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【歴史概要98】ギリシアのポリス

①バルカン半島は巨大な河川がなく平野が狭かった。穀物生産に適した土地ではなくオリーブやブドウ、イチジクなどの果樹栽培が盛んであった。それをベースとしたオリーブオイルやワインを輸出する商業が発達した。

②ゆえに海岸沿いの港が作りやすい場所にポリス(都市国家)が建設される事となった。BC8世紀ごろから始まってからの動きを集住(シュノイキスモス)と云う。

③どのポリスにも共通するのは中央に守護神を祭る祭祀の場所がありその下に政治集会場所としてアゴラ(広場)があった事だ。アテネのような大ポリスでも日本の小さな県ぐらいの規模であった。

④大半が小さなポリスで約1500あったと云われている。

ポリスは都市国家である。古代ギリシアは地理的要因があり他の都市国家を統一できなかった。ポリスの理想は自由・自治・自給自足であった。

⑤ギリシア人としての共通意識はあった。

ヘレネスという自分たちを指す言葉と自分以外の周辺の民はバルバロイと呼び区別した。バルバロイとはわかりにくい言葉を話す人々という意味である。

⑥ポリスの栄誉のためオリンピア協議会が開かれていたがこの行事以外ではポリスは独立を守るために各々が対立していた。

⑦古代市民の基本は兵士・軍人であった。市民はポリスの方針を決める民会に出席できる権利や民衆裁判などポリス運営に関わる事はすべて参加する権利があった。

⑧同盟や友好的団結が存在していた。それが隣保同盟(アンフィクティオニア)である。デルフォイのアポロン神殿への信仰が有名である。スパルタ以外は大半のポリスで支持された。

⑨ポリスの人口が増えるとギリシア人は地中海周辺に新しいポリスを作って移住した。現代のイスタンブールはビザンティウム、ナポリはネアポリス、マルセイユはマッシリアと呼ばれこの時代のギリシア人の植民によって建設された都市である。

⑩新しいポリスもヘレネスとしての一体感はあったが、利害の対立から母市と戦争になることもあった。古代ギリシア人は統一はされなかったが、地中海周辺に拡大していった。

■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社

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