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泣けなかった世界一周、次の夢へ

僕は去年、アメリカを1人で横断した。

アメリカ横断の帰りも今回と同じロサンゼルス国際空港からだった。

去年、ロサンゼルスから日本に向かう飛行機の中で僕は泣いた。

ホントに多くのアメリカ人に応援され、助けられ、飯を奢ってくれた。

なんで彼らは僕にそんなに親切にしてくれるんだろう?

一方で僕はいつもケチだし、自分の利益ばかり考えている。

旅が終わってホッとしたこと、彼らへの感謝、自分への情けなさを想い、飛行機で1人泣いていた。

それから1年経って、僕は世界一周に旅立った。

今回の旅は今まで以上に色んな人にお世話になって実現した。

クラファンで旅費を募り、想像以上に多くの方が支援してくれた。
普通の日本の親だったら大学を2留した息子が世界一周することを許さないだろうが、僕の親は僕を放置してくれた。
僕が代表を勤める学生団体の仕事は、ある大人が引き受けてくれた。
旅中もスペイン語やポルトガル語がわからない僕に親切にしてくれた人がたくさん居た。

チケットの買い方がわからなかったり、道に迷ったり、財布を落としたり、色々あったが大きなトラブルはなく、今回も無事に日本に帰れそうだ。

今回の旅は泣けなかった。
長年の夢が叶ったはずなのになんでだろう?


アメリカで学んだことよりも次の次元のことが学べた旅だった気もするが、まだ自分の中で言語化されてない。

地球を一周したという実感もない。

世界一周が夢だったが、それが叶ったという実感がない。

果たして僕は
世界の色んな国を見るのが夢だったのか
世界中に友達を作るのが夢だったのか
世界一周すること自体が夢だったのか
世界一周したという肩書を得ることが夢だったのか

わからない。全てYesではある。

夢ってなんだろう。


僕は浪人してた時は北大の医学部に入るのが夢だった。

北大に入り、綺麗なキャンパスを歩き、彼女を作り、北海道のどデカいスキー場でスノーボードをする。



これが僕の夢で、これを叶えるためにめちゃめちゃ勉強した。

この夢は叶った。
今は北大が大好きだ。
入る前に想像していた、「偏差値が高い」とか「スキー場に近い」から、ではない。
かっこいい伝統がある。
立地の良さのお陰で色んな学部、色んな大学の人が混ざり合える。
フロンティア精神に溢れる先輩が多く、僕の視座を上げてくれた。
これらは入ってからわかったことだ。北大に入って良かった。

そして世界一周という次の夢を抱き、その練習としてアメリカを1人で横断した。

今は世界一周という夢を叶えた。

次の夢はなんだろう?
たくさんある。

目の前の人を助けられる医者になること
日本のシニアが最後まで人生を楽しめるようになること(まずは札幌から)
子育てしやすい環境を整えて日本人の子供を増やすこと
日本の為になる仕事をすること


夢は叶ってみると「あ、こんなもんか」となる。

時間が経つと「やっぱりあの時に夢を叶えておいて良かった。だからこそ今の環境がある」と納得する時もある。

そして次の夢を抱く。

僕が今抱いている夢は今まで僕が抱いていた夢を叶えたからこそ、湧き出てきたものだ。

「夢を叶えてもっと大きい夢を描こう」


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