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最近読んだ本についてのメモ(31冊:超長文)

最近(2024年1月~3月下旬)読んだ本31冊を概観する。
1冊ずつ詳細な説明を書くのも大変になってきたので、後半は短めに済ませた。


破戒(島崎藤村著:ワイド版岩波文庫)

非常に有名な作品。明治時代に書かれた本だから難しいと思ったが、現代語に訳されているので大変読みやすくなっている。

長野県の被差別部落出身の主人公(教諭をしている)が、父からの「被差別部落出身であることを隠せ」という戒めを破り、自分の生徒や同僚などに出自を打ち明け、最終的に街を離れ、同じく部落出身の男性とアメリカのテキサスへと向かうという形で物語が終わる。
破戒」というタイトルが物語の終盤で回収されているのが面白いと思った。そして、バッドエンドでもハッピーエンドでもない終わり方ではあるが、まあそれほど悪い終わり方でもなかったと思う。

さて、この物語で出てくる人物の中で、主人公が勤務していた学校の校長と、その校長にコバンザメの如く媚まくる「文平」なる男の存在が、個人的には癪に障った。
今の時代でも、この手の奴はどこにでも湧いて出てくるなあと思いながら読んだ。一方、主人公のことをひたすら庇った友人の「銀之助」や、主人公の境遇と自分とを重ね合わせて、ひそかに恋慕していた「お志保」なる人物は好印象であった。

この物語を読んでいて救われたのは、校長や文平、そして当時多くを占めていたであろう被差別階級をただただ嫌悪し見下し差別していた連中だけでなく、主人公に共鳴し、支え続けた人が確かにいたことだろう。

主人公が、自分の生徒たちに自身の出自を告白する場面は、しばしば評論家から批判されがちなところでもあるらしいし、実際「あとがき」に於いてもそのようなことが書かれていたが、別にそれは良いではないか。
社会的マイノリティの1人として、その前途を自ら切り開いていこうと活動していくことこそが理想的な結末であったと言うならそれもそうだが、それは一つの考え方に過ぎない。
私は、無理解な大衆にいくら叩かれようと、自分を守り擁護してくれる大事な仲間を持つことが大切であるし、そんな仲間たちがいなければ、少数者、被差別者が夜明けを見ることはできないであろう。
という感想を素直に感じ、少数者としての闘い方を学んだ。

蝸牛考(柳田国男著:岩波文庫)

蝸牛(かぎゅう:カタツムリ)の呼び名を研究し、それをもとにして「方言周圏論」という理論を提唱した内容の本。

方言周圏論」というのはまあ簡単に言うと、最も新しい方言が京都から現れ、京都から離れるにつれて使われる方言がどんどん古いものになっていくという理屈なのだが、私の拙い説明(これを書くだけでも10分くらいかかった)ではよく分からないと思うので、実際に読んでみてもらいたい。

さて、巻末のあとがきにもある通り、方言周圏論は決して万能なものではなくて、これが当てはまらない場合というのも多々ある。
それに、高度成長期を経て地方ごとの特色が薄まり、どこに行っても同じような風景しか見えない現代では、もはや「蝸牛」という言葉に関して言っても、方言周圏論は成立していないのかもしれない。

JR全線全駅下車の旅(横見浩彦著:ベストセラーズ)

日本全国の駅に下りるという前人未到の偉業を達成した鉄道ファン、横見浩彦氏の本。
横見氏と言えば、かつては「タモリ俱楽部」の鉄道特集に出演したり、自分の番組を持ったりするほどの売れっ子であったらしい。
女性漫画家と横見氏が鉄道で旅をする様子を描いた漫画「鉄子の旅」も好評を博し、アニメ化もされている。
このように、鉄道ファンのスター的存在だった彼だが、今では還暦になり、メディアへの露出も少なくなっているようだ。
(メディア出演は少なくなったが、彼のXを見れば、今でも元気に鉄道旅をされている様子を見ることができる)
おそらく、今の鉄道ファン(特に若年層)における横見氏の知名度は、残念ながらそれほど高くはなく、「鉄道ファンからの憧れ」としての地位は、鉄道系YouTuberのような人たちに取って代わられてしまったのが実情だろう。

だが、私は有象無象のYouTuberの人たちよりも、横見氏のようなタイプの方が好きである。
なにより、フリーターをしながら鉄道旅行をして、それだけでは飽き足らず全国の駅に乗下車するという、普通の人では考えられないことをする「変人」っぷりが面白い。
私はただの人間には興味がなくて、「変人」が好きなのであるが、横見氏は今の鉄道界隈、オタク界隈ではあまり目立たなくなってしまった、愛すべき変人と言えるだろう。

さて、この本には横見氏が日本全国のJRの駅に下りるまでの記録が書かれているのであるが、平成生まれの私としては、当時(1995年前後)の鉄道の充実ぶりが本当に羨ましくなる。
国鉄末期を経て多数のローカル線が廃止を余儀なくされたとはいえ、まだ周遊券は健在、夜行列車も多数あって、今より鉄道の旅がしやすかったことと思う。

私が今住んでいる、北海道を旅している様子ももちろん書かれている。
北海道のローカル駅(今ではその多くが廃止されてしまった)は、停車する列車の本数が極めて少ないため、隣の駅から歩いてアクセスしなければならないこともある。
横見氏がてくてく駅まで歩いていたら、道を行く車が彼のすぐ傍に停車し、乗せてもらって駅まで送ってくれたというエピソードが書かれていた。

私も駅巡りの為ではないが、一昨年の北海道旅で人がほとんど歩かないような道路沿いを長時間歩いてみたことがあったが、その時は乗っていこうか?と止まってくれる車はいなかった。
徒歩で移動するのは楽しいから車に乗りたいわけではないし、変な揉め事にも巻き込まれたくないから別に良いのだが、何となく「俺って誰からも心配されてないのか?」と思ってしまった。

旅の楽しさと大変さが表現された本書だが、横見氏がたびたび無人駅で寝泊まりをする、所謂「駅寝」を実践しているのも大きなポイントだ。
今でも場所によっては駅寝は可能であろうが、メディア(現代なら動画、ブログ、SNSなど)で「駅寝をしました!」と大っぴらに言うことは憚られるだろう。

監視社会の現代なら、「駅で寝るなんて違法だ!」とか「JRに許可は取ったのか?」とか、正義感に駆られた人たちに袋叩きにされるに違いない。
いや、それならまだマシな方で、もし都市部に近い駅だったなら、たまたま居合わせた乗客に「うわ、駅で寝てる奴いるんだけどー」などと写真付きでSNSに投稿され、拡散されるリスクもある。
全く、つくづく嫌な時代になったものである。

約3年ほどの年月をかけ、横見氏は念願のJR全駅下車を達成する。
最後に降り立つことになった美作河井駅には多くのマスコミや友人、関係者が押しかけ、横見氏が乗った列車には専用のヘッドマークまで付けられた。
JRにしては、非常に粋な計らいだと思う。
その後横見氏は私鉄全駅下車にも挑戦、2005年に達成している。

破産者オウム真理教 管財人、12年の闘い(阿部三郎著:朝日新聞出版)

私は90年代後半生まれのため、オウム真理教による一連の事件をリアルタイムで目撃していない。
しかしながら、私は昔から日本国内で発生した事件や犯罪に興味があって、オウム真理教事件についても個人的に調べてみることが多かった。

最近はYouTubeなどで当時のオウムに関する報道を見ることができるし、ジャーナリストの青沼陽一郎氏の取材によって制作された「麻原法廷漫画」のように、オウム裁判を細かく分析した資料も豊富に存在している。

破産者オウム真理教」と題されたこの本は、地下鉄サリン事件を経てオウム真理教による犯罪が世に明るみになった後、団体に解散命令が出され、被害者救済のために破産宣告が出される後のことに焦点が当てられている。
著者の阿部三郎氏は、管財人として被害者救済に必要な原資を用意するために、オウムが所有していた土地や建物などの財産を管理処分する仕事に関わっていて、本書にはその模様が細かく記述されている。

オウム事件というと、オウム真理教(とその前身団体)が設立されてから、地下鉄サリン事件を始めとするさまざまな事件を引き起こすまでの過程や、オウム幹部の裁判に注目が集まりやすいが、この本は管財人の立場から書かれた貴重な資料になっていると思う。
本書で紹介されていた、旧上九一色村の資料にも興味が湧いたが、こちらは残念ながら山梨県の図書館にしか所蔵されていないらしい。

武蔵野(国木田独歩著:新潮文庫)

こちらも有名な作品だからということで、読んでみることにした。
武蔵野」のほかにも、「郊外」や「たき火」「源叔父」など、色々な作品が収録されている。
正直言って、「武蔵野」よりもそれ以外の作品の方が面白かった。
特に「河霧」「源叔父」「忘れえぬ人々」が良かった。

「武蔵野」に関しては、私自身もかつて川崎市に住んでいて、新丸子や二子玉川辺りの多摩川沿いを散策したことがあるから、興味を持って読むことができた。当時と現在とでは武蔵野の様子も大きく変わってしまっただろうが、今でも多摩川沿いを散策する愉しさはなくなっていないと思う。
その他の短編に関しては、前述の通りいくつか気に入った話があって、特に「河霧」が印象的だった。

「河霧」の詳しい内容を知りたい方は、実際に読んでみてもらいたいと思うが、地方出身で気の弱い自分としては、主人公にシンパシーを感じざるを得ない内容だった。

国木田独歩の作品は初めて読んでわけだが、自然描写が巧みで想像を掻き立てられるし、人物の切ない描写が素晴らしく、読んだ後の余韻もまた良かった。
何となく、バラードを聴きながら読むといい感じの雰囲気になると思った。

北朝鮮抑留記 わが闘争二年二カ月―1999年12月‐2002年2月(杉嶋岑著:草思社)

北朝鮮に約2年間拘束されていた著者によるルポルタージュ
この方はもともと日経新聞で記者をされていて、新聞社を辞めた後はジャーナリストをしているようだ。
拘束されてから解放されるまでの約2年間の間に起こった出来事が、詳しく記載されていて面白い。
特に、抑留中に出会った北朝鮮の人々の話や、監禁された部屋から密かに外の様子を眺め、活動する人民の様子を記録した記述は、非常に興味深かった。
写真や動画の撮影もしておらず、メモの多くも解放直前に没収されてしまったのにもかかわらず、ここまで詳しい内容の文章を書けてしまうのは、やはり新聞記者の才能によるものなのだろうか。

さて、本書の記述の中で特に衝撃的なのは、日本の政府機関の中に、北朝鮮の「スパイ」がいることを暴露している部分で、もし本当であるとすれば驚きだし、日本の安全保障が心配になってしまう。
著者の方は若干右翼っぽいところがあるようで、所々にそれを匂わせる記述があったが、国を愛する人だからこそ、国の機関に属する公務員に裏切られた時の悲しみは相当なものだっただろう。
とにかく、スパイがいることは嘘であって欲しいと思うばかりである。

昭和史(上)(中村隆英著:東洋経済新報社)

昭和史をまとめた本。「上」では1926年から1945年(太平洋戦争終戦)までを網羅している。
私は高校時代地理選択だったので、日本史は中学レベルの知識しかない。
特に昭和史は歴史の授業ではサラッと触れられる程度のため、例えば太平洋戦争について言うと、

  • 真珠湾攻撃

  • ミッドウェー海戦

  • 日本各地の空襲

  • 広島、長崎原爆投下

  • ポツダム宣言の受諾

という程度の理解しかなかったというのが実際のところだ。

日本を含む世界各地がきな臭い情勢となる中、最近の私は太平洋戦争が起きた時のことをよく知っておきたいと思うようになり、今回昭和史を改めて学んでみようとこの本を読み始めた。

本書を読むだけで、大正末期からの日本が、どのようにして戦争に突き進んでいったのかを振り返ることができる。
私の素直な感想は、日本政府が平和的な方向に行こうとするたびに、決まって右翼勢力による圧力や政治テロが起きるなという印象だった。

当時の世界情勢は現在とは全く異なり、帝国主義的な欧米列強との戦いを強いられていた部分もあっただろうが、軍部や右翼勢力による圧力から戦争をする方向に邁進し、真珠湾攻撃以後は日本の世論全体が大きく「右」にスライドし、無謀な戦争に固執した結果、多くの国民の生命と財産が失われてしまったのは、この国の大きな失敗と言わざるを得ないだろう。

太平洋戦争に関しては、戦争が終わるまでは散々国のために戦争を完遂させようと言っていた人たちが、終戦を迎えて連合国軍の占領下に置かれた途端、民主主義や人権という概念をまるで以前から擁護していたとばかりに振る舞うようになったというエピソードがよく聞かれる。

つまり、丸山真男が言うように日本人の精神には確固たる柱のようなモノがないため、一夜にして思想信条の変化が起きてしまうのであろう。
このようなことは今後も起こり得るだろうし、コロナ禍において「自粛警察」と呼ばれる一部の人々が、県外者、飲食・パチンコ店、繁華街に対してヒステリー的に叩いていたことを鑑みると、つい最近も似たようなことが起きていたと思う。

もちろん私自身もそんな「日本人」の1人であることには変わりないので、自分への戒めも込めて、将来の日本のことを考えなければならないと思う。

日本の思想(丸山真男著:岩波新書)

丸山真男という政治学者を知ったのは最近のこと。
とりあえず読みやすそうなところからこの人の本を読んでみようと思い、(一番読みたかった「超国家主義の論理と心理」は図書館の「書庫」に入っていて借りづらかったので、こちらを優先したというのもある)この本を手に取った。

新書のため読みやすい内容かと思いきや、やはり難易度は割と高かった。
色々なことが書かれているのだが、特に「『である』ことと『する』こと」という論評が面白かった。

君主論 新版(マキャベリ著、池田廉訳:中公新書)

世の中には、「マキャベリズム」という言葉があるそうである。
無知な私はその言葉の存在すら、つい最近まで知らなかったのであるが(受験勉強しかしていないとこのように受験以外の知識・経験が抜け落ちた人間になる)、「マキャベリズム」=権謀術数という言葉は、マキャベリの著した「君主論」に端を発していることを知り、この本を読み始めた。

内容は意外と読みやすく、しかも26もの章から構成されていて、1つ1つの章は短いため、集中力を切らさず読み切ることができた。
500年近く前に書かれたとは思えない、現代でも通用する内容であると思った。
とにかく「君主」という立ち位置(現代で言えば社長なども同じようなポジションだろうか)の大変さというか、そういったものの片鱗を見たような気がした。

鉄道を書く 種村直樹自選作品集 1960-1969(種村直樹著:中央書院)

宮脇俊三氏と並ぶ「鉄道作家」として知られる、種村直樹氏の作品集のうち、1960年代の鉄道を取り上げた内容を抜粋した一冊。
紀行集を想定していたが実際は異なり、種村直樹が毎日新聞社に勤務していた時に彼が書いた記事内容と、それを補足する文章がメインとなっている。

本書では当時著者が働いていた名古屋周辺の鉄道が主に取り上げられており、とりわけ高山本線に関する記述が多かった。
やはり50年以上も前の鉄道事情は、今とは大きく異なっている。
周遊券や蒸気機関、きっぷのダブルブッキング、夜行列車に新聞紙を引いて寝るなど、今ではあり得ないようなことが語られる。
鉄道以外の面を見ても、例えば国鉄職員の定年が55歳であったり、駅に勤務する職員が定期券販売の情報を使って、気になっていた女性客の住所を突き止めたり(今なら懲戒免職ものだろう)と、当時と現代とで常識が大きく変わったことがその記述からよく分かる。

べてるの家の恋愛大研究(浦河べてるの家著:大月書店)

当事者研究」という言葉を世に広めた「べてるの家」の存在は、結構昔から知っていたように思う。
「べてるの家」は、北海道日高地方の浦河町にある、精神障害を抱えた人の活動拠点。
「当事者研究」を通じて精神科医などの専門家からでは見えない視点から、自身の障害や疾患と向き合う活動を行っている。

この本にも書かれているが、浦河では精神病床数を減らすことにも成功している。つまり、精神障害者を入院させて社会から隔離するという「社会的入院」ではなく、当事者が地域社会に溶け込むという形で活躍することを目指しており、実際に上手くいっていることは凄いことだ。

「べてるの家」の取り組みが上手くいっているのは、もちろん当事者の方や支援者の努力もあるだろうが、地域住民が障害を持つ当事者を受け入れているというのが大きいと思う。

さて、本書は「べてるの家」に関わる男女の恋愛・結婚事情を描いた内容で、「精神障害者の恋愛・結婚」というある種のタブーに踏み込んだ本になっている。
恋愛すること、結婚することは人間の生活にとって不可分の活動であって、それは精神障害を持つ当事者にとっても同じことである。

しかしながら、障害特性が原因で健常者と比べコミュニケーションに難を抱えていることが多かったり、体調の変化が激しかったりすることで、男女間の関係を上手く築けない人も多い。
だからといって、「精神障害者は恋愛するな!」という方向に持っていくことはしない。
「ではどうすれば円満な関係を築けるか?」という問題提起をし、各々の当事者研究によってこの問題を解決しようとしている。

さまざまな当事者研究が紹介されていて、ASD当事者の私としても参考になる部分がたくさんあった。
もう少し男性の事例が多かったら良かったなというのが正直な感想だが、精神障害者の恋愛というテーマになると女性(とりわけ若い女性)の事例が多くなるのは、仕方のないことでもあるだろう。

村上春樹「かえるくん、東京を救う」英訳完全読解(村上春樹著:NHK出版)

最近ふと英語の勉強がしたくなって、この本を読んでみた。村上春樹を読んでみたかったというよりは、英語を読んでみたかったのだ。

一般大衆の好んでいるものを嫌い、嫌っているものを好もうとする私は、「ノーベル文学賞」を期待されるほど大衆に人気のある村上春樹の作品を、どうしても読む気が起きなかった。
何となく最近(昭和後期~)よりも、明治~昭和初期の作品を中心に読み進めていきたいという意識も手伝って、村上春樹の本を読むことは今まで1度もなかった。

今回初めて村上春樹の作品を読んでみた。
この本は「かえるくん、東京を救う」という短編の日本語文(原文)と英訳が書かれていて、英語を勉強するための教材になっている。

私の英語力は、センター試験(2017年受験)でだいたい85%TOEIC L&R(2019年受験)では820点を獲得する程度のレベルだ。
ちなみに、英検は受けたことがない(面接試験があるので避けていた)。
最後のTOEIC受験から5年近くが経っているので、今の英語力はもう少し落ちているかもしれない。
リーディング力には長けているが、ライティングはあまり得意でなく、スピーキングは(私のコミュニケーション能力の低さが原因で)ほとんど全くできない。

実際に英訳を読んでみると、意外とスイスイ入ってくる。
難解な単語がちょくちょく出てきたり、一文の長さが長かったりして、読むのが大変になることもしばしばであったが、短編なので全文を読み切ることはそれほど難しくなかった。

この「かえるくん、東京を救う」という短編の内容は、金融機関に勤務する主人公が、「かえるくん」という蛙と協力して地中にいる「みみずくん」を倒し、東京を大地震から救うという内容…いや、これは表面的な理解でしかない。

実際に作者が何を伝え、言おうとしているのかはよく分からないが、色々な人の感想文を読んでみると、「かえるくん」と「みみずくん」の闘いというのは、主人公の心の中で起きている葛藤だと考えている人が多いようだ。

結構面白かったので、今後も機会があれば村上春樹作品を読んでみたいと思う。

堕落論・日本文化私観他二十二篇(坂口安吾著:岩波文庫)

坂口安吾は、新潟県を代表する作家として有名だ。
私も新潟出身として、彼の作品を読んでみたくなった。

この本には、「堕落論」や「日本文化私観」の他、22の作品が収録されている。
読んでみた正直な感想は、「この人(坂口安吾)、相当なひねくれものだな」の一言。
やはり歴史に名を遺す文豪になるためには、これくらいぶっ飛んでいないと難しいということだろうか。

文章そのものは面白い。ただ、事あるごとに誰かを批判し、時にはけちょんけちょんにこき下ろしていて、(「青春論」における宮本武蔵への評価など)正直若干不快な気持ちを覚えることもあったが、戦前~戦後すぐの時期に書かれた文章を読んで、まるで最近書かれたSNSの投稿を読んだような気分になっていると考えると、坂口安吾という作家が今の時代でも通用しているということを、私の感情が証明したということにもなる。

とまあ少し批判的な論調になってしまったが、それはあくまでも「感情的」な部分であって、坂口安吾という作家が主張したいことをしっかり考えてみると、特に間違ったことは言っていないと思えてくる。

それに、戦中のナショナリズムが跋扈していた時期に、日本文化を全否定した「日本文化私観」を書き、戦後すぐの時期に「天皇を最も崇拝している人間こそ、天皇を最も冒涜している」と天皇制を利用してきた人々を的確に糾した「堕落論」を著したことは、坂口安吾の独自性を際立たせることにつながったと言える。

終着駅(宮脇俊三著:河出文庫)

鉄道作家のパイオニアとして知られる宮脇俊三氏の本。
宮脇氏没後に編集された本で、未掲載原稿がメインの内容になっているようだ。
「終着駅」では、稚内駅や根室駅、片町駅など、全国各地の終着駅が出てくる。既に廃駅となったところが多いが、一番驚いたのは稚内駅前に客引きがいたという記述。
おそらく当時は発展途上国の駅前のような風景だったということだろうか。

北大の学風を尋ねて(七戸長生著:北海道大学出発会)

札幌市中央図書館の郷土図書エリアで見つけた本。
北大に入学していたかもしれない自分としては、ぜひ読んでみたい内容だ。
札幌農学校=北大の代名詞的存在ともいえるクラーク博士の逸話から、恵迪寮、寮歌、各学部学科の特徴まで、幅広く記述されている。
北大に興味のある高校生や受験生におすすめの本だが、文章量が多いので時間のある人でないと難しいか。

丸山真男セレクション(丸山真男著、杉田敦編:平凡社ライブラリー)

日本を代表する政治学者、丸山真男の論文をまとめた1冊。
非常に分かりやすく読みやすい形で整理されていて、丸山真男の世界へ足を踏み入れたい読者にとって最適の内容となっている。
現代でも通用する内容ばかりで、これは政治について勉強している人だけでなく、全国民が読むべき本だと思った。

発情装置(上野千鶴子著:岩波現代文庫)

著名なフェミニズム学者として知られる上野千鶴子氏の本。
上野千鶴子氏と言えば、その名前だけは知っていて、「フェミニストの人ね」くらいの認識しかなかったのであるが、岩波の目録を見ていたら上野氏の本がかなり多く刊行されていることを知り、今回そのうちの1冊を読んでみた次第。
非常に示唆に富む表現が満載の1冊で、特に男性として生きている人間には分からない考え方、モノの見方を学ぶのには素晴らしい本だと思う。
特に、性風俗を利用して性交渉をする男は、女性を使った自慰行為をしているに過ぎないと断じた記述は、全男性が衝撃を受けるのではなかろうか。
ただ1つ気になったのは、上野氏が他の人物や学者を紹介する際、敬称のある人とない人が併存していたことである。

この「発情装置」は色々な媒体で発表された文章を1冊の形にまとめたものなので、一貫していない部分があるのは承知だが、同じ文章の中で、敬称を付けている人と付けていない人がいるのは何か作為的なものを感じてしまう。

首都消失(小松左京著:城西国際大学出版会)

城西国際大学出版会の「小松左京全集」が図書館にあって、そのうちの1冊「首都消失」を読んでみた。
400ページを超える大作で、読み終えるのに2週間くらいかかった。
謎の「雲」によって日本の首都圏との通信や交通が絶たれてしまった後の世界を描いた内容で、シミュレーションSF的作品であるらしい。
1980年代の作品であるため、携帯電話がなかったり、ソビエト連邦がまだ存在していたりと現代との違いはあれど、この壮大な世界をたった1人の力で創造できる小松先生の力量は凄い。
面白い内容だったが、終盤になって突然、主人公の朝倉(妻子を「雲」の中に残す)が自分の勤務先でアルバイトをしている女性と不倫をする(ホテルの一室で…)描写があったが、これは物語にとって必要があったのか?と思ってしまった。

小松先生の作品がシミュレーションSFという要素を含んでいることを考えると、天災によって妻子を失った男性が、その後取り得る行動の一例を示したに過ぎないということだろうか。
しかもこの主人公、物語の序盤では同じ会社で働く部下の女性社員のために駅弁を買っていて、彼女からも慕われていた。所謂モテ男という設定か。

時刻表2万キロ(宮脇俊三著:河出書房)

宮脇俊三氏の代表作。宮脇氏が当時の国鉄全線乗車を果たすまでの足跡が記されている。
図書館に所蔵されていたのは昭和55年1980年)発行の初版で、人間で言えば中学生ぐらいの子どもがいてもおかしくない年齢である。

国鉄時代を知らぬ私だが、北海道のローカル線についてはそこそこ知っているので北海道を旅行している部分を中心に読み進めた。
今でこそ北海道のローカル線はすかすかになってしまい、代替バスすら減便や廃止が進む有様だが、この本が書かれた当時(1970~80年代)はかなり充実していたようだ。

例えば、南稚内と音威子府を結ぶ天北線。この路線はもちろん今はなく、代替バスすらその一部が昨年秋に廃止されている。
夕張市を通っていた石勝線の登川支線は、こちらももちろん廃止済み。代替バスも残っておらず、今は公共交通でアクセスできなくなってしまった。

路線が少なくなった分、「全線完乗」の重みも軽くなった。
今でも全線完乗を挑戦する人たちは多いが、特に北海道に関して言えば、JR全線を走破することは朝飯前とすべきで、鉄道代替バスの制覇も目指すべきだろう。

周遊券は消え、夜行列車も消え、ローカル線の大部分も消え、地方独特の味わいも薄まり、その代わりに出てきたのは全国チェーンの飲食店、インターネットとLCC、格安ホテルとネットカフェ。
現代の方が旅の利便性は上がったことだろうが、殊ローカル鉄道に関して言えば、その面白さは半減どころか、ほとんどゼロに等しいところまでなくなってしまったと思う。

この本を読んで旅行に行きたくなったが、もはや当時の趣きはない。
YouTubeで鉄道系動画を投稿されている「旅一郎」氏が、キハ40気動車が石北本線などから近く引退することを受け、「汽車旅の終わり」と表現されていた。
近々、キハ40に乗りに行ってみようか。汽車旅ができなくなる前に。

未完のファシズム(片山杜秀著:新潮選書)

大学時代から読んでみたかった本、ようやく読むことができた。
いきなり、私と同郷の小川未明の名前が出てきて驚いた。
宮沢賢治も出てくる。宮沢が「国柱会」と関係していたことは知らなかった。
日本が如何にして1945年の8月15日の、国の滅亡に至ったかを片山先生独自の視点から掘り下げている。
無謀な対米戦争が引き起こさせた背景には、丸山真男が言うような「無責任の体系」が関係しているというのは有名な話だが、本書では日本軍の精神主義がどのようにして浸透していったか、また日本の満州進出がどのような背景で進められたのかを分析し、明治憲法下にあった日本特有の問題を指摘している。
非常に面白い本で、大学時代に読まなかったことを後悔した。

独房・党生活者(小林多喜二著:岩波文庫)

日本におけるプロレタリア文学の始祖として知られる小林多喜二の作品。
まず「独房」については、刑務所に入れられた共産主義活動家たちが、各々のやり方でコミュニケーションを取ったり、共産党や共産主義のことを主張したりしているのが面白かった。
「党生活者」は、当時非合法とされていた共産主義運動の厳しさがよく分かる内容になっているし、主人公と「笠原」という女性との関係が、同じく女性で運動に関与している「伊藤」と対比してみることができ、(あとがきの解説に詳しい)ある種の青春小説として読んでも面白いと感じた。

地図 初期作品集(太宰治著:新潮文庫)

太宰治がまだ「太宰治」と名乗っていなかった時代の作品が収められている。中には中学生時代に書いた作品もあるらしく、太宰のポテンシャルの高さを窺い知ることができる。
特に面白いと感じたのは、「断崖の錯覚」「虚勢」「貨幣」など。

地震の日本史 大地は何を語るのか(寒川旭著:中公新書)

古代から現代にいたるまでの、日本の地震史を簡単に振り返ることができる1冊。情報量はかなり多いが、地震のデータや歴史的資料を淡々と紹介しているような内容になっているため、全部読むのは少し大変だった。
自分の住んでいる地域や出身地で起きた地震について触れられているページを読むだけでも、新しい発見を得ることができると思う。

フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体(藤岡換太郎著:ブルーバックス)

東日本と西日本の境界を形作っているフォッサマグナについて学ぶことができる1冊。理科系の内容であるが、それほど難しくはなく、文系の人でも楽しみながら読むことができると思う。
ジオパークの紹介も随所に盛り込まれており、特に私の出身地に近い糸魚川のジオパークにはいつか行ってみたいと思った。

怠け数学者の記(小平邦彦著:岩波現代文庫)

日本で初めてフィールズ賞を受賞した数学者である、小平邦彦氏の本。
所々数学の専門的な知識を要求するような内容もあり、その部分は全くと言っていいほど理解することができなかったが、プリンストンで仕事をしていた時の話や、日本の数学教育に苦言を呈した文章など、面白く且つ興味深く読むことができる一冊だった。

三島由紀夫紀行文集(三島由紀夫著、佐藤秀明編:岩波文庫)

アポロの杯」を中心に、三島由紀夫が海外や日本国内を旅行した時に書かれた文章が収録されている。
内容は個人的にはかなり難解で、正直言って読んだうちの半分も理解できれば良いくらいであったが、(海外に行ったことが一度もないからかもしれない)「とりあえずブラジルってこんな感じの雰囲気なのか」という感じで、薄く広く読み進めることができたと思う。

津軽(太宰治著:岩波文庫)

太宰治の代表作の一つ。太宰が太平洋戦争中の1943年に、自身の出身地である青森県津軽地方を歴訪した時の紀行文となっていて、かなり面白い。
津軽地方の地図や写真を見ながら読むと、より深く内容を理解できるようになると思う。
私は津軽には行ったことがないので、一度は行ってみたい(特に津軽北端の竜飛岬はぜひ見てみたい)と思った。

教育格差(松岡亮二著:ちくま新書)

教育格差というテーマに徹底的に向き合った1冊。
初めから終わりの少し手前まで、ひたすらデータに基づいた論考が書かれており、正直言ってストーリー性には乏しいため、少し退屈だと思う部分もあった。
しかしながら、データを詳しく分析することで、日本における教育格差の実態が手に取るように分かるようになっていて、かなり完成度が高いと感じた。

下流志向(内田樹著:講談社文庫)

「教育」や「労働」から逃避する(自ら「下流」に行こうとする)若者世代をテーマとした一冊。
生まれながらにして消費する主体に組み込まれる社会システムと、共同体が消え去った社会によって、「勉強しない」「働かない」若者が生まれていると説いている。
2000年代に書かれた本なので、この本で述べられている「若者」は、現在の30~40代の人たちということになる。
当時急増していた「ニート」問題への対処については、「各々の合理性に基づいてニートを選んでいるのだから、経済的合理性という餌で釣っても意味がない。ニートでも救済するという姿勢を見せることで、未来のニートを減らすことができる」と結論を述べている。
刊行から20年近くが経った現代でも通用する問題なので、現代社会を俯瞰するためにも読んで損はない本だと感じた。

平成史(佐藤優、片山杜秀著:小学館)

佐藤優、片山杜秀の両氏が対談形式で、平成の30年間を振り返る。
非常に読みやすく面白い内容になっていて、激動の平成という時代を、映画を見るように回顧することができた。
各年の流行語や流行歌、主要な出来事、及び脚注も充実しているので、純粋に平成史を学びたい人にもおすすめできる1冊だと思う。

国体論 菊と星条旗(白井聡著:集英社新書)

政治学者の白井聡氏による、「国体」論。
「国体(國體)」とは、戦前に盛んに喧伝された言葉であるが、白井氏によると、「国体」は太平洋戦争終戦によってなくなったのではなく、戦後の今も厳然として存在しているという。

戦前における国体はもちろん「万世一系」としての天皇であったが、戦後の今は「アメリカ合衆国」に取って代わられた。
ソビエト連邦が崩壊しても、貿易摩擦が起きても、対米従属の勢いは弱まるどころか、一層強まっている。
現代の国体たるアメリカに固執し続けるならば、将来の日本は太平洋戦争の敗戦のようなカタストロフを再び経験することになるかもしれない。
「保守」とされる人たちが、盛んにアメリカを持ち上げ、米軍基地の移転や負担軽減を訴える沖縄を嘲笑する様を見て、いつも不思議に思っていたが、白井氏の考え方からすれば、彼らが米国に従い、沖縄を軽く見ることは当然のことなんだろうと思った。

平成天皇(上皇陛下)が、戦後民主主義を破壊しようとする勢力に対抗して、「お言葉」を述べられたのだとしたら…と思うと、何か心が熱くなるのを感じた。

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