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信仰とは何か?

巷で信仰心があるというのは、何らかの組織的活動に精を出しているイメージがあるものである。たとえば、高額献金をする、毎週集会に必ず参加をする、布教や伝道活動に命をかけるといった次第にとにかく必死だ。

何らかの組織的活動をちゃんと行っているのだから信仰深いのだと帰結されている。逆に何らかの組織的活動に惰性的であれば信仰がないと帰結されるものだ。しかし新教プロテスタントのパイオニアであるマルティン・ルターは信仰と行動を分けて考えている。新約聖書のローマ人への手紙3:28による「人は律法の行いと関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。」を盤石とし信仰心を行動帰結で判断していない。
形だけの律法を守る行為はまさに使徒パウロの専売特許であった。しかしもはやパウロはそこに何ら関心はない。信仰の本質はそこにはない。

信じる事そのものが救いを得ることであり、信じる事によって何か奇跡が起こるわけでもなければ、現世利益はなく、天国にも地獄にも行けない。私はイエス・キリストを信じることで、社会通念上における行動による条件評価を超え、救いを得れると確信をした。以上。

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