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#31 深く思考する、とはどういうことか

昨日、1時間とっても1人部屋にこもり、この1ヶ月くらいのインターンの振り返りをしてみた。その中で出た、深く思考する、ということについてつらつらと書いていく。

きっかけは、一緒に仕事している人と話していて、なんとなく日次/週次で振り返りはしているけど、深いところまで振り返れていないよねという課題意識と、ぼくが人に対してする質問は結構いい問いだったりするので(ありがたい)誰かと話す前に自分でじっくり深く思考してみる時間を取った方がいいんじゃない?と言われたことだった。

やってみたことはとてもシンプル。今自分が持っているテーマと、それについてできていることとできていないことを書き出し、そのそれぞれについて「なんでできている/できていないの?」もしくは「これができている/できていないってどういうこと?」という質問を自分に投げかけ続けた。色々な発見があって面白かったけど、割と辛くて大変な時間だったので、ヒップホップを聴きながら振り返っていた。笑

そんな振り返りで出てきたことでもあるけど、やりながら「考えるってどういうことだろう?」と思った。

この振り返りでは、普段出てきていないような、自分自身の特性や思考の癖まで見つめ直す機会になったので、とても良い時間になったとは思うし、普段より深く思考できたと思う。そういった意味では、ここでの思考の深さは、「自分自身に投げかけられる問いの量と質」が大きく影響していそうだと思った。

一方で、思考の深さと近いところで、思考の抽象度という尺度もある。一つ一つの具体的な事象について考えるに止まらず、他の事象とつなげていく事でその抽象度を上げていく、みたいなイメージ。

両者はなんとなく似ているけど、少し違うイメージがある。ぼくの中で前者は、構造化して捉える、みたいな方が近い。それが起こっている裏には、どんなシステムが働いているんだろう、みたいな。

そう考えると、なんとなく「思考の深さ」の下に構造化と抽象化という二つがあり、構造化は「なんで?」、抽象化は「どういうこと?」という問いが効いている気がする。

それとは全然別で、ぼくは企画するとか発案する、みたいな意味でも「考える」という言葉を使う。チームメンバーの「こういうことやってみたいと思ってるんだよね〜」に対して「いいね!考えてみる!」みたいな。

これは実際には、ぼくが持っている思考や企画のフォーマットに当てはめてみる、みたいなことをやっていることが多い。

谷崎潤一郎の『文章讀本』にも書いてあったが、確かに日本語は語彙が少ないのかもしれない。「考える」という言葉の中にこれだけの意味を持たせている。

言葉の解像度が下がると思考の解像度も下がってしまうので、解像度低いまま乱用しているな〜という言葉は、少しずつ解像度を上げていきたい。ぼくに取っては「表現」とか「意思」とかが頻出ワードだなあ。

毎日note、最近思考メモの色合いが強くなってきた


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