大切なものはいつもそばにある〜30年闘病生活を送った父の教え〜
父の死の直前の姿は、今でも目に焼き付いている。
「あんな姿になるなんて・・・」
車椅子に座り、全身痩せこけ骨と皮だけのような変わり果てたその姿に昔の面影など微塵もなかった。
仕事への極度のストレスからアル中になって、そこから糖尿病へと進行してしまい、約30年くらい闘病生活を強いられたのが父だった。
僕が幼少の頃にアル中となった為、父との思い出は記憶のどこにもない。
写真では一緒に出掛けたり、抱っこされているのだが、残念ながら記憶には残っていないのである。
詳細は割愛させて頂くが、僕が物心つく頃には父は治療のため家庭にいませんでした。
その後離婚となり、離れ離れとなった僕は長らく父と会うことは無かったのです。
時が過ぎ33歳の春、離れ離れだった父に会う機会が訪れたのである。
詳しい経緯は忘れてしまったが、後で思い返せば父に呼ばれたのだと思えてならない。
僕は母と妹と三人で父が入院していた福岡県に向かった。
ちょうど春の暖かい日差しを感じながらも、空気はまだひやっとする季節の変わり目でした。
久しぶりに会う父の姿は全く想像がつかず、写真で見た容姿が父を知る唯一の頼りでした。
そして緊張の中、約30年ぶりの再会を果たすのです。
病院の看護師さんに車椅子で連れられてきた父は、写真とは全くの別人となっていたのです。
人はこんなにも変わり果てるものなのか・・・
呆然とする自分に狼狽える。
言葉が出ない。
骨と皮だけとなった父は弱々しく、更には認知症も発症していたため、目の前にいる人が誰なのか認識出来ないのだ。
こんな残酷なことがあるのか。
当然言葉を交わすことなど出来ない。
母が僕や妹の名前を一生懸命に伝えても、全く通じない。
もっと早く会いに来るべきだったと後悔の念が込み上げる。
こちらの声掛けに無反応、無表情だった父が唯一にっこりと確かに笑みを浮かべた瞬間があった。
それは、母が用意した僕と妹の子どもの頃の写真をまとめたミニアルバムを見た時だった。
目の前に差し出されたミニアルバムをゆっくりとめくり、変わらず無表情で眺めていた父が、あるページでにこっとしたのだ。
僕は、父の頭の中で何か記憶が蘇ったのではないかと感じずにはいられなかった。
それはまさに奇跡的な瞬間でした。
会話することは出来なかったけれども、あの微笑みを見られたことで会いに来て良かったと心の底から思えました。
そして、この面会から数ヶ月後、父は他界したのです。
僕はこの父の死から、健康でいられることがどんなに有難いことかを教えてもらいました。
僕が整体師への転職を決めたのも、父の死がきっかけでした。
健康に携わる仕事がしたいと思ったからです。
この記事を書いたことで、改めて自分が何のために生き働いているのかを再認識できた。
父は30年という長い闘病生活を強いられ、家族とはバラバラになり、全てを介助してもらわないと生活もままならないような体になり、人生の幕を閉じたのです。
健康であれば、家族がバラバラになることも無かっただろうし、バリバリ働いていただろうと思うと、直接言葉で聞いた訳ではないが、悔いの残る人生だったのではないかと思わずにはいられない。
人は健康であるうちは、その有難さになかなか気付かない。
なぜなら、健康はいつも当たり前のようにそばにあるからです。
だからそれを失うまで気付かない。
でも、失ってから気付くのでは遅いのです。
健康でいられることは当たり前ではない。
父の死はそのことを痛烈に教えてくれた。
この記事を見て、健康について改めて見つめ直すきっかけになれば幸いです。
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