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解説・書評 『実践スタートアップ・ファイナンス 資本政策の感想戦』

はじめに

公認会計士・山岡佑氏より、ご自身の著書である『実践スタートアップ・ファイナンス 資本政策の感想戦』(日経BP, 2021年10月7日発売,以下”本書”と記載)を発売前に献本していただいた。山岡氏と私は、2014年から2020年まで事業パートナとして数多のプロジェクトに共に従事した、元同僚である。私が公認会計士登録を抹消し会計士仕事から手を引いたことで現在関係は解消されている。以下、山岡氏と最も近接する専門性を有する者として、本書への評価を記述する。なお、私は山岡氏から本書内容に関して事前に一切の相談を受けていないし、助言・協力もしていない。本稿は私が勝手に記述するものである。

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本書の内容に触れる前に、経済社会における本書の立ち位置と意義について、私の理解をまず説明する。

資本政策とは

狭義には、スタートアップが、資金調達を目的に株式を発行したり、インセンティブ付与を目的に関連当事者へ新株予約権を付与するような資本取引およびその計画を指す。ここで要求される専門知識と実務能力は、財務モデルを生成・DCF法でValuaitonを実施・資金調達ピッチ資料を執筆する財務企画領域だけでなく、会社法・財務会計・金商法・税法(所得税・贈与税・地方税をも含む)を含み、それに加え、商慣習、監査法人・証券会社・取引所の動向、投資家プレイヤの性質や姿勢にまで及ぶ。要するに、広い、ということだ。すべてに精通するのは、広大さゆえに困難である。一方、そこから資本政策に必要な要素のみを抽出しようとしても、そもそも、どこが必要なのか事前に把握するのは現実的ではない。

専門家は誰だ

財務企画・会社法・財務会計・金商法...という専門領域の集合体ではなく、「資本政策」をひとつの専門領域と捉えてみる。そもそも、資本政策の専門家とはだれだろう。実務では、弁護士・税理士・ファイナンスベンダ(本書に登場するプルータスのような)が登場する。彼らは、会社の規模・フェーズ・業種に横断する経験を持ち、最新情報にも精通しているが、対象領域が狭い。それぞれが、法律・税務・財務に留まる。一方、スタートアップ側の資本政策担当者は、幅広い領域をカバーするものの、実務経験値が低く、情報の陳腐化懸念がある。あるスタートアップにとって、シード期は一度だけである、という事実からそのことは理解されるだろう。VCを含む投資家も近接する領域を回遊しているが、彼らが実務に詳しいという印象は、私はあまり持っていない。客観性への構造的な疑義についてはここでは触れない。

資本政策を学ぶ方法

「資本政策」という専門領域を、直接学ぶ方法はあるのだろうか。ひとつ確実な方法は、他者事例を学びつつ、スタートアップ資本政策案件を自分で数多くこなすことである。つまり、目の前の問題に全力で取り組む経験の蓄積によるものだ。私はそうして資本政策実務能力を習得した。しかし、このアプローチは時間がかかるし、特殊な立場でなければ実現は難しい。一般的ではない。

書籍はどうだろう。本書でも紹介されている、公認会計士・磯崎哲也氏『起業のファイナンス 増補改訂版』(日本実業出版社,2015年)は、その一番手である。しかし、それ以降が見当たらない。『起業のファイナンス』は、初心者向けの基本書・理屈の把握・用語の理解を目的とする書籍として素晴らしい良書ではあるが、実務上の具体的な問題を処理するために用いるものではない。「xxxという経歴の資本政策を繰り返し、xxxという将来事業計画を持つ、xxxという事業を営み、現在xxxという状態にあるA社の社長から、次の資金調達どうしよう?と尋ねられた」この問いに対する返答を生成する専門知識・実務能力を提供する書籍を、経済社会はこれまで欠いていた。

本書の意義

本書は、実在のスタートアップが実際に取り組んだ資本政策を、会社設立から上場まで網羅的に詳説する。ニュース記事のように事実を記載するだけでなく、背景の理屈・経済的価値・行為の根拠法令を含む。構成は、「ファイナンス」「法人税法」といった専門領域の区分でも、「第三者割当」「有償ストックオプション」といった資本取引種の区分でもなく、「FY2におこなわれた資本取引全量」という時系列形式である。時系列による情報整理は、知識の横断的カバーと事実の網羅性担保に資する。実際の経済活動を起点に解説を施すことで、既存の資本政策学習の課題であった専門領域間の融通性および基本知識の現場実務への展開性という問題を、本書は解決する。

さらに山岡氏は、現実の資本取引へ、自身の評価を加える。良い・悪い・興味深いと、はっきり言い切る。これは勇気のいることだ。この評価が読者へ、事実を事実として、専門知識を専門知識として記憶するだけでなく、自分のアタマを動かして、対象資本取引について考えるきっかけを与える。

資本政策を学ぶ最も効率的な方法は、実務経験の蓄積である。本書は、資本政策の実務を擬似的に経験する機会を、読者に提供する。謄本や有価証券報告書を漠然と眺めるアプローチとは、体系性と粒度が異なる。本書は、正しい理屈・構造・体系知識により整理された実在のスタートアップ実務を、専門家による解説を伴走として経験するための書籍である。

以上、経済社会における本書の立ち位置と意義について解説した。

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書評として、本書の特徴を4点指摘しつつ、総括を述べる。

1. 正確・詳細・網羅

本書は、とにかく正確だ。専門用語を、正しい定義・正しい用法で使用している。したがって、わかりやすさ・読みやすさを重んじるビジネス書と比べやや冗長に感じる箇所もあるかもしれない。しかし、その正確性が実務における本書の利用可能性を高めている。

本書は、特異的に詳細だ。資本取引121回分を掲載・解説してる。数については、資本取引を1つでも公開情報から把握しようとすれば、その労力が分かるだろう。解説は、取引から想起される論点を余すこと無く妥協なくしっかりと手当する。同じ実務家として、想像される労力に圧倒される。要するに「すごい量だ」ということである。

本書は、事例として、スタートアップを6社掲載する。「資本政策」という専門領域をカバーする数としては少ないのでは、という懸念を抱くかもしれない。結論を述べると、本書の内容を完全に把握すれば、初級者を脱し中級者に至る。それほど、掲載6社の選択が練られている。

山岡氏は、ここ数年間、プレスリリースやSNSなどでスタートアップの資金調達ニュースを知れば、その「たびに」、その「すべて」の、会社謄本を取得し、精読・データベース化している。これもまた、実際にやればどれほど面倒なプロセスなのかすぐにわかる。私は幸運にもその謄本データ群とデータベースへのアクセスが許されており、知識蓄積の様子を観察していた。これは本当の話だ。

豊富な情報を背景に、実務担当者が把握するべき論点が網羅されるように会社を抽出したものであって、この6社は無作為に抽出した6社ではない。また、フェーズごとの第三者割当や優先株式の設計といった典型にとどまらず、実務の現場でアタマを悩ませる、”筋の良い論点”が散りばめられていることも注目に値する。一部例をあげるならば、適格新株予約権発行時に参照すべき行使価格は直近に発行された優先株の価格からどれほど減額できるか、外部協力者へのエクイティインセンティブ付与手法、創業者グループ間のインセンティブ配分、信託型SOの個人業績評価制度設計、フェーズと役割に応じた従業員へのインセンティブ配分、エクイティインセンティブのべスティング問題、PSRマルチプルなど。

2. 臨場感

本書の事例には、実在の法人名・ファンド名・個人名が登場する。固有名詞が、読者のアタマに、実務本としては異質の臨場感をもたらし、会社経営の手触りを感じさせる。ゲンキンな話ではあるが、「xx氏はこの取引によりn億円の売却益を得た」といった記載には目が留まり金額を刻んでしまう。固有名詞による記述が貢献し、ファンドごとの投資姿勢や経営関与姿勢、監査法人の動向などにも話題が及ぶこともある。各プレイヤの思惑が入り乱れる様を、資本政策という軸で整理しつつ眺めることになる。

なお、固有名詞へのフォローも充実している。創業者たちの出会いの場所、前職。ファンドの母体などの説明が豊富だ。資本政策に関する普段の会話の中で頻出する「あれ、あのファンドってどういう人達だっけ?」というやりとりがそのまま反映されている。

3. 事業への近接性

一般的な財務や法務などの専門書籍では、内容は当該分野の説明に留まり、会社の事業活動へ議論が及ばない。その点、本書では、掲載スタートアップが提供するサービスの説明と各種KPI、経営陣の人間関係、組織拡大態様に紙面を相当量割いている。専門書としては異質だろう。

もちろんそれは、実務上の要請に基づくものだ。資本政策は、事業の目的を達成するためそれを支援する技法である。事業なくして単独では存在し得ない。必要な資金・人材がまずあって、それを実現する手段として第三者割当や新株予約権が存在する。

ただし、サービス・組織への深い理解とそれに対応する資本政策の立案、という視点を一般的専門外部ベンダが採るのは難しい。事業との距離があるし、事業や地域を横断する各顧客の事業内容にそこまで注意を払っていられない。私自身もその立場にある。顧客事業の理解は、専門領域と比べれば、相対的に軽視される。できることならば、あまりそれに注意や工数を消費したくはない。

その点、著者山岡氏は、顧客との距離が近く、事業への興味を強く持っていたように私は観察していた。経営者との打ち合わせにおいても、多くの時間を経営課題や事業遂行上の論点に割いていた。紛れもなく、そのことが、山岡氏が有する「事業活動の深い理解に基づく資本政策の分析」という独特の技術を醸成したのだろう。山岡氏の視点からスタートアップの資本政策を紐解く場合、ここまでの事業理解を少なくとも要求するのだな、と読者は知ることになる。

4. 意見から逃げない

謄本・有価証券報告書・会社リリース・インタビュー記事。本書が、そういった情報群から「事実おこなわれた資本取引」のみを法令根拠と共に収集・整理・解説する書籍であっても、充分の価値がある。しかし本書では、それにとどまらず、著者山岡氏が評価を加える。取引ごとの解説に自身のコメントを付しつつ、掲載スタートアップごとに『良い点・悪い点・興味深い点』につき、それぞれ意見を述べる。本書の終盤には30ページにわたり『資本政策の定跡』として事例を帰納し、「ではどうすればよいのか?」という現場の疑問に答える取り組みに挑む。

専門家としての客観性と誠実性を保ちつつ、実在の他者の仕事に対する意見を文章にて公表するのは、とても難しい。気を遣いすぎては曖昧で平凡でありきたりな内容に終始するし、強い口調と直接的な表現では誰かを傷つけ反発を呼ぶ。何より、最終的な「正しさ」は当事者にしかわからない。外からの意見は結局、推測を根拠にせざるを得ない。判断の根拠となる材料には網羅性と正確性の欠陥リスクが潜在的に存在する。はっきり言って、あまり踏み込みたくない、踏み込むのを躊躇する領域だ。しかし著者山岡氏は、敢えてそこに切り込んだ。その点は称賛に値するだろう。

繰り返し、意見は、専門家としての客観性と誠実性を保つ限りにおいて記述されなければならない。根拠のない妄言を無責任に書き連ねるのは簡単だ。「どこまで書くべきか」が決定的に重要となる。山岡氏は、本書執筆以前に、noteで同種のコンテンツを断続的に発表しており、前述の執筆可能ラインをきちんと把握しているものと想像する。私としては、普段の山岡氏との個人的な会話において、遥かに踏み込んだことを話しているので(そしてそれが面白いので)、「もっと書けばいいのにな」と思う場面もあった。しかし、それは私の幼稚性を示すだけで、恐らく現状がギリギリのラインなのだろう。掲載スタートアップの関連当事者に山岡氏が払う敬意と気遣いが、本書を通して感じられる。その姿勢を堅持したからこそ、本書刊行に成功したのかもしれない。ただし、たとえばエンジェル税制制度への批判、創業代表者が確保すべきエクイティ量など、山岡氏が実際の実務現場で日頃強く訴える思想は、きちんと織り込まれている。山岡氏が書いたとわかる、思想の通った内容だ。

意見と事実について。著者山岡氏は東工大の学部・修士を出た、理系である。仕事や言動の端々からそれは感じられる。本書においても、その特徴が現れている。客観的なのだ。資本取引を外部から得ようと試みる限り、どうしても予測せざるを得ない事柄が多く含まれる。本書では「事実」と「予測」を峻別し、予測を述べる文章では、語尾を徹底して「...だろう」「...と考えると合理的だ」「...という可能性もある」などとする。そのことで文章からリズム感や軽さが失われやや冗長になってしまうが、その犠牲を払っても、事実と予測を区別するポリシーが徹底している。

総括

資本政策を学ぶには、資本政策実務を正しく経験することが最も効率的である。『起業のファイナンス』以降、資本政策実務の学習に有用な書籍はこれまで存在しなかった(私の知る限り)。本書は、「その次に読む本」として、正しい理屈・構造・体系知識により整理された資本政策実務の疑似経験を読者に提供する。

内容は、正確であり、詳細であり、網羅的だ。スタートアップ資本政策の臨場感を味わいつつ、専門家に求められる事業との近接性も知ることができる。さらに、知識を得た上で、どういった視座により「あるべき資本政策」を目指すべきか、その一例として著者山岡氏自身の意見が参考となる。

本書が発表されたことで、この経済社会では、スタートアップの資本政策についてアドバイスやコメントを供給する行為のハードルが、一気に上がった。特に専門知識を提供する側の者は、発行体であるスタートアップ側の担当者も本書内容を把握していることを前提に、会話を展開しなければならない。敢えて読まないという選択を採れば、自分の知らないナレッジがいつの間にか経済社会の基礎知識となるリスクに晒されることになるだろう。同業界に身を置きながら本書を看過するのは相当の勇気が必要だな、と私は評価する。

資本政策の知識は、生ものだ。あっという間に陳腐化する。前述の通り、実務経験が多いに越したことはない。社会はそれを欲している。山岡氏にはぜひ、最新のIPO企業を掲載した新刊を毎年執筆してもらいたい。

再掲となるが、本稿は私が勝手に記述したものであり、山岡氏は一切関与していない。経済社会への見立てや本書の立ち位置・意義についても、私の一方的な考えである。

以上




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