間(15週間)続けると、それなりの量になって書くことに対する自信も湧いてきます。

さて、こうしてリベラルアーツ教育で前提を疑うことや異なる考え方を使って世界を複数の視点から見ることを身に着けたあと、次はどこに向かうのでしょうか。私としては、リベラルアーツは考え方を身につけることですから、その後には何らかのアクションが生まれてきてほしいと考えています。

ここでの「アクションが生まれてきてほしい」は決して行動派の若者が世の中に増えて欲しいとか、そういう類の意味ではありません。リベラルアーツで身につけた考え方を用いた上で、自分が考えたことを「表現する」という意味合いでのアクションを捉えてほしいと思っています。

それはおそらく舞台上で踊る役者さんや文章を書く作家さんのような人たちの創作的活動に似ているような気がしています。行動派の若者よりも、そうした創作的な表現が溢れる社会のほうが、なんだか面白そうな気がします。

私の講義を受けた学生さんたちがこれからどんなアクションとしての表現をしていってくれるのか、今からとても楽しみです。


*今日のサムネの写真は講義の準備が煮詰まってグループディスカッションのテーマがなかなか思いつかなかったときにサイクリングにでかけたときの風景。「駅近」という表現があるけれど、うちの大学は「田園近」。こういう風景のなかにあるということもリベラルアーツと創作的表現を育むために大事なことだと思う。(少なくとも教員である私は助けられており、その日も無事にディスカッションのテーマを思いつくことができました。)


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