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1969年音楽フェスが「ジャズの衰退とロックの勢い」「ソウルの美しさ」を証明


世界で最初の野外音楽フェスは『ジャズ』


イベント・プロモーターの【ジョージ・ウェイン】
1954年7月にロードアイランド州ニューポートの古い野外カジノで開催したジャズ・フェスティバル

『ニューポート・ジャズ・フェスティバル(Newport Jazz Festival)』

が「音楽フェス」の元祖であり 1960年代以降のあらゆる「音楽フェス」の基本フォーマットだったと考えられます

【ジョージ・ウェイン】

✅「ニューポート・フォーク・フェスティバル」
✅「ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバル」
✅「プレイボーイ・ジャズ・フェスティバル(LA)」

などのジャズ・イベントをプロモートする「フェスティバル・プロダクション」を設立して イベントに企業スポンサーを付けるアイディアで世界の大都市でジャズ・イベントを開催した偉大な人物です

1960年代前半までのポピュラー音楽業界の中心は

間違いなく『ジャズ』でした


ロック勢への対応に右往左往したジョージ・ウエイン


ジョージ・ウエインは どっちかというと保守的なジャズ関係者ですが
1969年『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』
初めての試みとしてロック勢を出演させることにしました



『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』史上最大の観客動員数(約8万人)を記録しましたが 予想を超えた観客数に対応するために

✅ 動員された警察隊の警備代
✅ 安全確保のため設置されたフェンス代
✅ 清掃活動代 など

多額の費用が発生してイベントとしては赤字になります


『真夏の夜のジャズ』の映像を観てもわかるように 
ニューポートは保養地・別荘地として裕福な白人家庭が中心の街です

若者達『ロック・ファン』が集まって街の様相は一変して
どんな状況になるのかを想定できていなかったのでしょう
 


ジャズ・ミュージシャン以外の出演者

【7月4日】
「Jeff Beck」「Blood,Sweat and Tears」「Jethro Tull」
【7月5日】
「John Mayall」「Mother of Invention」「Sly and The Family Stone」
【7月6日】
「James Brown」「BB.King」「Winters」「Led  Zeppelin」


【7月5日】「Sly and The Family Stone」出演時にトラブル発生

会場外にいた若者のグループがメインゲートをなぎ倒して会場内に侵入
それに乗じて約3000人がフェンスを破壊して場内に流れ込み会場は大混乱
ライブを予定より早く切り上げる事態にまで発展


【7月6日】「Led  Zeppelin」が大とり


ニューポートの自治体は 前夜のトラブルで ウェインにツェッペリン出演を取り辞めさせるように依頼

ウェインは 勝手に「ツェッペリンの出演キャンセル」をアナウンスするなどのアタフタ混乱状態でしたが

ツェッペリンの出演時に観客によるトラブルは発生せず
大いに盛り上がったライブとなりました

トリを務めてフェスを成功に導いた「Led  Zeppelin」は知名度を上げることになりました

1969年12月27日付【Billboard アルバム・チャート】で『Led  zeppelinⅡ』が第一位を獲得します

インタビューでジミー・ペイジは語っています

「僕はニューポートで起きたことについてはとても不満に思っている
ウェインは我々の一員が体調不良だなんてアナウンスすべきではなかった


マイルス・デイヴィスの出演【7月5日】


マイルズ・デイヴィス・クインテットは ウェイン・ショーターが渋滞に巻き込まれてステージに間に合わず4人で出演するというハプニングがありましたが 完全にアコースティック・ジャズから変貌を遂げた【エレクトリック・マイルス】のライブ・パフォーマンスを披露します

マイルスは アルバム『In a Silent Way』7月30日リリース
8月から「史上最も革命的な作品」と言われるようになる
『Bitches Brew(1970年3月30日リリース)』の制作に入る
タイミングでもあったので 気合が入っていたでしょう

古くからのジャズ・ファンはマイルスに対して
「ロックに魂を売りコマーシャリズムに走った裏切り者」
と批判し ロック好きである若者たちはマイルスの新しいファンとなっていきます

【ご参考】この7月5日の演奏は
『Miles Davis at Newport 1955-1975 (The Bootleg Series Vol. 4)』
で3曲(「Miles Runs the Voodoo Down」「Sanctuary」「It's About That Time/The Theme」) 聴くことができます


ジェームス・ブラウン【7月6日】


ソウル・ファン ロック・ファンそして伝統的なジャズの観衆も巻きこんだ熱狂のライヴ・パフォーマンスを披露した ジェームス・ブラウン

オープニングは
初代JBズ(ボビー・バード メイシオ・パーカー フレッド・ウェズリー ピーウィー・エリス クライド・スタブルフィールド)のインスト3曲

このカッコ良さを観た観客は大興奮!


1969年の『ニューポート・ジャズ・フェスティバル』は
アコースティック・ジャズがメジャー音楽シーンの主役の座から引きずり降ろされたことを示したイベントだった気がします

ウェインは自伝で次のように語っています

「1969年のニューポート・ジャズ・フェスティバルを革新的なプログラムと解釈することも可能だが 私自身は自分のキャリアの中では最悪の出来事だと思っている」

"Myself Among Others: A Life In Music"より


1969年の野外音楽フェスティバル



7月5日:『ハイドパーク・フリーコンサート(Hyde Park Free Concert)』

ステージ上がったミック・ジャガーは 2日前に急逝したブライアン・ジョーンズに捧げるメッセージとして「パーシー・ビッシュ・シェリー」を朗読1曲目の『I’m Yours and I’m Hers』はジョニー・ウィンターがデビュー・アルバムで発表したばかりの楽曲


ウッドストック・フェスティバル

8月15日(金)から17日(日)までの3日間 ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた約40万人の観客を集めたアメリカの音楽史に残る大規模な野外コンサート


8月30日 ~31日:ワイト島音楽祭(The Isle of Wight Festival)

ヘッドライナー:ボブ・ディランとザ・バンド
観客席には ジョン・レノン ジョージ・ハリスン リンゴ・スター キース・リチャーズ チャーリー・ワッツの姿もありました


起こってはいけないことが起こってしまった『オルタモントの悲劇』

【12月9日】カリフォルニア州のオルタモント・スピードウェイで開催されたローリング・ストーンズのフリーコンサート
4人の死者(1件は殺人事件)を出すというロック史上最悪のコンサート


Summer of Soul
(...Or, When the Revolution Could Not Be Televised)


1969年は 前年1968年4月にメンフィスでマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたことなどもあって 全米各地で黒人の暴動が起こっていた時期でした

拳を天につき上げる「ブラック・パワー」

ハーレムで1969年に6週間(6月29日・7月13日・7月20日・7月27日・8月17日・8月24日)にわたって開催された

『ハーレム・カルチュラル・フェスティバル』

『Summer of Soul』から感じるものは?

映し出された老若男女の黒人オーディエンスは その場で一緒になって踊ったり歌ったりして楽しそうに生き生きとしています

愛・平和・反戦の旗印のもとに集まったヒッピーたち『ウッドストック・フェスティバル』とは全く違った雰囲気です


なぜ?そんな迫力のある映像が50年も埋もれていたのか?

「当時の白人中心のアメリカ社会では 誰もこうしたものに興味を示さなかった」


ということに尽きるのでしょう

まとめ


『1969年』は「人類史に残る出来事が起こった年」と言われています

『1969年7月20日』人類が初めて有人宇宙船により地球以外の天体(月)に到達したという出来事は全世界に感動と興奮を与えてくれました


当時は 米ソ2大大国が対立していた冷戦時代

政治・経済や軍事そしてスポーツに至るまで様々な分野で火花を散らし合う緊張が続いた中で国家の威信をかけて進められたのが「宇宙開発競争」です


1960年代の集大成として『1969年』が教えてくれたことは

『分断』『対立』そして『抵抗』によって【創造的な摩擦】が生まれることがイノベーションが起こす



2020年以降の世界は

様々なシーンで『分断』『対立』『抵抗』が起こった1960年代~1970年代への移行期に似ています

良い意味で『分断』による『対立』で生じた『カウンター・カルチャー』と『従来のメイン・カルチャー』の間で【創造的な摩擦】を引き起こされ
大きなイノベーションが起こる予兆と考えています



イノベーションの阻害要因になっているのは?


前例踏襲主義の「べき論者」である既得権益を死守したいアナタなんです


『1969年』が証明しています!




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