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人に好かれない生存戦略

人にわざわざ嫌われる必要はないと思うが人にわざわざ好かれる必要もない。人にわざわざ好かれる行為はミニマリズム的には生存戦略にはならない。

人に好かれる、人からモテるというのは一見良さそうだが、きわめて面倒であり余計な負荷がかかる。それは本人の人生を蔑ろにする布石である。

肯定的なイメージが一旦流布すればその肯定的なイメージに準じたキャラクターになり続けなくてはならない。失敗は許されず随時ポジティブシンキングで生き続けなくてはならなくなる。

モテるというのは、四六時中不特定多数の人々から期待をかけられる事でもある。

余計な仕事が増えるだけではなくファンや信者から随時監視された生活を送る可能性がある。また利害関係者からはマーケティングイメージを保持し続けるよう詰められる可能性がある。

仕事がよくできるキャラであれば、随時仕事ができるキャラでなければならないし異性からモテる2枚目キャラであれば、随時イケているキャラでなければならないし紳士的なキャラであればだれに対しても気配りができるキャラでなければならないだろう。

しかしそんなものは長続きしない。余計な負荷がかかってどこかでおかしくなるだけだ。

百歩譲ってたまたま誰かに称賛されたり評価されたりしたとしてその称賛や評価は時代や社会の構造変化のなかで恣意的に変化してしまうものだ。すなわち好かれるという行為自体がいい加減なものなのである。

余計なお世話、余計な応援、余計な愛情表現、余計な交遊関係等本当に自分の人生に必要なものなのかを自問自答する必要があるだろう。

社会で生きていくためには挨拶や要請や交渉ぐらいはできてもいいが、他人に好かれるために行動を起こすのは勧められない。むしろ好かれないために行動を控える方がよほどお互いのためなのである。


新生活をたのしくで祝われました(2023.9.25(月))

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