10歳の私に起きたこと

その人は本当の隣人だった。大き目の一軒家を二つに割って、玄関を二つつけた、簡単にいえば、二世帯だけど中は繋がってない、そういう一軒家に住んでいて、その隣には四人家族がいた


息子が二人、大学生と高校生。二人ともいつも一人で留守番してる私と遊んでくれたし、その母親のおばさんも、重労働をしてる父親も、いわゆる普通のいい人で、私が泣いていたりすると呼び鈴を鳴らして、大丈夫?ご飯は食べた?と聞いてくれたり、家に来なさいと言ってくれたりした。


離婚したばかりの母は朝から晩まで働いていて、私には何もしてくれない。出すのはご飯代のみ。私の面倒をみない代わりに、欲しいものは買ってくれるし、お金はいつだってたくさんあった。でもわたしの寂しさは消えてくれない。


ちょっと話をもう少しさかのぼると、母が離婚するまえ、3年間、父の実家にいた。父は仕事をせずに、祖父母からお金をもらい、愛人がたくさんいるので帰っては来ない。そしてその間、私はずっと祖母と同居していた父の姉夫婦に虐待されていた。ご飯がない、掃除に洗濯、風呂を洗い、外食には連れていってもらえず、冷蔵庫の中の麦茶を飲むのも許可がいる。祖母はずっと母の悪口をわたしに言い続ける、お前の母親が悪いから、お前のパパが帰ってこない、母親に似て使えない、生まれなきゃよかった、食いぶちを減らしたいくらいだ、とか、ずっとずっと繰り返し。


もう死ぬかもと思ったのは、真夏に屋根裏部屋に閉じ込められた。水もなく、食べ物もなく、光も入らず、トイレもない。暑いし、喉は渇くし、仕方なくトイレは部屋の隅でした。三日目くらいに頭がもう働かなくなって、視界がぼんやりしてきたとき、死ぬんだ、このままここで、死ぬ、と確信した。


気づくと布団に寝ていて、腹違いの姉が泣いていた。私がいないことに気づいた姉が救ってくれたのだけど、その姉を祖母はまた罵倒した。姉に申し訳ない気持ちでいっぱいで、私は死ぬべきだった、そう思った。


これが、性被害にあったとき、私に大きく作用した出来事になってしまった。なぜなら、私はもう自分が世界に、世の中に、家族に、必要がなく虐げられるだけの存在だと植え付けられたきっかけだったから。


まだちょっと続きます。

書くきっかけになった、三浦さんの著書は下のリンクにあります。


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#孤独の意味も女であることの味わいも


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