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リベラルアーツを「教養」と訳すのはそろそろ止めにしよう。

今日は、リベラルアーツについて書いておこうと思います。

このテーマについて書こうと思ったきっかけは、リベラルアーツの和訳として広く用いられている「教養」という表現が、本来リベラルアーツの意味するところとは違うものを想起させるなと思ったことでした。

1.「教養」という訳にひっぱられてしまう

リベラルアーツを紹介する書籍を調べてみると、「大人のための教養」とか「本物の知性」とか、そういう抽象的な表現が多くでてきます。しかし、肝心のリベラルアーツの目的が示されていないことが多いようです。リベラルアーツとはいったい何を目指すものなのでしょうか。

リベラルアーツは主にリベラルアーツ教育というかたちで、この教育スタイルを選んだ大学(リベラルアーツ・カレッジ)で行われています。リベラルアーツ・カレッジはリベラルアーツ学部のみの単科大学であることが基本で、多くの場合に大学院を持たずに学部教育に特化しています。

これがアメリカから日本に入ってきたときに、「教養」や「教養教育」というような訳が当てられたのでしょう。実際に国内のリベラルアーツ・カレッジである国際基督教大学や国際教養大学でも学部名は「教養学部」となっていますので、この表現がすでに一般的になっていることがわかります。

ところが、ここで表現として被るのが、主に国立大学が実施している(いた)教養課程と専門課程というカリキュラムです。大学4年間のうちの前半2年間を教養課程とし、幅広い分野の知識を得る。この基礎的知識の土台をつくったあとに後半2年間で専門性に特化した知識を得る専門課程が続きます。リベラルアーツを「教養」と訳してしまうと、この教養課程で目指しているところの教養と言葉として被ります。これにひっぱられてしまうと、教養として訳されるリベラルアーツは、専門知識を身につける前に身につけるべき教養(幅広い分野の知識)というニュアンスになってしまいます。しかし、リベラルアーツはこれとはまったく違う目的を持っています。

2.リベラルアーツは自分で考える社会を創ること

ここで本題ですが、リベラルアーツとは「思考的な解放のためのアーツ」であり、これを身につけるための教育がリベラルアーツ教育です。このことはこれは言葉を見れば明確です。リベラルアーツ(Liberal Arts)の語源は、ラテン語の"artes liberales"にあり、ここでの"arts"は「作法・方法」、"liberales"はリベラル(liberal)のことですが、動詞の"liberate"で考えると分かりやすく、その意味は「解放する」です。つまり、リベラルアーツは、「解放のための作法」ということになります。

何から解放する・されるのか。それは、世論、慣習、自分自身の持っている思い込みから自らを解放し、思考的に自由になることを意味します。このときの代表的な作法(アーツ)が、現象や意見を批判的に検討するクリティカル・シンキングというということになります。

ある個人が、流れてくる情報を無検討に事実として受け入れたり、多数派の意見を無批判に受け入れて他の可能性を模索することを手放してしまっていたりすると、この個人はいとも簡単に、ある特定の思考に囚われてしまいます。日々触れている情報や意見に対して無批判状態にある人々の割合が高い社会は、思考停止状態に陥った部分が大きい社会と言えるでしょう。こうして出来上がる「自分で考えることをやめてしまった社会」は、たったひとりの恣意的発信によって大きく揺れ動くこととなり、やがて容易に操られてしまうようになることでしょう。リベラルアーツ教育は、思考的な解放を通じて自分で考える人を育て、やがて自分で考える社会を創るための教育であると思います。

というわけで、リベラルアーツを「教養」と訳すのはそろそろ止めにして、自分で考える社会を創るため教育という本質のところを大事にして、語源に忠実に「リベラルアーツ」と表記していきましょう。

3.自分で考えることをやめてしまった社会で何が起きるのか

完全に個人的な見解ですが、最近の出来事としてとても興味深いのは、リベラルアーツ発祥の地であるアメリカにおいて、たったひとりの恣意的発信によって、建国の象徴である連邦議会議事堂が暴力的に占拠されるという事件が起きたことです。今のアメリカは、自分で考えることをやめてしまった人々の割合が極めて高くなった社会なのではないでしょうか。

この記事の締めに、日本国内のリベラルアーツ・カレッジのひとつである国際教養大学の鈴木典比古学長がリベラルアーツを紹介している下の動画をぜひ観て頂きたいです。リベラルアーツ教育の目的と方法をとてもわかりやすく説明してくれています。

鈴木学長は国際教養大学に来られる前は、国際基督教大学の学長も務められた先生ですので、日本の高等教育におけるリベラルアーツ教育の先駆者的存在だと思います。

自分で考える社会が創られていくために、リベラルアーツ・カレッジで学ぶ若い人たちがこれからも増えていってくれたらいいなと強く願っています。


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