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理想と現実の隔たり

今日の読売新聞に熊本大学准教授の苫野一徳さんの記事が掲載されていました。
苫野さんの発言は気になっていたので2冊の本ほど読んできました。
この記事の中で苫野さんは,こんなことを言っています。

北欧や西欧などの多くの学校では,一斉授業ではなく,それぞれの子どもに応じた個別の学びができる仕組みが主流になっています。
「学びの個別化」といっても,別々に孤立して学習するということではありません。「緩やかな協同」に支えられていることが大切で,そこにこそ,学校の存在意義があり,公教育の構造転換が必要だと考えます。

「読売新聞」(2024年3月31日)

現在の学校で発生している問題を改善するためには,大鉈をふるう必要があります。
極論ですが,1872年の学制以来続いてきたシステムを壊す必要があるのです。
例えるならば,現在の教育システムは長年,走っている故障車を走りなが修理している状況だと思います。
これでは,本当の修理はできません。一度,車を停車させてすべてを修理する必要があるのです。

そういった意味では,苫野先生の言葉は入ってきます。
しかし,教育現場の現状を見ると,この言葉は入ってきません。

理想と現実の隔たりを埋める具体的な実践が全国の学校に広がっていくことが必要なのです。
そのためには,学校のコンビニ化(学校で何でもやってくれ)を一日も早くやめるべきだとも思います。学校でやるべきとやらないこと,できることできないことを明確にしていくことです。

苫野さんは,こんなことも言っています。

教育とは全ての子どもが自由に生きる力,互いの自由を認めあう感度を育むためにあると考えます。

前掲

37年間,教師を続けて来た私は,この言葉がまぶしすぎて直視することができないでいます。