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かの日の熊野神社礼大祭

2008年9月のとある休日の朝、私はシャワーを急いで浴びると、股引をはき、半纏に着替え、足袋を履き、外へ出た。マンションの前の、一日中日陰になりがちな通りを歩く自分の草履の足音がいつもより心地良く感じられた。少し前に同じ半纏の背中が見えた。私は早足になった。
「源さん、おはようございます。」
「陽子おはよう。」
「今日宜しくお願いします。熊野神社の祭礼はまだ参加したことがありません。初めてなんです。」
「大丈夫だよ。ウチらは西新宿の町会の人達の神輿を担ぐけど、その町会には塚越さんがいるから大丈夫。」
塚越さんは三社祭で出会った、日に焼けた肌に眼鏡をかけた中年の男性だった。
その人は、三社祭で大きな神輿に入れずにまごつく私の腕をぐいと掴み、ひょいと神輿の下に滑り込ませた。見ず知らずの人に腕を掴まれることはあまりなかった私は、最初は驚いたが、1日中祭りの場で過ごすうちに、祭りってそんなもんなんだと分かった。担ぎ方、ルール、マナーをあらかじめ教えてもらえるわけじゃない。とりあえずやってみろ、やっていく中で自分で分かっていけ、というメッセージが、祭りの場にいる人達の言葉と行動になっていた。どこの誰かなんて分からなくても、皆んなが暖かく迎え入れてくれる。大きな神輿であればあるほど、地元の人だけでは担げない。応援に来てくれている人達に対する感謝や、慣れない場所でも楽しめるようにとの気遣いが、その場の人達の言葉の根底に感じられた。ありがとうが飛び交う。祭りができる喜びで歓喜した人々を眺めながら、その土地に幸運が降るよう祈り、微笑んでいる神様が見えた気がした。
「塚越さんのホームなんですね!」
塚越さんは私が出会った中で一番のお祭り好きな人だった。聞いてみると、初夏ごろから秋まで毎週の週末は各地の神輿の祭礼に毎年参加しているそうだ。同じ日に2つのお祭りをハシゴすることもあるらしい。
「そうそう塚越さんの地元。賑やかだよ。」
塚越さんは沢山の祭りみ参加してきている。ということは、手伝いに来ている人も各地から沢山来ているということが想像できる。
中野坂上で地下鉄を降り、地上に出ると様々な半纏をを着た人が歩いていた。僅かに蛇行した細い路地を進んだ。
あるところから急に路地の両側に藁の紐が締められていた。その飾りを目で追いながら道の奥の方に、神輿が台の上に置かれているのが見えた。
神輿は日頃、分解されて保管されている。祭りが近くなると、地域の人が協力して組み上げる。街の藁飾りなど、祭りには準備が沢山あるのだ。
「大きな立派な御神輿だね。」
私は、黒塗りの艶も金の装飾も美しい神輿を食い入るように見た。金と黒の割合がとても素敵な御神輿だった。人が担ぐ丸太を見ると、何となく年季を感じた。この御神輿は新しくはない。
お祭りに参加してみて思った事は、日本には、様々な年代、立場の人が一緒になって大事に守ってきたものが実は沢山あるのだなということだった。見かける御神輿のほとんどは新しくない。しかしとてもどれも美しい。どのお神輿を見ても、それを支える沢山の人を感じられるようになった。祭りに参加する度に、私はとても暖かい気持ちになった。
「そうだね。ここは半纏を着ている若い人が沢山いるから安泰なんだろうね。」
この町会には神輿の組み方を伝えられる人が沢山いそうだと、神輿仲間のユキさんは思ったようだった。
「いや、ここはここで色々あるよ。」
源さんがタバコを物入れから出しながら言った。
「そうなの?」
夏子はどんな理由なのか知りたかった。
「あ、日本橋の皆さん、こんにちは。今日も宜しくお願いします。」
塚越はとてもいつもより張り切っていた。自分の地元の祭りは、格別なようだ。
「塚越さんこんにちは。」
私は数歩駆け寄った。
「ああ、あの時の。今日は安心していいよ。(御輿の下に)入りたそうにしてなくたってみんな入れてくれるから。」
塚越はそう言って笑った。
「そうだ。陽子、ずっと入ってろ。お前最近太ってきたからな。」
源さんが意地悪な顔をした。
「そうよ陽子。神輿の中にずっと入り込んじゃえば日焼けもしないよ。あんた、頑張んなさい。」
「私、体重も日焼けも気にしてませんよ!それに、初心者なんだよ!」
私はそう強がりを言った。
「初心者?もう何回かやったんだろ?お前さんはもう経験者だ。」
源さんがタバコに火をつけた。
「そう。今日初めての人がいたら教えてあげて。全てそんなもんだから。」
塚越はニッコリしながら言った。
「飲み物食べ物、あちらに用意してますので遠慮しないで。今日宜しくお願いします。」
そう言って軽くお辞儀をすると、塚越は、近くにいた別の地区から来た応援へ挨拶に行った。私は塚越の背中とその周りの雰囲気を眺めながら言った。
「塚越さんは、立派な人だよね。」
「そうだね。それを支える人も立派。」
ユキは私の半纏を直しながら言った。
見渡せば、様々な人が動いている。食べ物を用意している人、飲み物を準備している人、神輿の番の人、交通整理の人、神輿の台を運ぶ人、その間小さな子供たちの面倒を見る中学生くらいの子たち。
私はその光景を見て嬉しくなった。
「うちらだって立派。あんたもね。」
源さんも言った。そして続けた。
「これがこの町会の最後の祭礼なんだ。来年からここは再開発でさ。こんな良い町会なのにな。ここの人達にはうちらも沢山世話になってきたんだ。最後の祭り、全力で盛り上げよう。」
その最後の祭礼は、様々な想いのこもった、忘れられない祭りとなった。
今でも9月になるとこの活気あふれる光景と感謝と祈りと慈しみともに、そのやり場のない喪失感を私は思い出すのだった。


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