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左利きについて私の右に出る者はいない


私たち、超能力は使えません。

著名人か学者か、偉い医者が言ったのか知らないが「左利きは超能力が使える」と噂が広がり、やたらと聞かれることがあった。
あまりにも言われるので食い気味に「使えません」と断言したら「心読まれた!」と騒がれたりもした。
スプーンなんか自力でも曲がれへん。

天才でもありません。

だったらなぁ!って返したいほど低学歴です。
でも、天才とは『生まれつき備わっている、きわめて優れた才能』
それで言うと、生まれつき左手を器用に使いこなす事は天才と言っても間違いではないのか。

芸術家でもないです。

自論だが「左利きは絵が上手い」説は、みんなと逆になるからじっくり観察して慎重になるからだと思う。
右脳だ左脳だ色々あるけど、もっとシンプルに洞察力がある。
自然とよく見てるんです。

以上、昭和に生まれた「左利きの苦労」でした。

最近は本当に生きやすくなった。

特に文房具や調理機器は「ユニバーサルデザイン」「左利き用」が増えて、生まれる時代を間違えたとLOFTに行くたびにハンカチを噛んでいる。

人生で1番嬉しかったプレゼント
刃が逆なので、右利き用と2ミリくらいズレます


学生時代に1番悩んだ文具は「サシ」いや、一般的には「定規」か。
メモリが上下逆になるから、測る時は逆さにしないといけないみたいな苦労をずっと抱えていた。

自動改札では手をクロスする。
缶切り下手くそ選手権(押してキコキコでなく、手前に引きながらキコキコする。今はパッカンて開けれるから最高!)
日本の伝統的な包丁は片刃なので使いづらい(ヘンケルス最強)
毛筆は大立ち回り(文字は右手で書きやすく出来ている)

打楽器以外の楽器の扱いも苦労が絶えない

あげればきりがないが、

面倒臭いことが日常

その考えが生まれついている。

noteの記事を読むだけでもそれは起きる。
タイトルを読みつつ、面白そうな記事を探しながらページを繰っていると、左側に当たり前のように並ぶ🤍(スキ)を押しまくってしまうのだ。
コンテンツ、誤作動等の防止のためにみんな左にある問題
操作はしやすいが、不用意に皆んなを期待させてしまう・・・読んでないのにいつの間にか押している事案が多発して、申し訳ない気持ちになる。

定食屋に行ってもお椀の並びが全部逆。
ビビンバや鍋物等、熱いままだしたり火をつけてくれるものは、火傷をしない為に左側に置かれている。なので私たちは火傷しないように右側に傾いて食事、もしくはお盆に乗っていればクルッと逆に回転させる。

様々なサービスが全て大きなお世話になるが、それに関しては屁でもない。
それが当たり前で、特別何かを期待したことが無いからだ。


日航ホテルのレストランで食事をした時だ。

私が左利きである事に気付いた係の人が、途中からコース料理の配膳を最後のコーヒーのスプーンの向きまで、黙って左利き仕様にしてくれた。
普段受けないサービスに私の方が気付かず、一緒に食事をしていた姉が教えてくれたことがあった。

他の店でも配膳中に気付くスタッフはいるだろう。
こちらから申し出ない限り、お節介になる可能性もあるこの行動は、とても勇気のある最高の気遣いだった。
何より姉がその気遣いに感動していた。
それだけ普段から私の生活も見ていてくれていたんだな、と姉の優しさにも触れた素敵な時間になった。

私は手術のための入院経験が2回ある。
以前の手術時は、麻酔中に左手に点滴をされて少し不便だったので、看護師に「今回は右手にお願いね」と声をかけた。
すると1時間後、病室管理を担当している看護師があらわれて、ベットを移動してクロゼット等が左に並ぶよう引っ越しをしてくれた。
徹底した申し送りで術後の食事の配膳も、ご飯を右にセットしてくれたりと(これは食器を返す時に気がついた)とても快適に過ごさせてくれた。
ほんまに退院をするのが嫌になった程だ。


スプーンの向きが逆
たったそれだけのことで幸せな気持ちになれるのは、マイノリティで生きている私達の静かな特権だと思う。

疎外感を無意識にどこかで感じているのかもしれない。

悪気はなくても、それが当たり前であっても私達は「多勢に無勢」を刷り込まれて生きている。
だけど誰でも自分だけサービスが無かったり、違う扱いを受けると「受け入れられていない」と勘違いして、心のどこか繊細な部分にちょっとサカムケ程度の傷が出来る。

それの積み重ねを「当たり前」にして私たちは生きている。

だから、時々受けるこういった優しさは、受け入れられた気がして右利きの人以上に嬉しく思える。


私達は決して器用でもない。

右利きの人が左手を上手く使いこなせないのは、使う頻度の問題じゃないかな、と思う。
日々私達は利き手の左を扱いながら、右利き仕様の世界を生きている
無理になんでも全てを左手で扱おうとしていたら大変なので、右手を駆使して左手で生きる、サバイバー。
だから右利きの人よりほんの少し、手というものを便利に使いこなしているにすぎない。

特別かもしれない。差別を受けることもある(左利きに対する差別用語は今でもたまに言われます)
隣を歩いたら鞄が邪魔になる。
でも、普段私たちが当たり前にしている事をたまに思い出してほしい。

映画館でのドリンクホルダー。
もしも右側を使われても「邪魔」と眉をつり上げる前に左利きかな?とまず思って欲しい。
たかが数時間のこと、目くじら立てないで。
私たちは普段、色んなことを我慢して日常にしてます。

そのくらい大目に見てね👀

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