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みつかるように

某所で日々、詩を書いたものを載せている。日々も時間も流れるから、言葉も電子の河に乗せて誰かに届けばいいなと、棘が刺さればと願って。

たくさんの人の想いや言葉がSNSやインターネットには流れていて、有名・無名関わらずに胸を撃つものがある。打つではなく撃ち抜かれる感覚がある。

身勝手ながら、さっさと見つかって拡散されて、それだけで生活できるようになってくれと願う人たちがいて、極端な話だけれどそれを見届けたいと思うからまだ生きていると言うのも理由の一つ。


サン=テグジュペリは星の王子さまで、たいせつなものは目には見えないんだと記述しているが、みえないものをみようとする気持ちとは別に、見たいものしか見ようとしない本能みたいなものも人にはあるようで、相対的な判断よりも主観的なそれを信じたがる気持ちが表に出てしまう。

悪いことだけではなく、自分の中に明確な基準やすきなことがあることで、日々の鬱屈や地獄を乗り越えられる舟となり得るのだが、自分の舟以外を貶したり、過度に避けてしまうのは寂しくもあるから、他人の好きを否定せずにいられる航路を取りたい。

道行で目に入った素敵な景色に心奪われて、誰かとそれを共有したかったり、紹介したい気持ちはあるけれど、自分から声をかけるのが怖かったり、否定されたくないなと尻込みがちになるけれど、いいものが、素敵なことが広がって、見つかってほしいと思う気持ちも嘘じゃない。

それは、自分の言葉も誰かに見つけてほしいという欲と地続き、同じ場所にあるのかもしれないけれど、それよりも自分が見聞きした素敵なことが誰かに届いたらいいという面もある。

音楽やアートに限らないけれど、多くの人の目にまだ届いていないけれど、心を潤したり、濾過してくれる、うつくしいものや、意味を問うことを超えて胸の真ん中に突きつけられる表現そのものと出会うことがある。

願うばかりでなく、そういう人たちを紹介したり、光を当てられる場所に舟から風を起こせたらいい。

みつかりますように、みつかりますように。

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