「中卒・ニート・ひきこもり」の僕が生まれ育った栃木県宇都宮市にエンタメ系の会社をつくってみた

個人としては初のnoteへの投稿になる。
僕は「中卒・ニート・ひきこもり」の社長である。(後半2つについては元がつくのかもしれないけど)

地元にあたる栃木県宇都宮市トライデントワークスというエンタメやコンテンツ系(ゲームやマンガ、アニメなど)を中心とした広告代理店、製作会社を起業している。

今期で4期目に突入しているが、ありがたいことに業績は伸び、売上も3億円を突破、社員数も20人を突破した。

最近では数万人規模のアニメフェスタのプロデュースやプロモーション、TVアニメのWebデザインなど、社名がひと目にふれる仕事が増えてきて、本当に感謝しきりだ。

今回、「中卒・ニート・ひきこもり」の僕が地元である栃木県宇都宮市で起業するまでを振り返ってみようと思った。
理由は以下の通りだ。

・トライデントワークスという会社をもっと多くの人に知ってもらいたい。
・自身が今年30歳という節目を迎えた。
・自分のように「中卒・ニート・ひきこもり」といった経歴に社会的なハンデをもつ人間でも、起業を含め世の中でいろんな経験や仲間ができるということを知ってもらい、少しでもどこかの誰かの役に立てばいいなと思った。

すこし長い上に自分語りになってしまうかもしれないがお付き合いいただければ幸いだ。
どんな人にも可能性があると信じて、「中卒・ニート・ひきこもり」の僕がこの文章を書いてみる。

部活より学校より、めぞん一刻を選んだ子供時代

さらっとふりかえると、小学校のときからひきこもりがちな子供だった。
ひきこもりというと少し言い過ぎかもしれない。
つまり学校をサボりがちだったわけである。

そしてそれは中学生になって加速していった。

僕が通っていた中学校は帰宅部が許されなかったので、仕方なしに軟式テニス部に入っていた。

部活をやっていると当然遅い時間まで学校に残っていなければならない。
結果として夕方のTVアニメの再放送に間に合わないという当時の自分にとっては致命的な事態が発生する。
つまり『めぞん一刻』の再放送の時間に間に合わないのである。
もともとアニメや漫画が好きな子供だった。その中でも『めぞん一刻』に当時ものすごくハマっていて、部活をするより早く帰ってテレビを見たくて仕方がなかった。

さらに、自分は運動があまり得意ではないということに気づきはじめた。
そのため、部活から、そして学校からどんどん足が遠のいていった。
確実に帰宅部が一番むいていただろうと今でも思う。

帰宅部が許されていたら、もう少し学校に行く気も起きたのではないか

こういう人はけっこう多いんじゃないかなと勝手に思っている。
でも学校生活をリア充的に満喫していたとしたら、その後トライデントワークスを起業するということもなかったかもしれない。
人生どこでなにが幸いするかわからないものだ。

義務教育なので中学は卒業できたが、なんとか入った高校は全く行く気になれず、中退した。
学校に毎日通うというほとんどの人ができることが、自分にとっては苦痛であり、限界だった。


引きこもり時代に制作活動をはじめたのはインターネットがきっかけ

トライデントワークスという会社の前身として同人活動をしていたのだけど、同人活動をはじめるきっかけになったのはインターネットだ。


もともと地元のヤマダ電機で中古のパソコンを購入していて、中学生のころから引きこもりつつ、ネットサーフィンやチャットに明け暮れていた。


高校を中退し、16歳になったフリーターの僕は相変わらずものすごく低速なそのパソコンでmixiをやっていて、ふと「ちょっとやってみようかな」という軽い気持ちでファンコミュニティに属していた「テ」から始まる某有名ロールプレイングゲームのショートストーリー(SS)を書いた。

mixiにはマイミクといういわゆるフレンドやフォロワーと同義の人たちがいて、主にその人たちに読んでもらうことができた。

そのショートストーリーが想像以上にけっこうウケて、コメントもついたりしていたので調子に乗って十数回に分けて連載していった。
コメントは投稿するごとに増えていき、内容は概ね好評であった。
思えばここで初めてエンタメ系の作品を作るという行為を覚えた気がする。

転機になったのはもらったコメントの中にあった、一つの提案だった。

――これ面白いから、もう同人誌にしてみたら?

何気ないコメントのやり取りの中、はじめて『同人』というものの存在を知ることとなった。

同人とはなんぞや?
つくったとしてどこで売ればいいの?

当初はまったく何もわからなかった。
なにせ、いってしまえば当時の僕は地方都市の引きこもりである。
そんな「中卒・ニート・引きこもり」の僕にコミックマーケット(※世界最大規模の同人誌即売会)というものが定期的に東京で行われているのだと教えてくれたのもマイミクさんだった。

「なるほど、コミックマーケットというイベントに向けてつくればいいんだな」ということで目標が決まり、それからどうすればコミックマーケットに出れるのか、本はどうやってつくるのか、印刷所はどこから問い合わせたらいいのかなどをインターネットで調べては実行していった。

コミケに行くにしても地図アプリなんてものもなかった。
そもそも栃木どころか部屋からもあまり出ていなかったのだ。)

だけど創作のきっかけも、情報を集めるときも、誰かと親しくなるときも、やっぱり基盤にはインターネットがあった。

迷いながら手探りで進み、インターネットでつながった人たちに協力してもらいながら初の同人誌(イラスト付きの小説だったと記憶している)を100部コミケにもっていった。

リアルな数字で、38部売れた。これだけはしっかり覚えている。
当時購入してくれた方々には心の底からありがとうとお伝えしたい。

初めて、自分がつくったものを他人からお金を出して買ってもらえた体験であった。
それはこれまで自分の部屋に引きこもっていた自分にとって、あまりにも衝撃的であまりにも甘美な体験であった。
ぼくはそこからのめり込むようにして、創作の世界に浸かっていった。


自分でも意外なことに表現したい世界のために1000人にアタックする熱量があった

はじめてのコミケ参加から創作熱はどんどん加熱し、即売会を中心に5、6冊ほど同人誌を出した。
自分が見たいと思うもの、楽しいと思うものを制作しながらも、お客さんにもっと喜んでもらいたいという趣向が高まり、試行錯誤を続けた。

どんなジャンルや内容が好まれやすいかなど試しながら、頒布を続けることで、少しづつ需要も掴めてきた。
単なる小説にイラストをつけたり、アンソロジーにしてみたり、漫画を描ける人に依頼してみたりと。

狙いがハマって、売れるときは、やはり勢いや売れ行きが明確に違っていた。

試行錯誤するうちに、オリジナルのノベルゲームが自分が表現したい世界を最も直接的に表現できて相手に伝えられるものだと思った。
キャラクターの立ち絵があって、表情を見せることができ、声をつけることができて、ストーリーを表現することができる。

2009年頃は商業のPCゲームがまだかなり売れていて、これはぜひ自分でもつくってみたいと考えた。

しかし、お店で売っているようなゲームを個人で制作することができるのか?と引きこもりの頭に不安がもたげる。

こんな時も頼みの綱はインターネットだった。
インターネットを中心にあれこれ調べまわった結果、「問題なくできるんじゃないか」という結論に至った。
このあたりの楽観性と行動力はわりと自分でも長所だと思う。
(単純とも言えるかもしれないが)

このときのゲーム制作の担当割は以下のような感じだ。
シナリオは自分が書く。
ゲームの実装はフリーのスクリプトエンジンを使って自分で書く。
キャラクターイラストはイメージに合ったものを描いてくれそうなイラストレーターを探し、依頼した。
そして背景が足りないと思えば写真を撮影し、加工して利用した。
楽曲が必要だと気づいてそれもまた制作できる人を探して依頼した。
色々な人たちをインターネットで探してはアサインすることを繰り返し、とにかく行動に出た。

もっともネックになったのはキャラクターのボイス、つまり声優さんだ。
こだわりがあり、どうしても出演してもらいたい声優さんがいたが、大手の声優事務所に所属している方だった。
まずは直接声優事務所に電話をかけたが、けんもほろろに断られた。
そりゃそうだ。18才栃木県の無職からの電話である。明石家サン○でもつないでもらえるか怪しい。

…それでもあきらめなかった。
当時は同人活動を通して、少しだがエンタメ系の関係者の方に知り合いができていた。
その方々にお願いをし続けた。本当に糸のように細い可能性の目をたぐり続けた。
結果、巡りに巡ったが、本当に望んだプロの声優さんにキャラクターのボイスを担当してもらえることになった。
お名前は出せないし、御本人が覚えているかもわからないが、いまでも本当に感激している。

ゲームが完成に至るまで本当にいろんな方に協力をお願いした。
おまえひきこもっていたんだし、コミュ障なんじゃ?と思われるかもしれない。
平たく言えばネット弁慶だったのだろうと思う。
現実世界では人とコミュニケーションを取るのが苦手だったけど、インターネットではわりと自由にそして積極的になれた。
インターネットが自分の人生になかったらと思うと、…いや、怖くてとてもそんな人生は想像できない。

そうして1年かけ、最初のノベルゲームをつくりあげた。
たしか19歳くらいのことであったと思う。

不思議なもので企画を考え、制作を進めている間は、全く疲れることがなかった。
それこそ、自分ではできない部分の製作依頼メールを1日100通ほどあったことがない人たちに送りまくったこともあったが、それでも疲れを覚えることがなかった。
やりたいことに対して無敵のスター状態で邁進できた。
制作をする際に大勢の人に「イラストを描いてもらえませんか」と連絡をしても、引き受けてくれた人はそのうちの1割程度だ。
大勢の人にアタックして制作に参加してもらうということはゲーム制作以前からもやっていて、例えばアンソロジー本のときなどは100人に参加してもらった。
ということは1000人近くの人にメールを送っていたことになるのではないか、と考えると、若かりし頃の熱量というのはとんでもない。

さて、コミケ当日にはノベルゲームをCDに焼いて1000枚もっていった。
そのときのサークルスペースの配置がなんと『壁』だったのだ。
『壁』とは、頒布数が多そうだったり、人気で混雑が予想されるサークルなどが壁際に配置されることを言う。
初の壁サークルである。
ひきこもっていた自室にも壁はあったが、あれとは価値が大きくちがう。
むしろコミケの壁なら引きこもりたい。

そして件のゲームの売上はというと、結果的に400枚売れた。
このゲームに関しては制作費もけっこうな額がかかっていたわけだから、売上は上々だったかというと少し首を捻ってしまう。
それでも満足感はかなりのものであった。
初めてづくしのなかでも自分の表現したいものを、多くの人に協力してもらいながら創り上げた。

文字通り何らかの壁を破ったような気分であった。
勢い余って自室の壁も破壊してやりたいくらいだった。

そして最初はやりたいからやっていただけだったオリジナルの同人活動もこのあたりを期に次第に手元にお金が残るようになってきた。
残ったお金を次の企画に回すことで少しずつ、活動の規模が大きくなっていった。
20歳頃だったと記憶している。


たった一人の同人活動から「株式会社」になるまで

オリジナル作品を他の人に協力依頼して制作するということは引き続きできていた。
そうは言っても企画から管理、進捗管理して入稿、販売、もしくはダウンロードできる形で販売して…という一連の流れはたった一人でやっていた。

多少のお金が残るようにはなっていたものの、次第に「これ以上は一人でやっていても手一杯になりこれ以上の規模にはならない。つまりスケールしない」という考えが浮かんでくるようになった。
誰か一緒にやってくれる人が必要だ。仲間が必要だ。

思い立ち、これまでのバイトの同僚や先輩を中心に次々と声をかけた。
※同人活動をはじめてから、このくらいになると作品の制作費を稼ぐために少しづつだがバイトをする…ということができるようになっていた。

宇都宮大学の近くのガストに呼び出しては、「こういうことをやっていて、実績があります」「楽しいので一緒にやりませんか」と口説いた。

しかしながら、当時の僕が持っている肩書は社長ではなく、言うなれば単なるなんちゃってフリーター、率直に言えば無職である。

この肩書で人を集めるというのは非常に難しい。
そもそも給料を支払えるという明確な保証もない。
実際のところ話をまともに聞いてくれる人はほとんどおらず、待ち合わせ場所のガストに来なかった人さえいた。
さびしくドリンクバー代金のみ支払って帰る日々が続いた。

ところが一人、一緒に企画をやると言ってくれる人が見つかった。
バイト先の先輩(男)だった。こういってはなんだが、「命知らず」としか言い様がない。
しかして『株式会社トライデントワークス』の原型の誕生である。

僕たちは、僕の自宅の自室から活動を開始した。
風通しは悪い上にエアコンもない。当然夏場は地獄のようで、男二人で汗をダラダラ流しながら「これはやってられない!!」となった。
ひきこもりはその生態に反し、暑さに弱いのだ。

そこですこし奮発して宇都宮市の自宅近所にアパート(1K7畳、家賃2万円)を借りた。
最低限文化的で健康的な生活を得るためだった。
制作作業は一人でやっているときと比べて格段に生産性が上がった。
これまでできなかった企画にもチャレンジできるようになった。

しばらくしてもう一人デザイナーが見つかり、Facebookで呼びかけてプランナー(ゲームの企画や進捗の管理などを行う人)も見つかった。
一人だったのが二人に、三人が四人に、いつの間にか六人(すべて男)にと増えていった。

ただし、部屋は相変わらず7畳一間のままだ。
結果として寝る場所がなくなった。

寝る時間も惜しんで創作をしていても、寝なければ人はダメになる。
そこでアパートの下の階を休憩室として借りた。
それでも1K7畳の部屋に常に男が複数人いて寝る光景は軽い地獄絵図だった。
※余談だが、家賃2万円以下のアパートでも入居を断られたこともある。世間は無職に冷たいのだ。

アパートでは六人がPC机をテトリスのように部屋に入り切るような最適な並べ方を常に模索しながら作業していた。

やっているのはゲームやマンガ、デザインといった創作作業だ。
集中力がなにより大事なこの作業を、黙っていても他人が視界に入り体が触れ合う広さでやっているのだから、今思うと正気の沙汰ではない。
お互いの集中力の邪魔にならないように視線がぶつかり合わないようにと、精一杯工夫した。
引きこもりは相手の目を見て話すのが苦手だが、常に意識的にそらし続けるというのもそれはそれできつい。
このときばかりは目が逢う瞬間はあってはならなかったのだ。

こんなふうにしていつのまにか仲間(しつこいがすべて男)が増えていった。

わりとコンスタントにお金が入るようになり、企業さんからのお仕事の依頼なども来るようになってきた。

ただし、このままでは単なる個人の集まり。
社会的にはフリーター、よくて個人事業主の集まりとしか見られない。
なにより、仲間の社会的な肩書も気になってきた。

そこでぼくは一つの決断をする。
当時はこの生活も数年続いていて僕も26歳だった。
冗談みたいに狭いアパートで僕は『株式会社トライデントワークス』を正式に立ち上げた。

会社が立ち上がった後の話も色々とあるのだが、こちらはまた次の機会にしようと思う。


お金だけじゃない、人がいて人生がスケールするということ

もしかしたら会社を立ち上げずとも、個人事業主としてお金を稼いでいくことはできていたかもしれない。
一人でやっていくという選択肢もあったし、僕の当時の性格上だとそちらのほうがノーマルな選択だったとも思う。
会社を立ち上げるということは、リスクも同時に内包することになる。つまり会社が潰れることに対する怖さはいつももちろんある。
なにより 「中卒・ニート・ひきこもり」の僕が現実に人を雇う立場として、みんなの人生に責任を持つことに怖さがなかったかと言われれば嘘になる。

でも、僕の人生に必要なのはお金や快適さだけではないと感じていた。

単純に言えば、僕は寂しかったのだと思う。
一人の責任の範囲での活動は楽しかったけど、ずっと孤独だったと思う。

学校という社会を早期にドロップアウトした僕にとっては現実の世界で自分の横に誰かがいて一緒に物事を進めるということは本当に少なかった。
でも、孤独だったからこそ、創作活動をきっかけにして外の人たちに向かっていく熱量がもてたのかもしれないともいまは少し思える。

「中卒・ニート・引きこもり」の僕は創作でお金をもらえるようになった後も、自分だけが豊かになったとしても長期的に見たときにそれは幸せと呼べるのだろうかと、ひやりとしたものを無意識にいつからか感じていた。

日々の仕事や生活をお互いに見知っている仲間がいて相互に豊かになることができれば、いつか自分がもし死んだときでもその人たちは即時に知って悲しんでくれて、そして思い出を語り合ってくれるのではないかと。

宇都宮のガストで仲間を募っていたときは、僕自身も含め皆が学生やフリーター、無職で、社会に対してうまく自分の力を発揮できないでいた。
必死になるうちに、いつのまにか自分のためにも、この人たちをまず幸せにしたい、そんな気持ちで声をかけていた。

ほんの少しのきっかけから「中卒・ニート・ひきこもり」の僕であっても、一人だけでできることがたくさんあった。

でも今は、一人ではできないことに挑戦している。

蛇行しながらも一本道だった人生が、周囲に人が加わるごとに思いもよらなかった横道が発見されたり、見たこともない植物の種がもたらされるようにスケールしていく。
僕という人間が誰かの人生において、同じように少しでも豊かさを加えられていればと思う。

会社を立ち上げたのは孤独からというのもそうだが、会社という形態と取ることにより、僕たちへの社会からの信頼が厚くなり、それがより責任のあるお仕事を任せていただけることに繋がるのではないかとも思ったのである。

そしていまは仲間たちのおかげでそれができているといういくばくかの自信もある。

うちの会社はこの三年間の間でいつの間にか、多種多様な人材が集まっていて、「ゲーム」であればRPGからSLG、ADV、マンガもグラフィックも動画もと幅広いコンテンツを自前で制作できるようになっていた。

それもあり、最近ではコンテンツ特化型の広告代理店として、コンテンツを活かしたマーケティングやプロモーション、企画のお仕事などをさせてもらっている。

そして冒頭で述べたように、会社の名前が表に出る機会も増えてきている。

今後は世界中のエンターテインメントやコンテンツが好きな人たちの間にもっと名前が通り、「これはすごい!」と言っていただけるようなプロダクトや新たな仕掛けをみんなとつくっていくことを目標としている。
ここまでこの文章を読んでくれた方々にもどうかあたたかく見守っていただければとても幸いだ。

そして、こんな僕やトライデントワークスに興味を持っててくれた人がもしいれば、ぜひお気軽にご連絡をしてくれれば嬉しいなと思う。
これまでと変わらず、僕たちはたくさんの人たちと協力しながら、みんなの人生を楽しくしていく試みをしていきたい。

ちなみに現在はWeb系のお仕事もたくさん頂いているため、フロントエンジニアの方などを中心に一緒に働いてくれる仲間を募集している。

こちらもぜひ興味を持っていただけたら幸いです。

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